第三区分
自分の事すら満足に出来ず、勿論他人の為になど到底動けず、特に蓋が外れてしまった現状、どうやった所で出玉終了となる夜の帳。
さっぱりアタマが回らない。まるで言葉が選べない。
(美波ちゃんは嫌だろうな)
カラオケ屋のカウンターで鉢合わせたのは光洋硬式テニス部だ。二年部員男女の十数名、ノープランの集団迷子は、オレ達に合流を迫っていた。
「頼むタマ、ご一緒させてくれ。オレら行くとこないんだよ!」
会計を兼ねた宴会部長がこっそりとオレの手を握る。
「予約が外れててさ、こんなに混んでるとは思ってなくてさ」
「やめれキモい!」「そこをなんとか!」
ヤツらは一番ガードの緩いひろのちゃんにも懇願した。
「そっちの費用もオレらで持つから。な、一緒に騒がせて?」
オレは全然構わない。多分ひろのちゃんもこの状況をそれなりに楽しむと思う。でも美波ちゃんはきっと違う。彼女は普通を装っていたけれど、拒否モードなのがオレにはわかる。テニス部の女子の一部の、ほんの一瞬の、目配せとかひそひそ話とか、こう、侮れない気配というか。あーあ、なんでオレ、こういうのに気付いてしまうんだろう。
ただ、美波ちゃんの不愉快オーラは今はヤバい。彼女の同性受けの悪さは初動ミスの積み重ねだろう。ここは是で推したい。大丈夫、この後はひろのちゃんとお泊りだろ、今日の終わりには気分も変わるよ。たった二時間、能天気に笑って過ごそうよ。
(あーもーウゼー)
無駄な気を回す自分がくだらなく思えてくる。
(余裕ない余裕ないウゼー)
後々の学校生活の為にもほら、としつこく美波ちゃんに念を送りつつ、そっと横顔を盗み見る。
(……でも嫌なんだな)
駄目だ。彼女の屈託が手に取れる。何故オレがこんなに美波ちゃんの心配をしないといけないんだろう。
けれどこの場は丸く納めなければ。何しろ皆さんは『愉快なタマちゃん』を求めている。高校入学以来、ずっと培ってきた立場。今のオレはナバと一緒に飛行機雲を追いかけるヲタクじゃない。美波ちゃんの今カレでもない。
大人数で小さな部屋にギュウギュウと入る。
「さーどんどんカマしていこうね!」
マイクを握ってサクサク選曲。そういや硬式テニス部ってイマイチ大人しい奴が多いんだった。取り敢えず上位曲入れてこうか。適当にみんなで歌えるヤツはどの辺りだ?
『愉快なタマちゃん』はせっせと楽しい環境を整える。ひろのちゃんは既に他の女子に混ざっている。
「タマちゃん、これ、ビタミンC配合だって」
行き渡るドリンク、目の前にはオレンジジュースの入ったグラス。気付けば美波ちゃんはオレの隣にいた。
「あ、ありがと」
戸惑ったのは言うまでもない。いつもならあり得ない至近距離。でも決して親愛ではない。彼女にとって最も安全な席が、今はオレの隣なだけだ。
こういう時に中野太一だったらどうしただろう。そうだ。中野太一と一緒だったら、美波ちゃんはどうしていたんだろう。オレと同じ日に生まれた、でもオレとは全然違う中野太一と一緒にいたら。
それにしてもだな、
(テニ男はもう少し気い使えや!)
懇願してきた野郎ドモは、結局内輪の男子で盛り上がる。キミ達って親睦会なんでしょ、幾らシャイでもさ、もうちょっと女子とさ、てかオレに丸投げすんな。
(アイツら使えねえ!)
