【第九十八話】氷の軍勢 6
第七戦。
「『魔王』は汝に夢中でな。『悪』の布教は『悪魔』の管轄だというのに働かんで、こちらとしては迷惑しておるところだ」
『氷王』ユミルは険しい表情になる。
『氷界』と『炎界』は、『魔界』の存在意義によって成り立つ。
『魔界』が乱れれば、『氷界』と『炎界』のバランスもおのずと崩れる。
「死んでくれんか?」
ユミルの形成した氷の礫は、『元魔王』に一直線――
「………穏便に済ます、という考えは無いか」
聖剣『アスンシオン』。
筧が麻央の前に立ち、魔法障壁を張って防ぐ。
「……筧くん」
「『勇者』か……何故、そやつを庇う? 汝等の敵であろう?」
「………彼女は死を以ってその罪を償った。『氷王』ユミル………あなたはそれ以上の事が出来るか」
「まだまだ、お子様のようだな。死が最大の贖罪とは限らん。死とは、時に逃避となる。最も許されざる道へのな」
『氷王』は『元魔王』に目を向ける。
「だからこそ、それを許さんかった者に救われた……違うか?」
「違う」
『勇者』は即答した。
「彼らは『魔王』が死ぬ事を許さなかったのでは無い…………『友達』を失う事を拒んだ」
コードネーム『ガーネット』。最強の『勇者』は、眼鏡を外す。
「だからこそ、ボクも拒む」
『アスンシオン』を構える。
「今のボクの敵は、目の前に居る」
「……小童が」
筧は駆け出し、ユミルの脚を狙う。
敵は『巨人』。魔獣と戦いでもしない限り、体格差という点で負けることがない相手だ。しかし、体が大きいということは、それだけ攻撃も当たりやすいということ。
つまり、『巨人』は最も敵の攻撃を受けやすい亜人種族。
その分、防御面が高くなってるとして、それが聖剣の斬撃を耐え得る物かどうか。考えなくたって判る。
「やれやれ……甘いな」
ユミルが腕を一振りすると、冷気が渦巻き、筧の周辺を一瞬にして氷で覆う。
「近距離戦が危険ならば、近付けさせん……当たり前のことだ」
ユミルはその氷塊を見て――
「……そうもいかんか」
あっさり氷を破って突進してくる『勇者』から離れる。
「……むっ!」
だが筧の方が少し速く、足首を左手で掴まれる。
剣を振り下ろされる前に、何とか筧を振り落とす。
なかなかやる――そう言おうとして口を開こうとすると、
「………? ………!?」
声が出ない。
いくら口を大きく開けても、何も出ない。ただ、息が漏れるだけ。
「『沈黙化』………ボク個人の能力。………直接、触れた相手を沈黙させる」
『勇者』は、剣を構える。
「魔法・魔術には詠唱が必要………即ち、沈黙とはそれらの封印を指す」
『氷王』は黙ったまま目を丸くした。
「………終わりだ」
『勇者』は跳躍し、剣を『氷王』の脳天めがけて振り下ろす。
そして―――
筧の体を氷の槍が貫いた。
「……え?」
麻央が声を上げた。
「………か……は……ッ」
空中で体勢を崩した筧に、更にユミルの裏拳が繰り出される。
吹っ飛ばされた筧は、そのまま地面に墜落する。
「筧くん!」
麻央が駆け寄る。
「ん、あー……声は出るようだな。どうやらその『沈黙化』の能力、効力持続には意識集中が必要のようだな」
ユミルは自分の喉に手を当てて、調子を確認する。
「『巨人』とは摩訶不思議な種族だ。人外の『存在』というにも関わらんで、『人間』と同じ様に個人の能力を有する」
ユミルは手の平から氷の槍を出現させる。氷魔法第六番の三『テラ・スピア』だ。
「余個人の能力は『詠唱不要』。口を開かんでも魔法の行使は可能」
ゆっくりと槍を二人に向ける。
「余は騒ぐ者でな。黙っている訳にいかんのだ」
「……よくもっ………!」
『元魔王』は怒りを露わにする。
「そやつに放った槍は、触れた者を凍て付かせ、朽ち果てさせ、死に至らしめる。他を破壊するしか能の無い汝に、そやつを救う手は有りはせん」
『氷王』は手に持つ槍で刺突を繰り出す。
対して『元魔王』は、『ハデス』で突いてきた槍を破壊する。
麻央は唇を噛む。
確かに、ここで敵を倒したとして、筧を助けることに繋がらない。自分の能力では、彼を助けることが出来ない。
どうすればいい。
自分一人の力じゃ、何も―――
「麻央さんだけなら、ね」
どこからともなく、声が聞こえた。
その声の主が誰か、麻央にはすぐに判った。
「でも、今ここに居るのは、彼女だけじゃない」
『彼』の声が響き、氷のドームが割れていく。音をたてて、崩れていく。
「ここには、みんなが居る」
「……秀くん」
いや、それだけでは無かった。
トモダチも、ヒナも、篭も、『勇者』の二人も、クミも、神谷や他の教師達も、クラスメイトも、みんながそこに居た。
「……副官は皆倒されたか。情けんな」
『氷王』は一人、溜め息を吐く。
「この結界の術式と氷魔法の魔力結合は強力。結界そのものの強度は堅固。しかし、結合配置のパターンは極めて単純。結合分離による崩壊誘発は造作も無い」
結界を破った本人であろうネルが、無表情で淡々と述べる。
「『氷王』ユミル」
秀が重圧を放った状態で問う。
「覚悟は、出来ているか?」
「…………」
ユミルはしばらく黙る。そして、
「いや……止そう。流石に、この人数相手は体が持たん。それに………」
ちらっと、クラスの一人の方を見る。
「『最強』の倅と戦うのは、気が進まん」
高田 優は、ギクッとなる。
その場に居るほとんどは、何のことか分からない。
「『元魔王』、『決定者』、それから他の者共よ。今日の所は退こう。次は………」
ユミルは、にやりと笑みを浮かべる。
「決着を付けよう」
そして、姿を消した。