奇跡の値段
決まってるでしょ、とデジレは心中で言う。今日はぺパン王をペテンにかけにきたのよ。
マーリン、遺灰を操ることはできる?
つまり、光らせることができるのなら、それ以外の操作もできるのか、ってことなんだけど。
(それは、ある程度なら、できないこともないですが……)
そう、ならよかった。
デジレはテーブルに置いてあった、水入りのコップに近づいた。
「よくよくご覧になっていてくださいましね」
デジレが灰を水に混ぜようと、小箱を傾けたときに、奇跡は起こった。
(うわあああ!? やめてやめてやめてください!)
マーリンがどこからともなく魔術を用いたおかげで、遺灰はひとかけらもコップに入ることなく、ふわりと宙に浮いた。
その瞬間、広間は静まり返った。
その場に集う数十人の男たちが一斉に、宙を漂う遺灰を凝視する。
遺灰は魔術の作用によるものか、キラキラとまぶしく輝いていた。
光る遺灰は煙のように、デジレの宝石箱に吸い込まれていった。
奇跡を目の当たりにしたぺパン王は、震えながら玉座から降りて、神に祈った。
「褒むべきかな、主なる神よ! これぞキリストの思し召し! 聖ヨハネの遺灰に違いない!」
ほらね、騙された、とデジレは何の感慨もなく思う。
キリスト教徒の王は説得が楽でいい。彼らは聡明であればあるほど、すぐに神の奇跡に騙される。
これがザクセン人相手だと、こうはいかない。彼らの神は北欧の最高神ウォーデン(オーディン)であり、しかもキリスト教徒の王のように最高責任者に統治されていないので、集団まとめての洗脳がしにくいのだ。
(あなたって人は……!)
マーリンが怒っているが、デジレは平然と言い返した。なんだ、水の中でピカピカ光らせてくれるだけでよかったのに、そんなこともできたの。すごいわね。
(私を脅して力を使わせるなんて、そんなことはアーサー王でもしませんでしたよ!? とんでもない人だ!)
マーリンの怒り具合で、デジレはそろそろこの手を使うのにも限度があると察した。まあいい。こんな詐欺師まがいの手でよければ、いくらでも思いつくのだ。
デジレはぺパン王の前でうやうやしく膝立ちになり、小箱を胸に抱いた。
「わたくしが思うに、この国には本物の教会というものが少なすぎますわ。わたくしの国には、こうした霊験あらたかな聖遺物をいただいた教会が何十とありますのに」
「なに!? これが、何十もだと!?」
ぺパン王が恐れおののいている。
いい反応だ。
「それで、わが父が、ロンバルディアにある聖遺物をいくつかお譲りしてもいいと申し上げております。これも神の教えを広めるためですから、ぜひ受けていただきたいと思いまして」
「なんということだ! 願ってもない!」
そこでデジレは、にっこりとほほ笑んだ。
「ただ、どれもたいへん貴重なものですから、偉大なるフランク人の王にしてローマ貴族のぺパン王には、やはりそれに見合うご友情というものを見せていただかなければ……ロンバルディアは長く続く南部との抗争で、少し、困窮しております。ご寄進をいただければ、願ってもないことです」
ぺパン王は深くうなずいた。
みずからの剣で盾を打ち鳴らし、称賛の意を示す。
この国では、武具を叩いて絶賛するのが最上級の敬意の表現なのだ。
やかましい剣と盾の音が、たちまち広間いっぱいに響き渡る。
デジレは鼓膜が破れそうになったが、笑顔で耐えた。
「あいわかった。必ずや色よい返事をお聞かせしよう。ロンバルディア王はまこと慧眼の持ち主であらせられる。ご息女を妃に迎え入れることができたのはこの上ない栄誉だ」
ぺパン王がしばらく言葉を尽くしてデジレを褒めたたえたことは、奇跡の遺灰とともに、またたく間にうわさになった。
「俺のお妃さま、すごいでしょ!」
なぜかシャルルも得意げだったが、デジレには迷惑だった。別に彼の手柄でもないだろうに、なぜそんなにうれしそうなのか。そのはしゃぎようは愚鈍な大型犬を思い起こさせた。
(いやはや、あなたの手腕には驚かされます)
しまいにはマーリンも、怒るのを忘れてしきりに感心していた。
(何か大金を稼ぐプランがあるようなのは知っていましたが、まさか聖遺物を売りつけるとは……どうしてあなたがその商法を知ることができたのかが不思議ですね)
あら、簡単よ、とデジレは思う。前世で、宮廷の司祭が、聖遺物の密売業者に大金をはたいていたのを、デジレは知っていたのだ。
(この時代の聖遺物は主に盗掘で賄われていました。売買が成立するようになるのはルイ九世のころからですが……いやはや、五百年も先駆けてあなたがその発想にたどり着くとは。すばらしい商才ですね)
デジレは今度こそマーリンの発言が無視できなかった。
ねえ、とマーリンに問いかける。その五百年後とかっていうのはなんなの? 何百年も先のことがなぜあなたに分かるの?
マーリンがそれほど先の未来を予言しているということは、デジレの野望、フランク王国滅亡計画も失敗に終わるということだ。