ほらほら、テニ女のお嬢さん達が固まってんじゃん。学祭で盛り上がった曲を入れる。マイクを渡す。
「はいはい歌って飛ばして、まずは部長さんからー」
声がガラガラする。ひりひりする。室内が乾燥している。暑いのに寒い。
テニ女の皆さんも身内で固まりがちだけど、ひろのちゃんとはワイワイ過ごしている。何しろみんなが興味シンシンのダブルひろのだ。これを機に恋バナを根掘り葉掘りかな。
(ゴツいヒロノも爽やかリア充だもんな)
華やかなヤツは何してても目立つからな、話のタネになるもんな。
華やかなヤツ。ナバも小学校はサッカー少年で中学からは陸上部、県大会でも注目された。そういうヤツって大概タフだ。どんな時でも自分の感情を上手く操る。今のオレと同じ状況に陥ったところで「抜け出そうぜ」と誰かと二人、面倒から逃げ出す度胸もあるだろう。屈託無く笑いながら、イルミの光るコンコースを渡るだろう。
母校の中学は男子は運動部に入るのがデフォで、オレは嫌々バトミントン部にいた。もちろん補欠。高校は絶対に気楽な文化部に入るって決めていたクチだ。
あーあ、ホントにもう。高校に入学してまでメジャーなスポーツ張れるヤツって、結局体力あるっていうか、生存競争の勝者っていうか、男の種として上位っていうか。だけどこのテニス部男子だけはそこには入れない。今日の丸投げブリはフザケンナ感満載だ。
やっとみんな打ち解けて、予約の二時間が終わった。
(ヤバい)
オレやっぱり熱があるかも。フワフワになりながら盛り上がる曲を全員でガナって三分オーバーして、カラオケタイム終了。さあ終了。昨今の不況は何処へやら、冬休み突入のカラオケ屋のフロントは学割のコドモ達で混み合いへし合い、もみくちゃされて外へ出る。
「じゃーなータマー」「ありがとうなー!」
結局きっちり盛り上がれる運動部って能天気だ。テニス部の面々は晴れ晴れと帰途についた。
ショボいイルミがチカチカ光る我が街並み。オレは美波ちゃんと二人、ひろのちゃんの用事が終わるのを待つ。
「ひろの遅いね」「うん」「ゴツいヒロノと電話かな」「うん」
吐く息が白くてしんしん寒くて、返事が上の空になっている。ふうふう。はああ。これはいつものオレと違う。
(やべえ)
いつもと違った。気付いてしまった。この上の空は『美波ちゃんと一緒で嬉しい』からじゃない。
(はあ、もう)
解放されたい、解放されたいんだ、もう。解放されたい。
(勘弁してくれよ、もう)
通り過ぎる人が全員リア充に見える。この状態からもう解放されたい。がちでヤバい。オレのブレーキ壊れたかな。解放、解放。解除。任期満了。
「やっぱ今日の街なかはカップルが多いね」
何てことない言葉にも棘を指す反応、敏感。
「そうだな、こんな日は美波ちゃんも本当に一番好きなヤツと過ごしたかったよな」
過敏。神経衰弱。
「オレ、中野と誕生日一緒なのにな、全然違うしな」
いや、降格。美波ちゃんの様子が変わったのがわかった。反応。過敏、瞬殺。なんだこの冷気。 なんだこの肩の重み。
(は、でもわかっちゃった)
なんだろオレの今日の第六感。オーラが読めてしまう霊感。今夜は美波ちゃんがこんなにもわかる。一切触れてもいないのに、手に取るようにわかる。
(はは、でも、とうとう言っちゃったよ、オレも)
やっぱそうじゃん。代替の長、タマちゃんは誤魔化せませんよ。美波ちゃんのその顔、その表情。まだ中野太一が好きじゃん、めっちゃ好きなんじゃん。つまりあの時の城穂男子も代替候補だったのですね。脳内に響く乾いた笑い。もうオレ、どうしようもねえな。
(冷気じゃねえよなあ)
隣から押し寄せる美波ちゃんから来るコレ、怒りのオーラかな。
「何、怒った?」
オレも熱い、額熱い。
「なんだ、図星で怒ったんだ」
もう、ブレーキ効かねえな。
