妹との噂
「……わたくしの故郷では、そういう男のことを『ろくでなし』と呼びならわしますわね」
「ええ、そうなの!? じゃあどうしたらいいの? 俺のお妃さまスゲーって気持ちが高ぶったらどうやって表現したらいい?」
デジレは開いた口がふさがらなかった。
シャルルマーニュの女好きは前世からだ。あのときは、こうやって口説かれている女の子を、デジレは横でつんと澄まして見ていなければならなかった。あの気持ちを、どう言い表したらいいだろう。夫からまったく相手にされていない妻として、周囲から笑いものにされているような気分だった。実際、女の子たちは少しデジレを馬鹿にしていたように思う。みじめで、悔しくて、泣きたいほど腹が立つのに、それでも心のどこかでいつかはデジレにも平等に愛を与えてくれるのではないかと願わないではいられなかった。
やっと願いがかなったというのに、デジレは少しも嬉しくなかった。ただ、昔のみじめな気持ちがぶり返してきて、苦しいだけだった。
「わたくし、気が多い方って大嫌いなの」
デジレは感情に任せて、強く言った。
「かわいい女の子と見るや誰にでも手を出すような方は願い下げよ!」
シャルルマーニュを突き飛ばして、デジレは自分の部屋に駆け戻った。
***
シャルルは寝ているリナルドの顔を見ながら、ひどく落ち込んでいた。
またデジレを怒らせてしまった、という後悔が胸を占めていた。
そんなつもりではなかったのに。ただ仲良くしようと思っただけだが、デジレはそれが嫌であるらしかった。
怒られて、悲しかったシャルルだが、あまり反省はしていなかった。たまたま虫の居所が悪かったのだろう。また機嫌が直ったら、話しかければいい。そんな風に、楽観的に考えていた。
――それにしても、デジレはかっこいいなぁ。
小さな彼女が、意気だけでエイモンを圧倒していた。
自分の名前を堂々と名乗り、『何事か』と誰何する威厳はどう見ても王様のそれで、小さな彼女を山のように大きく、強く見せていた。
まるでシャルルの父、ぺパンのようだ。
父王は背こそ低いが非常な怪力の持ち主だ。ライオンの首を剣のひと突きで刺し殺してみせたこともある。
シャルルは珍しい動物が大好きだったので、ライオンが可哀想で仕方なかったが、それでも、それ以降、周囲の見る目は変わった。父王の軍に頼らなければならないほど弱いくせに、父王を小男だと侮ったローマの人たちも、それからは決して父王を馬鹿にしたりはしなくなった。
勇敢な人間は、それだけで尊敬に値する。
デジレを見ていると湧き上がる気持ちは、父王への尊敬に近かった。
母親のベルトルートのようにおとなしい娘だなんて、とんだ見誤りだ。デジレはあの小さな体に、獅子の心を宿している。
あんな風に自分も振る舞えたら、どんなにいいだろう。
シャルルはデジレを尊敬しつつも、少しライバル意識を燃やしていた。
***
デジレは自室で、ふんふんと鼻歌を歌っていた。はるか遠い故郷で、毎日のように歌われていた糸紡ぎの歌だ。デジレも、暇さえあれば糸をつむいだり、刺繍したりしていたものだ。
現在、デジレの手元には大量の金貨がある。
これが剣五本の収入とは、なんと高く売れたものだろう。
フランクの刀剣は質がいい。良質な砂鉄の産地を押さえているからだ。彼らはこの鉄で強い武器を作り、馬具をそろえて騎兵隊を作っている。
もちろん彼らも武具が優れていることは承知しているので、輸出は基本的に禁止されている。敵国が強い武器で攻めてきたら、自分の首を絞めてしまうではないか。
だから、ただの長い鉄の塊がこんなにも価値を持つ。
フランク人にとって最も貴重な財産を売り渡したのだから、この金貨の山もうなずけた。
いい気味ね、とデジレは思う。
彼らの武器を盗み取って自分の懐に入れるのは、彼らを弱体化させ、デジレの国を富ませる、一石二鳥の作戦といえた。
もっとこういう作戦を考えて実行に移さなければ。
幸い、いくつか心当たりはある。
(おや、何をするつもりなのですか?)
