【第九十六話】氷の軍勢 4
表と裏。光と闇。
いつも、二人だった。
だからこそ。
私は一人だった。
「ぼくと彼女は、造られた『存在』。ぼくは『陽』、彼女は『陰』。それぞれ役目を持たされた『存在』なんだ」
南条君は続ける。
「ぼくたちが生みだされたのは、6年前の『世界の節目』がちょうど終末に向かった頃。不安定だった世界の調和をとるために、ぼくは『善』に、彼女は『悪』に就いた」
「調和?」
「ぼくたちを造った『存在』が、そういう役目を持ってたんだ。知ってるかな、『夜摩天』っていうんだけど」
『夜摩天』。あまり聞き慣れない言葉だ。
「まぁ、その名称はあまり一般的じゃないね。もう一つの名だったら知ってるんじゃないかな?」
南条君は、少し間を置いてから、口を開く。
「彼岸において死者を裁く、黄泉の主。世の戒律を定める『神』の一柱―――」
まさか。
「地獄の閻魔大王・ヘル」
「…………」
正直、話の規格がでかすぎて、にわかに信じ難かったのだが、こんな時に嘘を吐く必要も無い。
全て真実なのだろう。
「閻魔様からの使命がほとんど終わって、命を受けていた頃の名前を捨てて、自分たちで名前を付けた。それが今のぼくら、南条 陽介と不知火 噤なんだ」
「……なるほどね」
これで、色々と合点がいった。
「噤は、それまで闇の中で生きてきたんだ。自由になったからと言って、この学校を自分の居場所だと認識するのが難しいのかもしれない。『陰』として生きることが自分の有るべき姿だと、そう思ってるのかもしれない。でも………」
南条君は顔を強張らせる。
「彼女の心は、『悪』に染まってなんかいない」
そう言った。
僕も薄々そんな感じはしていた。
彼女はあまり感情を表に出さない人だが、彼女の行動を思い返してみれば、大体分かる。
ついさっき、彼女はあの場で僕を殺さなかった。
それだけで充分だ。彼女は『悪』に染まっている訳ではない。
ただ、手を貸しているだけ。
それが彼女の存在理由だから。
だが。
僕は、一つ引っ掛かっていることがある。
それならば何故、彼女はあんな………
「はい。これで傷は多分大丈夫」
「え、あぁ……ありがとう、うん」
いつの間にか、傷口は完全に塞がっている。まぁ、元々そんなに深くやられてはいなかったのだが。
「そうだ、もう一つ君に言っておくことがあった」
「?」
「ぼくと噤の能力のことだよ。閻魔様が、ぼくたちに授けた力」
慌てた様子で南条君が言う。
「ぼくは『陽』として、『光』と『炎』。噤は『陰』として、『闇』と『氷』の本質を引き出す能力を持つんだ。それで、その本質っていうのは―――」
言葉はそこで途切れた。
南条君は固まったまま、視線を僕の後ろの何かに向けていた。
いや、何かなんて言う必要も無いだろう。
僕は、後ろを振り向いた。
「……やっぱり来たか」
「――――」
部屋の入り口。『陰』は、凄まじい重圧を放っていた。
潰れそうなくらい、重い。だけど、そんなものに挫けている訳にもいかない。
「あの氷のドームの結界……中に麻央さんが居るんだろう?」
「―――貴方を行かせる訳にはいかない」
「だったら君をぶっ飛ばしてでも、行かせてもらうよ。何せ、騎士だからね」
ついさっき、ヒナさんに言われたことをそのまま言ってみたりする。
「―――そう」
不知火さんは、沈黙に入る。
「……! 秀君、これは――!」
「南条君。その先は多分、言わなくてもいいよ」
僕はさっき、不知火さんに斬られた。何の為す術も無く。
だが、今の南条君の話と不知火さんの能力から推測すれば、あの瞬間移動のトリックは恐らく―――
「――――?」
不知火さんは、目を丸くしていた。珍しい。
でも、どうやら合ってたらしい。
「僕の勝手な推測だけどさ。『闇』の本質は『隠す』こと。『氷』の本質は『凍らせる』こと。声も魔力も隠して相手に気付かれずに詠唱を行い、空間か時間を凍結させた。違うかい?」
多分、違わないだろう。
事実として、何も起こっていない。
そりゃ、そうだ。
僕が彼女の詠唱を『偽り』と決めたのだから。
「……よ、よく分かったね。秀君」
後ろで南条君が言った。
「昔、空間凍結による瞬間移動をやった奴を見たことがあったからね。ちょっと思い出しただけだよ」
あまり思い出したくない記憶ではあったのだが。
「――――」
不知火さんは無表情に戻っていた。
さて、どう来るか。
正直、もう3,4回くらい詠唱されると、『真偽の決定』を使うのがキツくなるのだが、それは向こうも同じなはず。いや多分、向こうの方がキツい。空間・時間の凍結なんてそう連発できるものじゃないだろう。
すると、不知火さんは鞘から剣を抜き、横に一振りする。
「……!」
その動作を見てのことか、南条君は素早く詠唱をする。
えーと、確かこの詠唱は……光魔法第五番の二『メガ・ブライト』。辺りを光で包むという魔法だったはず。
そして次の瞬間、部屋は光と闇に分断された。
何とも奇妙な光景だった。
ある地点までは眩しすぎるくらいに照らされているのに、そこから先は真っ暗。何も見えない。
っていうかあの剣、魔導具だったのか。油断した。
「“闇化粧”……噤の得意戦術だよ。物音も魔力も隠している以上、彼女を認識するには視覚に頼るしかない。……つまり、闇に紛られたら彼女を捕捉するのは不可能になる」
南条君は顔を歪める。
「だからこそ、ぼくの能力で居場所を『照らす』必要がある……けど、日が沈む今の時間帯じゃ、彼女の『隠す』能力の方が強くなる……。どうするか……」
こうしている間にも時間が過ぎていく。
僕に何か出来ることはないか。
魔法を放ったところで当たるはずは無いし、対象が見えない以上『真偽の決定』は使えない。完璧すぎる時間稼ぎ。まずい、八方塞がりだ。
見えさえすれば何とかなるのに。
見えさえすれば―――
ドゴッ!
突然、鈍い音が響いたと思ったら、闇が消え、不知火さんが部屋の入り口から吹っ飛んできた。
僕と南条君は、目が点になった。
「うるさくしないで頂戴。まったく……ゆっくり眠れたものじゃないわ」
不知火さんが飛んできた場所、部屋の入り口に、その人は短いワンピース姿で立っていた。
そうだった、この校舎の保健室にはまだこの人がいた。
「下僕の癖に何やってるのよ。ご主人様の安眠も確保できないわけ?」
夜の王は、酷く不機嫌な顔でそう言った。