覚めた目で隣を見る。切れ長の綺麗な目が怖い顔をしてオレを睨む。
「何、それ」
横に流した長めの前髪から覗く表現力たっぷりの、長い睫毛。
「何で太一の話が出るの」
声がかなり、いつもより低い。普段は美波ちゃんはこういう声なんだろうか。ご家族とか、ひろのちゃんと本音で喋る時とか。
「うは、怒った」
「当たり前でしょ。タマちゃん無神経すぎ」
どっちが無神経だよ。ぞくぞくする。オレってMかしらん。ぞくぞく寒い。ははは。額熱い。頬も。
「そう、無神経」「そうだよ」「でもそうだろ」
ちゃんと立てば胸を張れば、オレの方がほんの五センチ、彼女より背が高い。
「オレはいつでも美波ちゃんの寂しいスケジュールの穴埋め要員だろ」
かろうじて見下ろせるな。そうか。見下ろせたんだな。
美波ちゃんの表情もよくわかる、ストレートに様子がわかる。めっちゃ強張っている。だけどもう顔色は伺わない自分。観察する確認する把握する。
「でもさ、」
急上昇、異常、異状、イジョウ、どっちだ、異状、こっちか。
「オレは中野じゃない。退屈の埋め合わせはもう勘弁な」
もうブレーキねえな、容赦ねえなオレ。言葉選べねえな。
何故今まで冷静に美波ちゃんを見られなかったんだろう。
(そりゃあ、オレの方が立場が弱いから)
惚れた弱みだ。いつも彼女の様子を伺っていたから。無条件で受け入れるのが当たり前だと思っていたから。下手に出ないと仲良くなんてして貰えないと、ずっと確信していたから。
何処で。自分のコンプレックスで。そして、無意識であろう彼女から滲み出る態度で。百均でモノを買うように「取り敢えずタマちゃんでいっか」と、間に合わせで都合をつけている所作で。
だけど的外れではなかっただろう。オレは体のいい歩ゴマ、そうでなければ彼女は歯牙にも引掛けなかった筈だ、オレの事なんか。
美波ちゃんの口がゆっくり開く、何かを言おうとする。それ、エア甘噛みだったらエロいのに。
(あーあ、もう、)
本音って一番相手に届くんだな。下手に言葉を選ばない方が、ダイレクトに届くんだな。
さあ、美波ちゃんは逆切れするでしょうか。
「そんなこと、ない」
そんなことないと美波ちゃんが震えるように言った。
「そんなことない?」
そんなことはないでしょうよ。でも気付いてないでしょうよ。震えているのは寒いからじゃないよね。震える声は自分に嘘をついているからだよね。本当は誰のそばにいたいのか。本当はどうしたいのか。本当の気持ちはどこにあるのか。
「嘘ばっか」「嘘じゃない」
また美波ちゃんが震えるように言う。
「そう、嘘じゃないんだ」
「そうだよ。嘘じゃないよ」
また嘘ばっか。口の粘膜が熱い。耳の下もジンジン痛い。ホント勘弁してほしい。でもそうか。『オレを利用している』件が嘘じゃないのか。賢く誤魔化してきたつもりが全バレしてて、取り繕えなくて動揺してるのか。それは困ったね。だけど美波ちゃん、オトコだって馬鹿じゃないですよ。馬鹿なフリしてるだけなんですよ。はあ、オレ何やってんだ。何やってたんだ。お人好し。どアホウ。
オレは美波ちゃんの狡くて賢い所が嫌じゃない。綺麗で冷たくて、でも本当は不器用な所が全然嫌じゃない。自分の計算高さをわかっている、感情よりも理性を優先させる合理性。でもそれがふいに空回りする不安定さ。すげえ嫌じゃない。全然嫌じゃない。
なんでこうなんだろう。こんな自分勝手で我儘な女の子の事、自分、今まで、体よく利用されてすげえ酷い事されてるのに、なんで彼女の辛さとかわかって、なんで怒れないんだろう。
わかりすぎて辛い。気持ちがわかりすぎて辛い。そんな美波ちゃんが今、本当はすごく自分を殺している事。中野が好きな自分の気持ちに蓋をしている事。そんな所までわかるから、すごく辛い。
いや、オレが辛い。ずっと辛かった。いつもいつも気付いていて、オレは辛かった。アタマが痛いなあ。