マーリンが、女ものの小道具をそろえているデジレにそんな風に声をかけた。
デジレは上機嫌に返事をする。
蛮族どもに、恥と慎みを教えに行くのよ。
それから、虚栄の甘い美酒をね。
***
デジレは糸をつむぐための女部屋、『織り抗』に向かった。
半地下の空間は昼でも薄暗く、湿気の多いガリアの土地のおかげでひんやりしている。ここで糸を紡ぐことで、織物が乾燥しないようになっている。
階段を降りていくと、先客がいた。
シャルルマーニュによく似た愛らしい女の子だ。彼女はデジレを認めると、人懐っこくにっこりとした。
「デジレ、もう熱はいいの? 元気になってよかったわ」
デジレはキスを受けながら、お礼に彼女の肩を軽く抱き返した。子どもっぽく垂らした金髪が指先に触れる。指通りのいい、美しい髪だ。
(ギゼラ姫!)
マーリンが歓声を上げた。
ギゼラはシャルルマーニュの妹だ。かつてはデジレの親友だった。
(いやあ、成長後の彼女もそれは美しかったですが、なんとも愛らしい)
デジレは脳裏で、マーリンに黙るよう命じた。伝説上の彼もまた、女グセが悪い男だったということを今更思い出してげんなりする。
騎士道かぶれの男なんてみんなそうだ、とデジレは思う。口では無償の愛だ、見返りを求めない尊敬心だときれいごとを言うが、そのくせすぐに肉体関係を持ちたがる。
――どうせ私は美しくないわ。
デジレが自嘲的にそう考えたとき、マーリンが慌てたような気配を感じた。
(いえ、そんなことはありませんが……比べたように聞こえたのならすみません)
もう黙って、と再度命じて、デジレはギゼラににこりとした。
「ねえ、ギゼラ。またお話をしてあげるわ」
「ほんとう!? うれしいわ、お姉さま大好き」
ギゼラは知識欲旺盛で、異国からきたデジレの話はなんでも聞きたがり、面白がってくれる。なかなか友達ができないデジレは、気まぐれにこの娘の世話を焼いて孤独を紛らわせていたのだ。
縁が切れたのは、彼女がシャルルマーニュとおぞましい罪を犯していると気づいたときだ。
彼らは近親相姦の関係にあった。
(それは、本当なのですか?)
なぜかマーリンが驚いている。
変な男ね、とデジレは思った。何でも知っているような口ぶりで人のすることに注釈を入れるくせに、どうしてそんなことも知らないのよ。
(いえ、伝承のひとつにそうしたものがあったことは知っていますが、よりによって、この世界で近親とは……フランク族の法にも教会の法にも触れるでしょう)
わたくしの常識から言ってもおかしいわよ、とデジレは文句を言った。
(シャルルマーニュですよね? キリスト教帝国の普及に務め、誰よりも信心深く、後世からはヨーロッパの父と讃えられたあのシャルルマーニュが、なぜ……)
デジレは困惑した。なぜあなたが後世のことを知っているの。
(やはり、この世界は何かが歪んでいるようです。何が原因なのか……これは目が離せなくなってきました)
なんなのよ、とデジレは思う。いったい何の話なの。分かるように説明なさい。
しかし、マーリンはそれきり黙ってしまった。
「お姉さま?」
ギゼラが不思議そうな顔をしている。ひなぎくのように白い肌と、りんごの色をした頬、つぶらな青い瞳。なんて愛らしい子なのだろうと、デジレも一瞬見とれた。
これほど美しい少女が二十歳になってもなお実家に留まっていたのは、シャルルマーニュが手放したがらなかったからに他ならない。
美しい娘と見れば見境なく、実の妹にさえ手を出す男。それがシャルルマーニュだった。
シャルルマーニュの寵愛は彼女が子どもを産み落としても続き、ほとんど側室のような扱いを受けていた。
正式な妻のデジレは、ほんの数度抱いただけで飽きてしまったというのに。
思い出すだけで胸が張り裂けそうになる。
デジレは彼女に対する嫉妬心が抑えきれず、結局次のようなおとぎ話を聞かせた。
あるところに美しい兄と妹がいた。彼らは神様の教えを破って、愛し合うようになった。すると神様は怒って、ふたりに長い長い責め苦を与えた――