【第八十三話】保健室に巣食う夜の王
「何のようですか、石上先生?」
「あらあ、桐谷くん。来てくれたんですねえ。良かったわあ、あなたしか適した人がいなかったんですよお」
「『適した人』?」
昼休みの時、石上先生から頼みごとがあると言われた僕は、授業の終わった放課後にここ保健室に来ることにしたのだった。
さあて、いきなり話が見えないな。
「桐谷くんは、Rh-型で確かですよねえ?」
「血液型ですか? そうですけど……」
確かに、僕はB型Rh-……だったはず。日本人は99%以上がRh+型なので、珍しいと言われた記憶がある。随分昔のことではあるが。
「血、採らせて?」
いきなり何を言うのかなこの人は。
「え、あ、その……何でですかね?」
「いやあ、細かいことはいいですから、ねえ?」
細かいことと言われても、注射器片手に近付かれたら嫌でも恐怖を感じるでしょうよ。しかも笑顔がなんか怖い。
「いや……採血っていったって何に使うんですか。新薬の実験ですか?」
「あらあ、そっちにも協力してくれるなら大歓迎ですよお。だからちょっとじっとしててくださあい」
左腕を掴まれ、机の上に押し付けられる。
あれ、何だろう。前にもこんな感じの状況があったような……。というか、がっちり押さえられてて拘束を解くどころか動かせやしない。
恐怖心が募る。
「って!ちょっ、やめ―――」
「なによ、うるさいわね……。まだ夕方じゃないの。こんな早くに起こさないでほしいわね」
不意に、部屋の端にかけてある白いカーテンから声が聞こえた。腕の拘束も解ける。
あのカーテンの向こうは確か、ベッドの置いてある寝室があったな。
シャッ、とカーテンが開き、その人物が姿を見せる。
「あら? チユ、誰よその男」
金髪紅眼の外人少女。外見から判断すると年齢は僕と同じくらいだろうか。容姿はまるで人形がそのまま人間になったかのように整った綺麗な顔立ちをして、見る者を取り込むような不思議な妍艶さを醸し出している。
ただし問題なのはその服装………いや、服装と呼べるのか。白いワイシャツ一枚をただ羽織っただけという、真っ裸より扇情的なんじゃないかと言わんばかりの格好だった。
顔が熱くなるのを感じて、僕は慌てて顔を背けた。
「ああ~勝手に起きてきちゃ駄目って言ったじゃないですかあ」
「別にいいじゃない。で、誰なのよそいつ」
「あなたが要望してた人ですよお」
「へえ……こいつがね」
……? 一体、何の話をしてるんだ。
「ちょっとあんた。私に……」
少女が視界に入ってきた。まだ、あの格好のままだ。
再び顔を背ける。
「なによ、私に刃向かおうって言うの? いい度胸してるじゃない」
ガシッ、と頭を掴まれた。妙に強い。何か嫌な予感がするぞ。
「夜の王を甘く見ないことね。その行為、どれだけ愚かか思い知るといいわ」
アイアンクロー、というのを知っているだろうか。別名、脳天締め。手の平で相手の顔面を掴んだ状態で指先の握力で締め上げるという技だ。
何を言いたいか。僕の頭蓋骨が悲鳴を上げていたのだ。
「だああああああああああ!? いたいいたいイタイイタイすいませんごめんなさいほんとにごめんなさい僕が愚かでしたすいません二度と刃向かいませんごめんなさい靴でも何でも舐めますからああああああああ!!」
「『靴を舐める』?気持ち悪いわね。なに言ってるのバッカじゃないの?あんた頭おかしいわよ」
やべぇ、締め上げる力をさらに強くしてきやがった。これ以上はまずいって。
「うわああああああああああ!! やめてください離してくださいほんとに離してください骨が砕けます骨が砕けますってえええええええ!! 何でもしますから何でもしますから血でも何でもあげますよおおおおおおおおお!!」
「じゃあ、頂くわね」
「へ?」
頭がへこむんじゃないかと思うくらいの痛みが緩んだと思ったら、今度は左の首の付け根の辺りをカプッと噛み付かれた。
一瞬だけ痛みが走るが、よく解らないことに次に感じたのは不思議な快感だった。体も心も凍える寒い夜に暖かい毛布に包まれるような……何とも言い難い快楽だ。このまま眠ってしまってもいいんじゃないだろうか…………ってあれ、ん?