「美波ちゃん、不器用すぎ」
ホント、マジで不器用すぎるよなあ。こんな女の子をいいと思う、オレはめっちゃ阿呆だなあ。
「でもこういう残酷なこと、もう二度としないでくれ」
やっぱ、すげえアタマ痛くて、額も頬も首も熱い。だいぶ重症だと思う。
結局風邪で寝込む羽目になった。熱にうなされている間、オノレの愚行にもうなされた。
(オレはあ、美波ちゃんにい、何を言ったんだああああああ)
恥ずかしい記憶の断片に襲われ、半端ない羞恥心に潰されるのだった。
その忌まわしい記憶は容赦無く、のべつ幕無しにオレを襲う。襲われる度にオレは「ギャー」と叫び、そのまま部屋中をローリングして机に激突、ベッドからもことごとく落下した。
ずっと消えないのはクリスマスイブの美波ちゃんの表情で、その姿ははっきりと、ぐっさりと傷ついていて、
(何をやらかしたんだああああああ)
思い出して再び転がる石と化す。
物心ついた時からオレは、誰かに向かって意識して毒を吐いた記憶が無い。関わる殆どの人にオットリだと言われ続け、つまりあの時の自分が初の意思表示というか、我慢ダム決壊のヒステリーというか、短絡的というか、
(うわあああああ)
果てしない後悔の渦に揉まれ、またローリングで悶絶。
美波ちゃんに関しては最初からめっぽう短絡的だった。入学式で初めて美波ちゃんを見かけ、その三日後に廊下ですれ違いざまに衝動的に、本当に衝動的に、
「ひと目ぼれしました。付き合ってください」
そう口走っていたのだ。
あの時は驚いた。自分が無意識に行動するなんて思いもよらなかった。オレは決して軽薄ではないと信じていたし、漫画や小説でそういうシーンを見る度に、そんな事あるのかよってバカにしていたクチだ。
だのに、そういう事が、本当にあった。
だけど口走った相手が美波ちゃんでよかった。モテた時のお作法をわきまえた、美波ちゃんでよかった。彼女は驚いた顔でオレを見ると、その後丁寧にオレの愚行を受け止め、
「まだお互いをよく知らないから友達になろうよ」
そう言って華麗にオレに平常を促した。そして「玉木君ていうんだね。じゃあタマちゃんって呼ぶね」と、綺麗に笑った。
あの時からオレは進歩がない。無意識にまたオノレの欲を垂れ流しただけじゃないか。ああ、誰かオレの事を殴ってください。衝動的に告白して衝動的に突き放すオレを誰か殴ってください。穴があったら入りたい。元々男子は穴には入れたいモノだけど、今ならもれなく自ら穴掘って速攻で潜ってミイラになりたいっていうか、さっさと菌に分解されたいっていうか。
大晦日の家族のお茶請けは、先日行きそびれた部内日帰り旅行のお土産だった。部長なのに病欠したオレを不憫がって、みんながその地の特産品である栗羊羹を一棹買ってきてくれたのだった。ぶっとい栗棹とは何の例えだろう。母に出来るだけ分厚く切ってもらう。出来るだけ濃い日本茶でソレを流し込む。
「そういえば稲葉君、手術したんだってね」
母から飛び出した言葉と栗にむせた。
「は、ナバが、なんで?」
手術って、事故か、それともどこか悪かったのか。聞いてねえぞ。いやいや、ずっと連絡してなかった、けど、何があったんだ。
「いやね、この間のお茶飲みの時に聞いたんだけど、なんでも稲葉君、秋の新人戦の時に左の足首捻挫したんだって。捻挫って骨折よりタチが悪いでしょ、陸上部のエースだからずっと無理してたらしいよ。でももう騙せなくて、この冬休みにちゃんと治して春のインターハイ予選間に合わすって」
母の説明を聞いて祖母が残念がる。
「まあ大変ね。でもそれだと今年の新春市内駅伝には出ないのね」
「来年は受験だからこの冬で見納めだったのに、寂しいわよね」
ナバの走る勇姿は眼福なので、近所のオバサン達も楽しみにしていたのだ。
オレは頭の中が白くなる。
(新人戦の時に怪我?)
