【第九十話】文化祭の話 中編
『嗚呼、何と美しき姫君よ。せめて、そなたに別れの口付けを―――』
客席からキャー、という黄色い声が上がる。
僕は口元を引きつらせた。
何だこの茶番は。
隣のクラスで演劇を見ていた僕は、劇が終わってその教室から出た。
いやあ、流石にあの態度は不味かったかもしれない。相手はこちらのためにやってくれているのだから、いくら演技が下手でも少しくらいちゃんとしたリアクションをとった方が良かった。それというのに僕は終始変な顔をしていたのだろう。自分が憎いよ、うん。
それにしても、ああいうのはよくあるもんだね。王子の口付けで姫が目覚める、っていう手の話。
初対面の眠っている女性が美しいからといって、いきなりキスをしようなんて余程の面食いにしか思えないが。
「おっ、秀。やってかねぇか?」
自分の教室の前に差し掛かったところで、トモダチが話しかけて来た。どうやら今の時間帯のお化け屋敷の受付をやっているらしい。そういえば、この時間帯は麻央さんもいたな。
「待ってる客がいないけど、ちゃんと客寄せやってんのか?」
「これでも結構、客は来てるぜ。中が広いから一度に大勢入れてる。おかげで、ただいま待ち時間無しで入ることが出来るぜ」
とりあえず、顔が近い。
どうも、『やって行け』というオーラを全身から感じる。
コイツのことだ。また何か面倒なことを画策しているに違いない。
「断る、と言ったら?」
「愛の言葉を連ねた文を、差出人をお前にしてまーさんに―――」
バキッ
「さあて、挑戦しようか。お化け屋敷。ルールはどうなんだ?」
「……だから顔面はやめろと……」
「自業自得、という言葉を知っているか貴様は」
「……はいはい、知ってるぜ」
トモダチは受付の机に座り直して、ルールを説明し始めた。
「ルールは簡単。制限時間までにゴールまで辿り着くべし。制限時間を過ぎたり、途中棄権したい場合はコイツを使う」
トモダチが僕に例の紙切れを渡す。
「ちなみに、だ。ここのどこかにいる『お姫様』を連れてゴールをすればなんと豪華景品があるぜ」
「『お姫様』……?」
まさか、と思う。
「フッ、気付いたな? 『お姫様』ってのはな……」
トモダチが顔を僕の耳元へ近づける。
「お前の愛しのまーさん、だぜ」
僕は、トモダチの顔面をブン殴った。
「……結局、てめぇは僕をからかいたいだけか」
「……お、お前なぁ……二度目はやべぇって……マジで……」
「自業自得だ」
僕は、お化け屋敷への扉を開ける。
「『お姫様』とか関係なく、普通にゴールしてやるよ」
そして中へ進んだ。
「へへっ、残念だがそうはいかねぇんだぜ、秀……」
秀が中へ入って行った後、トモダチは一人笑う。
「なぜなら、お前はすでに俺の策略にはまっているからだぜ……」
「ちっ」
しまった、謀られた。チクショウ。さっきからまるで人の気配がしねぇ。
あの野郎、麻央さんが一人になるように仕向けやがったか。くだらん知恵が働く奴め。
それにしてもリアルだな、この教室。完全に洞窟にしか見えない。漫画だったら『コオオォォ…』なんて効果音が付きそうな感じだ。
……まぁいい、関係ない。普通に進めばいいんだ。普通に。ここで慌てたらあいつの思う壺だ。落ち着くんだ。
「ひゃあああああああああ!! 暗いのです、寒いのです、怖いのです、助けてくださいい!!」
「ぐえっ」
いきなり何かが腹に突進してきた。って、これは……。
僕はしがみ付いてるソレを引き剥がした。
「はうー……気付いたら周りが真っ暗なのですよー……」
着物を着た少女。例の『付喪神』だ。そういえば『くじ引きBOX』は棚に入れっぱなしだった。
「あー……そりゃ、僕に責任あるかもしれないな」
それにしても、自分が霊的『存在』なのにそれ以上に恐怖を感じるものがあるのだろうか。どうにもこの子は謎である。
「はうー……それにさっきから変な魔力が漂ってるのですよー……」
「『変な魔力』?」
何だそれは。
辺りの魔力を探ってみるが、そんなの微塵も感じない。感じるとしたら、僅かに麻央さんの魔力だけ―――
「フヒヒ! 良い男、見ーつけた!!」
じゃなかったみたいだ。
ローブを纏った女性が、道の真ん中に立っていた。
何だこの人は。
「ああ、久しぶりだよこんな良い男は……。そうだ、今週末に魔宴があるんだ。一緒に来ないかい?」
雰囲気からして魔女だろうか。いや、それよりもいつの間にこんなに近くにいた? 何故、気付けなかった?
「あんた、何者だ?」
「フヒヒ……よく訊いてくれたねぇ。私の名は、ヴァイオレット。ヴァイオレット=リデル=コンスタン!」
魔女の声は、辺りに木霊する。
「この世で最も美しい、魔女の名前さ」
「ひいっ……」
「『付喪神』さん…あんまくっ付かないでくれないかなー……」
どうにも面倒な人に遭遇しちまったようだね、こりゃ。