【第八十五話】職員室のイジメ
放課後の職員室。
この学校は元々教師の人数が少なめなので、一つの部屋に教師全員の机が置いてある。ただ一人、校長を除くが。
「――――以上、報告を終わる」
「ああ、ご苦労」
「では、拙者はこれにて……」
初見はシュバッ、とその場から去る。
「……別に普通にドアから出てきゃいいのに……」
社会科担当教師、神谷 良介は呟いた。
今、初見から聞いたのは学校の警備状況についての報告だ。ちなみに何故、彼がその報告を受けているかというと、単に初見が自分の担当しているクラスの生徒だからなのだが、明らかに自分以外の者がやったっていいわけで、そのことを口実に仕事を押し付けられた感じである。
「どーだったってー?」
隣から体育担当教師の一寸八分が話しかけてきた。
「大した異常は無いらしい。だが……」
あの一件から、この学校は裏の世界では何かと騒がれるようになった。
少し前にこの学校は新学期を迎えたが、心なしか入学者数が減ったような気もする。そりゃ、死者こそ出なかったが、傍から見ればとてつもなく危険な学校である。入学する者は、余程の物好きかどうしようもない事情がある者であろう。大半は後者であろうが。
だが、この学校には入学者とは違って、新たにぞくぞくと集まってきている者がいた。
「人外の『存在』をよく見かけるようになったらしい……」
「……どーゆーことだ?」
「よく分からんが、『幽霊』が敷地内の隅っこでたむろってたり、近くの森の中で『妖怪』が寝てたりするそうだ。あの一件から3日に一度くらいの頻度だ。害は無さそうだから放っておいてるらしいが……」
「珍しーこともあるもんだなー。そーいえば、最近この辺りの妖気や霊気が濃くなってる感じはしたがなー」
そう思い出しながら言った。
「まー、茶でも飲め。大したことじゃなさそーならそれでいーだろ」
一寸八分は、コップを神谷の机の上に置く。
「ああ……まぁな」
神谷はコップを手に取り、中に入っている茶を一口飲む。
「あー、ちなみにそれ校長先生からの差し入れだぞー」
「ブッ!」
盛大に噴いた。
「馬鹿野郎! そんな何が入ってるか分からねぇ物を飲ますな!」
「いやー、校長先生がお前に飲ませろって。それにしても反応面白いなー、お前」
「あんのクソドSがぁッ! 一体、何を入れやがった!」
「あ~あ……鬼ってほんと毒類効かねぇよな。ちょっとは苦しめよ、つまんねぇ」
校長はすでに背後に立っていた。
「いつからそこに居た!? ってか、あんた今『毒』って言ったか!? 何入れやがった!?」
「ゲルセミウム・エレガンス」
「猛毒じゃねぇか、殺す気かッ! ってか日本じゃ採れねぇだろ、どうやって手に入れた!?」
ゲルセミウム・エレガンス。マチン科ゲルセミウム属のつる性常緑低木。
葉っぱ三枚とコップ一杯の水で死ぬと云われる『鈎吻』『断腸草』『シュア・ノーツア(食べれば死ぬの意)』などの恐ろしい別名を持つ世界最強クラスの猛毒を有する毒植物。
「なんか落ちてた」
「んなわけあるかッ!」
しれっとしている校長にますます怒りが増す神谷。
「まぁ、落ち着きな。これでも食って」
校長が指で、ピンッと何かを神谷の口の中へ飛ばす。
それは……
「う……ぐあああああぁぁぁぁ! 熱い! 喉が! 喉が焼ける!」
「今日も一日お仕事ご苦労でした神谷先生。この炒り豆は校長としてあたしからのせめてものプレゼントです。どうぞごゆっくり味わえよ?」
神谷の悲鳴を聞いてニタリと笑みを浮かべる校長。
「校長先生ー、暇潰しもいーですけど仕事は終わってるんですかー?」
と、一寸八分。
「いいんだよ。暇潰しも仕事の一つみたいなもんだ。それに、鬼は頑丈だからイジめ甲斐がある。世知辛いこの世の中だ、楽しいことをしていて何が悪い?」
いっそすがすがしいまでの言い訳である。
「あらあ、大丈夫ですかあ、神谷先生?」
「石上……あんたは天使だ」
「わたしの造ったこの『エリクサー』を……」
「これか? じゃあ早速……」
「Wait! 待て、神谷! ソイツを飲むな!」
神谷が手渡された薬を口に運ぼうとしたその時、ジェイク=ハウスラーが止めに入った。
「何ですかあ、邪魔しないでくださいよお。これは治療ですよお?」
「Shut up! 試作品を飲ませる行為のどこが治療だ、ただの実験だろ!」
「ぬふふ~、身体に悪影響が無いのは実証済みですよお。あなたのお蔭です、ありがとうございましたあ」
「Up yours……!」
「あー……大分、楽になった気がする」
「本当ですかあ。良かったです」
「神谷!? ワタシの忠告を聞いていなかったのか!?」
「いや……だって、試作品だろうがその道のプロが造った薬だろ。多少の副作用なんか俺に効かねぇし、この状態から少しでも良くなるんならいいかと」
「Oh, god……」
英語教師は肩を落とした。
「校長先生、このコップに残ってるお茶もらってもいいですかあ? 今後に役立てたいのですけどお」
「あん? そういうことは飲み残した本人に訊くべきだろ?」
「『飲み残した』ってあんたな………。構わねぇよ、どうせ誰も飲まねぇし、水道に捨てても危なそうだし」
「ありがとうございます。では、わたしはこれ保健室に持って行きますよお」
石上はコップを手に取って職員室のドアに手をかける。
「ああ、ちょっと待て。石上」
「? 何ですかあ、校長先生」
校長は顔を石上の耳に近づける。
「お前最近、変ちくりんな『存在』を保健室に住ませてるよな?」
「! 気付いてたんですかあ……?」
「あたしを誰だと思ってんだ? この学校はあたしの領域だ。一瞬の変化ならまだしも、数週間も居座ってる奴を見逃すかっての」
「あのお……この件に関してはそのお……」
「まぁ、特に害は無いみてぇだしな。あまり言及しないでやるよ。ジェイクにバレたら大変だろ?」
「ヌ? ワタシがどうかしましたか?」
「何でもねぇよ」
校長はジェイクにそう言ってから、再び石上の方を向く。
「んじゃ、そういうことでな。それから、あんま桐谷に無茶させんな? 『吸血鬼』の吸血を毎日受けるなんざ人間にゃ酷だぞ」
「はい、わかりましたあ……」
そして、石上は職員室を出た。
「……待てよ、そういやそろそろ満月だな。もしかしたら………。面白そうだな……少し見物に回ってみるか」
校長は一人そう呟いた。