【第八十一話】あれからの変化
あたしの名前は、黒井 麻央。つい半年前まで『魔王』だった人間。
この前、何だかんだあって囚われの身になったけど、その時のことはほとんど覚えていない。何か悪い夢を延々と見ていたような気もするけど、何も思い出せない。
数日前、あたしが目を覚ましたと聞いてすっ飛んで来た『彼』は、開口一番にあたしの身を案じて、その返答に安堵したと思ったら、あたしの服装を見て顔を真っ赤にして保健室から走り去っていってしまった。ただのパジャマ姿だったんだけど、何か問題あったかな? 結局、今回も彼に助けられたみたいだったし、あの場でちゃんとお礼を言いたかったのだけども。
学校は随分と被害を受けたみたいで、校舎の一部が破損していたり、校庭にあった倉庫が一つ無くなっていたりとヒドい有様だった。
翌日には、よーこさんも目を覚ましたけど、次の日にはどこかに行ってしまった。
……何だか、この一件で周りの環境が色々と変わってしまったような気がする。
この一連の騒動の原因は言うまでも無くこのあたしだ。この学校でそのことを知る人はあまりいないとは思うけど、噂だって立っているだろう。ここ数日、冷やかな目線があたしに向けられていると感じるのは多分気のせいじゃない。
同情してほしいなんて思っていない。寧ろ、そんなの迷惑だ。この気持ちが他人にそう理解されてたまるか。でも―――
「どうしたの、麻央? そんな暗い顔して」
「……ヒナ」
涙が止まらない。
「何でも……ないよ……」
「……麻央、心配ないよ」
ヒナは真っ直ぐあたしの目を見て言う。
「あんたには頼れる騎士がいる。わたしもいる。みんながいる。何があったって、あんたの居場所はここだよ」
「……うん」
あたしは出来るだけ笑った。
「……ックシュ!」
「どうした、秀。風邪か?」
「ん……? 別に何ともないけどな……」
『氷界』。
あらゆる物が凍てつくような極寒の世界。
そのさらに奥、魔獣ニーズホッグというドラゴンが護る『氷の宮殿』に不知火 噤は居た。
「……して何故、汝は依頼を果たさんかった?」
『氷王』こと、ユミルが問う。
「――――」
「キサマ……陛下の問いに答えろ!!」
「落ち着けよ、ミンデル……オンナが出しゃばんな。話が進まないぜ? クケケケケ」
「黙れ、ギュンツ!!」
「騒々しいのは、二人ともですわ。静かにしてくださる?」
「ヴー………」
ユミルの四人の副官が騒ぐ。
「こやつ等は気にせんでよい。訳を申せ」
「―――『陽』の命令」
不知火は聞き取りにくいほど小さな声で言う。
「―――私は『陰』。『陽』と相反する『存在』。だが実際は、『陰』は『陽』の意思によって存在する者。―――彼が是とした事を否定するのは自由だが、彼が非とした事に逆らってはならない」
全く抑揚の付いていない口調で、淡々と喋る。
「……成程」
「陛下、良いこと思い付きましたぜ?」
ギュンツと呼ばれた副官がユミルに言う。
「その『陽』って奴を殺せばいいじゃないですか。そうすりゃ、コイツを縛るモノは何も無くなりますぜ。クケケケ……」
次の瞬間、ギュンツの首筋に冷たい物が触れる。
「……な?」
不知火が剣を当てていた。
周りがどよめく。
「―――それは許さない」
その眼は、静かな怒りに燃えている。
「―――彼は私の存在理由そのもの。彼を殺すと言うならば、容赦はしない」
不知火はユミルの方に顔を向ける。
「―――それは貴方も例外ではない」
「キサマ、陛下に向かって……!!」
「黙らんか!!」
『氷王』の一喝で、辺りは静まり返る。
「……余は別に『陽』をどうにかする気はない。まず、その剣を引いてくれんか」
「――――」
不知火は黙って剣を鞘に戻す。
「くっ……」
解放されたギュンツはその場からそそくさと退く。
「汝が『漆黒の魔王』を殺せんと言うならば、無理は言わん。帰るがよい」
「――――」
不知火はその場から立ち去った。
「良いんですの、陛下?」
「構わんよ、リス。こちらから仕掛けさせてもらおう……おい、ウルム」
「ヴ?」
ウルムと呼ばれた白い毛で覆われた真ん丸の巨体をした雪男が返事をする。
「大閣下までこいつを渡しておいてくれんか」
ユミルは、たった今書いた手紙をウルムに渡す。
「ヴー……」
すると、白い巨体は跳躍し――
バキィ!!
「……アイツ、また宮殿の壁を壊して外に……!!」
「落ち着かんか、ミンデル。この宮殿は、余の氷で出来ておる。すぐに直せる」
そう言うと、ウルムの開けた穴がみるみる塞がっていく。
「それにしても陛下。何であんなデカブツに行かせたんですか? オレだったらもっと早く届けられますぜ」
ギュンツが口を出す。
「……あやつは絶対に内容を口外したりせんからだ」
「クケケケケ、つーか喋れませんからねぇ」
新たな敵は、水面下で動き出していた。