それならこの間の航空祭の少し前だ。
(じゃあ、あの時はもう)
気が付かなかった。会っている間にもびっこを引く様子はなかったし、休みの融通が利く時期だと、ずっと信じて疑わなかった。かなり辛かったんじゃないか。
「トオル、ちょっと」
母に湯呑を一緒に片付ける様キッチンに呼ばれると、小声で聞かれた。
「最近は稲葉君に会ってないの?」
「いや、なんで?」
「稲葉君、怪我もなんだけど、秋口に部内でも揉めたらしくて」
「そっちもか!?」
瞬時に小中学時代の感覚に戻る。
「どこからそんな話」「稲葉君のお母さんから直接」
母も真面目な顔をする。
「冬休み前にお母さんとばったりモールで会って、久しぶりだねってお茶したの。その時に『あの子また誰かとぶつかったみたい。昔からちゃんとお友達でいてくれたの、トオル君だけだわ』なんて話してて」
母親にまでバレる程に派手にやらかしたのか。
「稲葉君モテるでしょ。どうも後輩のオンナノコ絡みらしいけど、なんでもぶつかった相手が学年でも厄介なボス格だって。お母さんすごく心配してたの。稲葉君はオトナから見ると素直でとってもいい子だけど、昔から腹の有るタイプの同級生に睨まれやすいからね、それで」
「……ナバ進歩ねえな」
昔っから変わらない。それに昔っからこうやって、オカン同志で相談し合うのも変わっていない。ヒトの営みだから仕方がないが。
「でも大人からしたら稲葉君の方が良い子よ。裏表無くて真っ直ぐで。他の東高の人から聞く評判だって決して悪くないし、学校を出れば稲葉君の方が好かれるわ」
世間ではそうかもしれなくとも、今オレ達が所属するのは同世代だけの小さな生け簀だ。長所は裏返すと欠点だ。短所過ぎる。
ずっとイタイのを我慢して学校生活を過ごしていたのか。足も気持ちも、ずっとキツかったんじゃないのか。
(だったら零せばいいじゃないか、だったら!)
それはそれで腹が立つ。何カッコつけてるんだ。ナバはいつもそうだ。いつもいい事しか言わない。自分に不利な事は、一切言わない。
ナバが高校でも陸上を続けているのはひとえに将来の為、航空学生に向けての体力作りだ。ナバのそういう地道な所も実は尊敬している。同時に自分の曖昧さへのコンプレックスにもなっている。
(バカかアイツは!)
怪我に至る経緯だって何が有ったか分かりゃしない。
(ナバも光洋を受ければよかったんだよ、入れたんだから!)
はっきり言おう、光洋より東高の方が、校風が荒いんだ。光洋だったらナバのキャラは「天然ちゃん」で片付いた。裏で陰口は言われても、少なくとも表向きには揉めたりしない。でもそんなタラレバ話は今は何の役にも立たない。
今頃ナバは忸怩たる気分でベッドの上だろうか。でもだからと言って、自分からナバに歩み寄ろうとする気持ちは、オレにもまだない。子供染みた意地だが、オレも今は疲れている。優しい顔をすると誰でもつけあがる。受け入れてもらえて当たり前で、それが当然という顔をする。
(あ、)
でも一瞬美波ちゃんの顔が浮かび、別の痛みがオレを襲った。放った矢がオノレに。そう、オレ達二人は進歩が無いのだ。カテゴリーは違うけど。
(くっそ、ナバもオレも馬鹿!)
