【第八十話】狐の彼女
「やあ、秀くん。こんな所に呼び出してすまないね」
「構わないよ。屋上になら、僕も前に呼び出したことあるし。それより、よーこさん。体の方は?」
「ひとまず大丈夫さ。それについては君に感謝しているよ」
「……どういたしまして」
「はっはっはっ、では本題に入らせてもらうよ」
「どうぞ」
「ワタシは一旦『妖怪の里』に帰る。しばらく、この学校には戻ってこないだろう」
「…………。そう」
「何だい、素っ気ないねぇ。ワタシと一つになった仲じゃないか」
「よーこさん……そういう非常に誤解を招きやすい言い方やめてくれるかな。聞いてて物凄く恥ずかしいんだけど」
「誰が?」
「僕が」
「はっはっはっ、それはすまないねぇ」
「それより何で里帰り……っていうか、『妖怪の里』なんてあるの?」
「む、『妖怪の里』か? 現代に忘れ去られた寂しい場所だが、ちゃんとあるぞ。今回はほとんど休養目的で戻るが」
「休養?じゃあ、まだ体の方……」
「傷の方は大丈夫さ。だが、君の『真偽の決定』というのはどうも妖力と反りが合わないみたいでね。未だにこいつの消費コストが響いているのさ。この人間の姿をしているのも若干キツいくらいにね」
「そっか……」
「なあに、君が気にすることじゃあないさ。実は、今回の帰郷には修行目的もあってね。そんなこと問題にしないような力を付けてくるさ」
「…………」
「……秀くん」
「ん?」
「もし、本当にワタシの力が必要になった時は、ワタシの名を呼べばいい。どこからでも駆けつけるよ」
「……わかった」
「ああ、それと」
「?」
「……ワタシの同居人に注意するといい」
「え、それって……」
「まぁ、頭の片隅にでも置いておいてくれ。それでは、ワタシはそろそろ行くよ」
「え、あ、うん……」
「また会おう、秀くん」
『悪魔』の軍勢の襲撃から3日目の夜。
やっと目が覚めたと思ったよーこさんは、僕を学校の屋上に呼び出して里帰り宣言をし、そのまま行ってしまった。
翌日になって、よーこさんがいないことにクラスの皆は動揺していた。よーこさんよりも一日早く目が覚めていた麻央さんも心配そうな面持ちだった。しかし、よーこさんは先生達にはちゃんと説明したらしく、神谷先生はそれについて何も言わなかった。
全ての授業が終わって、よーこさんの体の調子がどのくらい悪かったのか気になった僕は、一人で保健室の石上先生を訪ねることにした。
僕は保健室の前に立ち、扉を2回コンコンと叩く。
「失礼しま――」
「You fucking fool!!」
いきなり怒鳴り声が聞こえた。
「ぬふふ~、別にちょっと試そうとしただけじゃないですかあ。そんなに怒らないでくださいよお。カルシウム足りてないなら牛乳おすすめですよお」
「I can't understand your crazy thinking.There's no hope for you……」
何か凄く入りにくい空気だけど、僕は意を決して話し掛けた。
「What's the matter? Why are you so angry,Mr.Hausler?」
「……ヌ、桐谷クンか。これは見苦しい物を見せてしまったな」
先程から英語で怒鳴っていたこの男の人の名前は、ジェイク=ハウスラー。アメリカ人。れっきとしたこの学校の英語教師である。
「キミ、本当に発音上手いな。日本人がここまで『r』と『l』や、『s』と『th』を言い分けられるのは凄いよ」
「ありがとうございます……っていうか、ハウスラー先生に何したんですか石上先生?」
僕はこの保健室の主の方を向く。
「あらあ、桐谷くん。まだ何もしてませんよお」
石上 千愉先生。
常に眠そうな垂れ目と、白に近いロングの金髪が特徴の女性教員だ。
「『まだ』って、じゃあ何しようとしたんですか?」
「試作品の『エリクサー』の効果を試そうとしただけですよお」
「お茶とすり替えられてうっかり口に運んでしまったぞ。あまりの苦さに吐き出したが」
「……石上先生。人体実験なのに、本人の了承を得てないってどうなんですか」
「だって、どうせ首を縦に振らないでしょお?」
そりゃそうだ。
「ところで、桐谷くん。何か用があってここに来たんじゃないんですかあ?」
「あっ、そうです。実は―――」
訊いてみたはいいものの、石上先生の返答は専門用語が盛り沢山で半分も理解出来ていなかったと思う。
でも、その説明の中で石上先生は次のように言った。
『山中さんの尾は八つになっていた』、と。
狐にとって、尾は力の象徴であることくらい僕だって知ってる。
つまり、よーこさんの力は弱まっているということだ。
そうだ。思い返してみれば、あの時の会話……僕は、最初から違和感があった。どうも、いつものよーこさんとは違う、という気がしていた。
だが、今になってその違和感の正体が分かった。
彼女は僕の心を見透かしながら話していなかったのだ。
人の姿をとることすら辛い状態だったから使う暇がなかったのか、妖力の弱体化で使えなくなってしまったのか、それは分からないが。
とにかく、いつもの彼女がとるであろう行動を、あの時の会話ではしていなかった。
僕は改めてよーこさんの状態がどれほど悪いのか気付いた。
僕があの時の戦いで、妖力を貰ったばっかりに。
よーこさんの帰郷は恐らく必然なのだろう。多分、この学校に妖力を回復させることができる人なんていない。きっと彼女は妖力の回復のために『妖怪の里』に戻る必要があったのだ。
それも、完全に治るまで一体いつまでかかるのかは分からないが。
僕は寮部屋に戻りながら、自分に何が出来るのか考えた。