決闘の行方
なぜ彼がこれほど驚いているのか、デジレにはいまいち分からなかった。その場で何も言わないから、てっきり黙認しているのかと思っていた。
もちろんこの灰は、彼も予想している通り、マーリンの墓所から持ってこさせたものだ。
聖ヨハネは墓を掘り返されて火葬されたという悲劇的な逸話を持っているのだ。だからデジレは、マーリンの遺灰を聖遺物らしく仕立てるにはぴったりだと考えた。
マーリンの墓所は『マーリンの階段』などと呼ばれて、現地の人たちにも広く親しまれている。
前世で、にっくきアンジェリカが騎士の槍試合の待ち合わせ場所に使ったのも、この『マーリンの階段』だ。
意外にすぐそばにあるので、デジレは人をやって、墓所の遺灰をほんの少し分けてもらってきたというわけなのだった。墓の守り番だとかいう尼僧も、快く譲ってくれたらしい。
(メリッサ!? なんてことをしてくれるんですか!?)
マーリンは悲鳴をあげた。
(その灰がなくなったら、私のお告げもなくなってしまうんですよ!? ブラダマンテが困るでしょうに!)
デジレはきょとんとした。ブラダマンテはリナルドの妹だ。なぜ彼女が困るのだろう。
思わず、居間の隅でアヤにくっついているブラダマンテに目をやった。
ブラダマンテは、金と銀を混ぜ合わせたような、素晴らしくまばゆい髪をしている幼子だ。今はまだ、子猫のように釣り気味の眼ばかりが大きく目立つが、成長したのちの彼女は、整った鼻筋などから、美しい容姿の男性と誤解されることもあるほどの麗人だった。
正直に言えば、デジレもちょっとブラダマンテが好きだった。あの礼儀正しく優雅な女騎士が、男性だったらなぁと、ちらりと思ったことがないでもない。
(デジレ姫はカロリング家の顔立ちに弱いのですね……まあそれはいいんですが、私の灰はすぐに戻してください!)
全部を取ってきたわけじゃないんだから、別にいいでしょう、とデジレはこともなげに答える。本物の聖遺物だって、五体満足で埋葬されていることはまれだ。
キリスト教徒は聖人の遺体をバラバラにして、各地で祭るという習慣を持っている。あちらの教会には聖人の心臓、あちらの教会には遺骨の一部、と、小さなパーツに分けて奉納されている聖人は数多い。なので、マーリンほどの偉大な魔術師ならば、遺灰の一部を持ち出されても問題ないだろう、とデジレは判断した。
(うーむ、偉大な魔術師であることは否定しませんが……しかし……)
マーリンの怒声がトーンダウンした。明らかに褒められて喜んでいる。
そんなことより見なさいよ、とデジレはマーリンにけしかけた。
まだフランクの地では、聖遺物は珍しい。
彼らは特別に信心深いわけではなかったが、それでもあの聖ヨハネの遺灰と聞いて、平静ではいられなくなったようだ。
聖ヨハネは、キリスト教徒にとって特別な聖人だ。どれほど無知無学なフランク人であっても、舞姫サロメに首を切られた逸話くらいは聞いたことがあるだろう。国内にも、聖ヨハネにゆかりの教会がいくつも建っているはずだ。
エイモンは打ち震え、アヤ夫人も膝をついて一心に祈り出した。
「どうか、我が息子をお助けください。どうか……」
ブラダマンテや、リナルドの兄たちもひざをついている。
グイドもわずかに怯んだものの、野人らしく、堂々とこの要求を呑んだ。
「わが身の潔白と誠実を誓う」
右手を置き、シャルルもそう宣言した。
「この戦いは神意である。勝利せし暁には、リナルドをわが伴侶デジレの奴隷に迎えられたし!」
こうしてふたりの一騎打ちは始まった。