ぷにっと何か柔らかい感触が。
ああ、そりゃこの状態だもんね。触れるに決まってるよね。それにしてもこの距離・角度だとマジで見えそう。ってか何でこの人、前のボタン全開?いや見えるって。マジで見えるって。マジで見えちまうって。石上先生黙ってこっち見てないでくださいよ。
「うわああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
途端に恥ずかしさが襲ってきて、僕はその人を無理矢理体から引っ剥がして素早く離れた。
「ちょっとなによ。ここからいいところなのに、勝手に暴れないでくれる? 血が零れちゃったじゃない」
指に付着した血を舌で舐め取ってる。あれが僕の血だと思うと何とも恐ろしい。
「汚れたわね……チユ、これ替えてくれないかしら?」
何を思ったか血で汚れたワイシャツを脱ごうとし始めた。理想的と言えるようなスタイルをした身体の露出度が、元々ゼロに等しいというのにさらに増す。ああ、駄目だ。この人、上も下も下着を着けていないんだって。
「とにかく、服を着てくれえええええええ!」
「私の名前は、ミラーカ=カルンスタイン。夜の王、『吸血鬼』よ」
やっとまともな服装になって、ミラーカという少女はそう言った。
……いや、まともと言っても『さっきよりは』というだけであって、適当に薄いTシャツと半ズボンを着けただけで、下着は着けてないので体のラインがくっきり出ていて、とても直視できたものじゃない。
疲れるなぁ、この人。もう泣きそう。
「ついこの間、迷い込んだのか学校の敷地内で弱っていたのでわたしが保護したんですよお。『吸血鬼』の治療なんてしたことないので、大変でしたけどお」
「その治療として僕の血を飲ませた、ってことですか? ……でも『吸血鬼』が血を吸うのは、その血に含まれる魔力を取り込むためでしょう? 血液型の適性なんてあるんですか?」
貧血気味の頭を働かせて喋る。くらくらしそう。
「単にRh+型よりRh-型の方が美味しいからよ。ABO式なんてどうでもいいけど」
「…………」
命が関わってるのに、味の好みを気にするのかこの人は。治療する必要ないんじゃないか?
「でも安心したわ。こうしてちゃんと見つかったんだもの。今日からあんたは私の下僕よ、下僕。毎日、ここに来なさい。いいわね?」
毎日、って……この人は毎日アレをやるつもりか?
だんだん辱めを受けられてる気分になってきたぞ。いやもう受けられたが。
「駄目ですよお。あまり血を抜くと血液不足で……」
「一口だけよ、一口。健康に生活していれば、それくらい毎日飲んだって問題ないでしょう?」
健康に生活、ってそれやるの僕だよな。あと、『飲む』って生々しいな。
「あと、そうねえ……こんなに早くじゃなくて、もっと遅くに来なさい。私が一番テンションの上がる時間……」
何時だ、それは。
「0時ね」
この人は、この学校に消灯時間というものが存在するのを知っているのだろうか? まぁ、どっちにしろ来いって言いそうだが。
「まあ、そこは強制しないわ。でも、一週間続けてその時間に来たらご褒美くらいあげてもいいわよ。キャメルクラッチとかチョークスリーパーとか」
僕は別にM属性など無いし、ただの真人間だと言い張りたい。あと、この人はプロレス好きなのか? その内、SSDの特訓をさせろとか言いそうだ。絶対に断るが。
「もし、来なかったら……どうなるか解ってるわよねえ?」
うわぁ……殺されそう。
「安心しなさい。大事な食料だもの。殺しはしないわよ」
「じゃあ、どうすると?」
「あんたの部屋に上がって、あんたの横で寝てやるわ」
……は?
「朝起きたらあんたは社会的に殺されてるわ」
上手くないし、笑えないぞそれ。しかも、寝床を狙うとは何て淫魔だそれは。
「だから駄目ですよお。あなたの存在は、学校には内緒にしてるって言ったじゃないですかあ。そんなことしたら、あなたの顔が出ちゃいますよお」
「え、どういうことですかそれ?」
「この学校に入れない『存在』の一つに『吸血鬼』が入ってるんですよお。生徒手帳に書いてありますよお、知らないんですかあ?」
生徒手帳? 校則の項目に書いてあるってことか。知らなかった。まぁ、ありゃほとんど読んだことないしな。
「っていうか、それなら何で保護したんですか?先生は知ってたんでしょう?」
「弱っているのを見過ごすのもなんだったんですよお。それに、害は無さそうでしたし」
僕から言わせてもらえば、恐怖の塊にしか感じられないのだが。
「なので、このことは口外無用でお願いしますよお。特にハウスラー先生には」
「ハウスラー先生? 何でですか?」
石上先生は思い詰めた顔で、口を開く。
「ハウスラー先生は……『ダンピール』の『吸血鬼ハンター』なんです」
『ダンピール』とは聞いたことない単語だが、『吸血鬼ハンター』は解る。そのままの意味だろう。
「『ダンピール』ってどういう意味ですか?」
「いやあ、知らないならいいんですよお。知らない方がいい単語だと思います」
「『吸血鬼』と『人間』の混血よ」
答えたのはミラーカさんだった。
「不死に近い能力を持つ『吸血鬼』を素手で殺すことの出来る厄介な『存在』だわ。おまけに探査能力まで持っているから、下手に動けば見つかるかもしれないわね」
特に興味無さそうな表情で言った。見つかったとして、殺される気は無いみたいだ。
「はあ……なるほど」
色々と話を聞いたが、果たして僕は全部内容を覚えているのだろうか。代わりに英単語の一つ二つが抜けてそうだ。
「まあ、来なかった場合のお仕置きはまた後日考えてあげるわ。帰りなさい。今日のあんたにもう用はないわ」
ヒドい。
「さて……私はもう一眠りしようかしらね。早く起きたせいで眠くて仕方がないわ」
そう言ってカーテンの向こうへ去っていった。
「……という訳で、頼みますよお。桐谷くん」
何だか面倒だなこれは。
「あれ、秀。どうしたお前首のところにアザ付いてるぞ」
「ぶつけた」
「何か2つ付いてるぜ?」
「ぶつけたんだ、トモダチ。それ以上問うな」
あれ、何だこれ。デジャヴ?