金髪の娘と猟犬
幼いギゼラは話がよく理解できなかったのか、首をかしげた。
「兄と妹が愛し合うのは、悪いことなの?」
「いいことと、悪いことがあるわ。彼らはね、夫婦の間でしかしてはいけないことをしたの」
「それってどんなこと?」
「それは将来の旦那様にお尋ねなさいな」
デジレの吹き込む与太話に、ギゼラはいちいち顔を赤らめたり、青くなったりした。
子どもっぽいギゼラの反応に、デジレの嫉妬心もいくらか和らいだ。前世の彼女は憎たらしいくらいの美人だったが、今のギゼラはまだ本当に小さな女の子でしかない。
「ギゼラ、いいことを教えてあげるわ。男はね、みんなあなたのように美しい娘に目がないの。でも気を付けなさい、彼らは美しい娘の持っている真珠を奪うだけ奪ったら、見向きもしなくなってしまうのだから」
ギゼラは少しはにかんだ。
「わたし、真珠なんて持ってないわ」
「いつか分かるわ、あなたがどれほど素晴らしい真珠を持っているのかはね」
ギゼラは幼いなりに、自分が美しいと褒めそやされたことに気をよくしてか、くすぐったそうに微笑んだ。
成長したギゼラは、非常に聡明な少女で、ギリシャ語もラテン語もよくできた。
これほど賢い娘なら、今のうちによくよく教育しておけば、シャルルマーニュの魔の手から逃れる方法を自分で考え出すかもしれない。
そして彼は、自分の周囲に侍らせる美女をひとり失って、悔しがるというわけだ。
「あなたはきれいな髪をしているわね。シャルル様と同じ、フランク人の金髪だわ。わたくしのくすんだ髪の色とは大違い」
デジレは今思いついたというように、手を打ち合わせた。
「そうだわ。実家から持ってきた、この絹のリボンをあなたにあげる。何色がいいかしら? テュルス風の真紅に、レモン色……いいえ。この鮮やかな貝紫のリボンにしましょう。髪に結べば、真冬でも花が咲いたようになって、きっときれいだわ」
デジレはギゼラの金髪を頭の横で編み込み、リボンを花のように飾り付けて結んだ。
幼いギゼラは、大いに喜んだ。
デジレは内心でほくそえむ。
糸紡ぎ用の女部屋に集う、大勢の女性たちが聞き耳を立てていることは知っていた。
黄ばんだ茜や冴えない青灰色の服を着ている女たちに、今の話がどのように聞こえているのか、デジレにはちゃんと分かっていた。
***
(いやあ、ずいぶん深く恨んでいるようですね。幼いギゼラ姫に聞かせるにはどぎつい話で、私もハラハラしました)
デジレは茶々を入れられて、鼻白んだ。
(いえ、お気持ちはお察ししますよ。シャルルマーニュの女好きは本物だ。まあ、私も聞いていて耳が痛かったですがね)
マーリンの死因は、泉の妖精ヴィヴィアンを誘惑しようとしたからだと言われている。
女たらしにろくな人間はいないわ、とデジレは胸のうちで毒づいた。
(英雄色を好むとも言いますが……いいえ、失礼しました。そう怖い顔をしないでください。かわいい顔が台無しですよ)
デジレは鼻で笑った。とってつけたようなお世辞をどうも。
(お世辞ではありませんが……少し気になることはあります。あなたはよく相手を睨んでいますが、もしかして目が悪いのではないですか?)
デジレは思わず自分の頬を手で覆った。
睨んでいたつもりはない。しかし、見えにくいなと思っていたことは確かだ。
(『怒っているのか』と聞かれることが多いでしょう? それはあなたが無意識のうちに相手をよく見ようとして、目を細めて睨んでいるからですよ)
そうだったのね、とデジレは思った。
まったく知らなかった。ものが見えづらくなったと感じたのは、王妃の仕事が忙しくなって、夜も何かと書き物をするようになってからだ。
信頼できる家族がそばにいれば、デジレの変化に気づいてくれたかもしれないが、あいにくとそのころのデジレにそんな味方はいなかった。
(前回のあなたはシャルルマーニュをずっとにらみつけていましたから、彼からは完全に嫌われていると思われていたんじゃないでしょうか?)
デジレはカッと頬がほてるのを感じた。思い当たる節が多すぎたのだ。
デジレはシャルルマーニュの顔立ちが大好きで、よく見つめていたものだったのだが、ある時期から急に見えづらくなったと思ったら、以前にも輪をかけて避けられるようになって、本当に悲しい思いをしたのだ。
(少し意識して、笑顔を作るだけでも、かなり印象が変わると思いますよ)
マーリンにそう言われて、デジレは頬にそえた手をちょっとだけ持ち上げてみた。
(そうそう、その調子です。かわいらしいですよ)
マーリンに褒めそやされて、少しはにかんだあと、ハッとした。
馬鹿馬鹿しい。別に、いまさらシャルルマーニュなどに好かれても首を絞めてやりたくなるだけだ。
***
リナルドを買い取る資金が調達できたことをシャルルに知らせた。
はじめ、彼はなぜか少しデジレに遠慮がちだった。
デジレはなんとなく恐れられているのを感じて、マーリンの言葉を思い出した。
――彼からは完全に嫌われていると思われていたんじゃないでしょうか?
デジレは引きつりそうになる頬をどうにか制御して、笑顔を浮かべてみせた。
すると、シャルルは飛びついてきた。彼の武装に仕込まれた鉄がしこたま強く当たったが、ぐっと我慢する。
「デジレ! もう怒ってないの?」
「怒ってなどおりませんわ。……そう見えやすいようなのだけれど」
「そっか、よかった」
シャルルはうれしそうにデジレに頬ずりした。
キスは挨拶のようなものだが、それにしたってシャルルはキス魔だ。
唇を押しつけて、しつこく吸いたがるので、デジレは辟易した。
前世があんまりだったせいか、親しげなスキンシップについ苛立ってしまう。デジレは両手を使って、シャルルを強引に引きはがした。
「……だめだった?」
シャルルがしょんぼりしている。
あの恐ろしいシャルルマーニュと同一人物とはとても思えない、愛らしい仕草だ。
デジレは混乱した。彼を見ているとどうにも実家で飼っていた大きな猟犬を思い出す。ひとなつっこくてすぐにデジレに飛びつくところや、金色に近い被毛であるところなど、そっくりだ。
傲岸不遜で常にふんぞり返っていたシャルルマーニュとはまったくの別人であるように見受けられる。
(私としては、こちらの方が彼本来の姿だという気がしますがね。やはり、前世のあれは何かの手違いとしか……いえ、現時間軸の、未開の部族感漂う城の様子も、何かの手違いとしか思えないのですが……)
マーリンが何かよく分からないことをぶつぶつ言っていたが、デジレは無視した。
「とにかく。どうせならリナルドは安く買い叩きたいですわ。不具になった子どもを引き取ってやるのだと言ってやりましょう」
シャルルはぎょっとした。
「……リナルドは完全には治らないの?」
「治りますとも。ただのふりですわ」
「そんな嘘をついて、大丈夫なの?」