アタマを掻きむしる。情けなさにウンザリする。でも何も出来やしない。特に今の自分には何も。
とにかくナバは尾羽打ち枯らした姿をオレに見られるのだけは嫌な筈だ。全力でオレに見栄を張りたいだろう。それだけは明白だ。
時間を空けようと思う。オトコの沽券というか、眉間に皴三昧というか。
薄い見栄を置き去りに時間は進む。風邪を引きずりながら新年を迎えて、新学期は始まる。
ズルズルと駅前のコンコースを渡る。駅前のイルミは二月いっぱい飾るらしく、だけどそれは朝方見ると電飾の配線がみすぼらしくて、見てはいけないモノを見た気分になる。街が抱える駅前の人口空洞化、それこそ尾羽打ち枯らした街の姿。
「おーす、ターマ!」
背中でデカい声を拾う。ゴツいヒロノに会う。
ゴツいヒロノは飄々としたいい奴だ。胸板の厚いサッカー部の猛者で、誰とでもどんなヤツにでも平等に接するマイペースなナイスガイだ。
そのヒロノと並んで登校するヒョロいオレ。薄い朝日はビルのショーウインドーを鏡にかえる。現実を写されると辛い。デールさん達が出来上がった格好よさとすれば、ヒロノはまさに十代リア充、威風堂々。いいなあ、ヒロノもかっけーなあ。
思い出した。クリスマスイブの時、この歩道で『チップ』さんに会ったんだった。ナバにそのことを言ったらどんな顔をするだろう。ナバも光洋に入学していれば、どんなに楽しかっただろう。
「タマは冬休み何してた?」
ああ、ヒロノの発声って明るいなあ。
「オレずっと風邪ひいてたよ。なーんにも出来なかった」
「うわ、気の毒だったな」
風邪の神様でさえ、リア充は避けて通る。横目でヒロノを盗み見る。制服越しにも筋肉が判って、鼻筋や顎のラインがシャープで、精悍な雰囲気があって、重い荷物も複数楽々運びそうで、
(いやもうマジかっけーよ!)
こいつは小さいひろのちゃんと一緒の時はどんな顔して過ごしてるんだろう。
「そういやタマ、年末に格好良かったらしいじゃん」
「はい?」
見惚れていたら、恰好良いヒロノからよくわからない単語が飛び出しましたよ。
「誰が恰好良いって?」
「や、だって」
ヒロノが悪戯っぽくニヤリとした。
「なんでもあの、いつも人を食ったような大庭美波にバシッと決めたらしいじゃんか」
「は、大庭美波にバシッと決めた……?」
バシッと決めたのって何だっけ。思い当たるのは多分、クリスマス。何故ゴツいヒロノが知ってるんだ。
不可思議な汗が額に滲む。あの時、誰かに見られていたのか。それとも、ああ、そうか。美波ちゃんはあの後、ひろのちゃんとお泊り会をしたんだった。
(きっとその時に小さいひろのちゃんに伝わって、それがこのゴツいヒロノに)
オンナ友達の間にカップルの間に、守秘義務なぞまるでなかろう。きっとそうだ。美波ちゃんは怒ったんだ。
(そうかあ、怒ったんだあ)
こらこらこら、なんでここで落ち込むんだよオレは。自業自得じゃないか。
(ああそうだよ、もう美波ちゃんとは前みたいに仲良くは出来ないんだよ……)
こらこらこら、だから自業自得じゃないか。なんて女々しいんだオレ。女々しいと書くこの表現は、往々にして男子に使われるモノだ。女子は雄々しいモノだから。
だがその後のヒロノの言葉は予想の斜め上だった。
「よかったな。タマ、大庭の目を覚まして。他人に言い様にされないで自分を守れて。凛々しいな」
タマちゃんは混乱した。話がデカくなってるし、褒められるような立場ではない。待って、ゴツいヒロノ、君はどこからその話を聞いている?
ゴツいヒロノはオレの顔付きを見ると慌てて「あ、余計な話だったな、ごめん」とかわし、
「オレ、昔から太一と仲良いんだよ」
オレ等の間に冷たい何かが落ちてきた。新年の朝日と風。黙ったオレにゴツいヒロノは続けて言う。
「タマが気にしていたのなら悪かった。この話、オレはここで終わらせるし、太一も誰にも言わない。アイツらも何も。なんも変わらんから気にしないでくれな」
短い台詞に、中野太一と美波ちゃんとの接触が見えた。オレは益々固まった。ナニこの胸の内。だがオレはどうこう言える立場では無い。
ゴツいヒロノはどう受け止めたのか、
「タマの事聞いた時、オレ、マジで格好良いなって思ったんよ。詳細は知らないけど、とにかくオレの中でのタマは漢だよ」
うっかり泣いてしまいそうな台詞をはいた。とんでもありませんよ。オトコなんてあげてませんよ。オノレの矮小さに消えたくなる。コンプレックスというものは、いつでもどこでも過敏に反応するものである。
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