グイドは一方的にシャルルを槍で撃ちすえた。成人のグイドとまだ少年のシャルルでは、体格からしてまったく違う。体力的にも上回るグイドは、猛攻を打ち込んでいった。
シャルルはよく守った。盾で身を守りながら、ぎりぎりまで後退し、逃げ場をなくしたと見せかけて全速力で対角線上に逃げる。
何十度目かの打撃でシャルルの盾は完全に貫かれ、用を為さなくなった。
グイドは剣帯から剣を引き抜き、無防備なシャルルマーニュを打ち据える。
シャルルは剣一本での防戦を余儀なくされた。
グイドも何度かシャルルに切られてはいるが、余裕そうなそぶりを崩さない。反対に、シャルルに加えられる打撃は一撃一撃が重く、シャルルはそのたびに奥歯も砕けそうなほど食いしばってしのいでいた。総力を振り絞っての、苦しい戦いだった。
やがて息があがってきたグイドは、大きく振りかぶって、まっすぐシャルルに振り下ろした。
当たりはしない。あんなにすきだらけの攻撃が当たるほど、シャルルは弱くない。
しかし、シャルルの剣は度重なる斬撃に、ついに真っ二つに砕けた。
観戦していたデジレは、とっさに目をつぶり、身体を固くした。
グイドの刃が鉄の兜にめり込む。金属同士が激しくぶつかり合う嫌な金切り声がした。
シャルルの頭蓋骨は今の衝撃で砕けただろうか。もしかしたらそうかもしれない。デジレには、顔をあげて確認する勇気がなかった。グイドの恐ろしい顔が目に焼き付いている。相当な力をこめて彼を切ったに違いない。
やがてシャルルは昏倒し、ゆっくりと倒れた。
どれだけ待っても彼は立ち上がらない。
「俺の勝ちだ」
グイドが宣言する。
デジレはまっすぐに彼をにらんだ。
面白くない。
先ほどはどちらが負けてもいいと思っていたが、グイドの勝ち誇った顔が癇に障ったのだ。
――蛮族が調子に乗っている姿って、なんて醜いのかしら。
グイドの顔立ちはリナルドによく似て美形だったが、とにかくデジレはこの系統の顔立ちに吐き気がするのだ。シャルルもリナルドも大嫌いだが、グイドのこともまったく好きになれそうにない。
全盛期のシャルルマーニュの面影がある野卑な美貌で薄笑いなど浮かべられた日には、火刑にされたときのことを思い出してしまうではないか。
デジレはあの不敵な笑みを叩き伏せたくなって、小箱を開いて中の遺灰をひとつかみひっつかんだ。
(ちょ、ちょっと!? 何を!?)
「聖ヨハネよ、神意を示せ!」
デジレは倒れているシャルルに遺灰をまき散らした。
(や、やめてください! なんでもします! しますから! 本当にやめて! 私が消えちゃう!)
デジレは心の中で毒づく――なら、とっととシャルルを勝たせるのよ。
遺灰はシャルルに降り注ぐと、にわかに眩しく輝き出した。
(あーあ、もう……あとでちゃんと回収してくださいよ?)
できる限りはね、とデジレは涼しい顔で返事をした。
にわかに雲が割れ、眩しい光がシャルルの上に降り注いだ。まるで神の啓示のようなきらめきを一身に浴びながら、シャルルはゆっくりと立ちあがった。
「神の託宣が下った! 勝つのは俺だ!」
シャルルはそう叫ぶや否や、先ほどまでとは段違いのスピードでグイドに向かって踏み込み、突き技を放った。二合までは偶然避けられたグイドも、神速の三合目にはついに剣を合わせそこなった。
グイドの剣が吹き飛び、右手ががら空きになる。
シャルルはグイドの肩に切りつけるぎりぎりで刃を止めた。
完膚なきまでのシャルルの一本勝ちだった。
「負けを認めろ」
「わ……分かった。俺の負けだ」
グイドが両手をあげて情けなく言った。
デジレはおおいに溜飲が下がって、思わずにっこりした。