【第七十四話】激動編:衝突
バアルとは王の意。つまり、バアル=ゼブルは『悪魔』という種族のれっきとした王族である。
『悪魔』の王家の力は絶大で、他の『悪魔』の追随を許さぬほどだ。
そのため、組織としての『悪魔』の長も成り行きでバアルの名を持つ者が即位していた。
ただ、一人を除いて。
6年前、『世界の節目』。『悪魔』という組織に加入してから、その圧倒的なまでの実力で名を馳せていた少女がいた。
先々代『魔王』バアル=ペオルは、その噂を聞くと興味を持ったのかその少女と直接コンタクトをとった。だが恐らく、彼が興味を示したのは少女の力ではない。バアル=ペオルは女癖が悪いことで有名で、好色の王と呼ばれるほどだった。単純な話、少女自身に興味があったのだろう。
思えば、それは一瞬だった。
『魔王』を目の前にした少女は何の躊躇もなく飛び掛かり、そして―――殺した。
数日後、少女は初の『人間』の『魔王』となった。
反対する者もいたが、あの強大な力を見せつけられては結局、押し黙ることしか出来なかった。
バアル=ゼブルは、少女が酷く気に入らなかった。『人間』が『魔王』に即位したという事実がバアルの名を持つ者として、プライドが許さなかったのだ。
だからこそ、彼は少女を殺す事を自分に誓った。
「……ふむ、それにしてもヨルムンガンドとアスタロトを倒して尚、まだそこまでの余力があるか。『悪魔の城』での貴様は魔力を使い果たし、赤子同然だったからな。これほどの力の持ち主だとは想像も付かなかった」
秀は、『魔王』を見据える。
彼が一歩歩くたびに、周りの草木は朽ち、不毛の地が広がっていく。
辺りは重く沈み込んだような空気が広がり、鳥や虫達が立ち去って行く。いや、単純にここの空気が汚いのだ。10分も立っていたら、頭がおかしくなりそうだ。
これが、蝿の王。
見れば解る。こいつは強い。そりゃ『魔王』だ。強いに決まってる。だが、勝てない強さじゃない。いや、そもそもそんなこと関係ない。
「僕は、あんたを許さない。許すわけにはいかない」
誰よりも平穏を望む少年の目には、深遠と燃える怒りの炎が滾っている。
体から発せられる魔力は風となって、辺りの瘴気を吹き飛ばす。
だが、『魔王』はそんな重圧には微塵も恐れず、腕を組んで言う。
「そう焦るな。まだ役者は、揃っていないだろう?」
すると、『魔王』の近くに魔力が渦を巻いて、集まっていく。
秀が怪訝そうにソレを見ていると、魔力の渦が消えて、中から何かが出てきた。
「!!」
それは見間違えもしない、秀のクラスメイトの一人。『元魔王』。
「麻央、さん……?」
彼女は、十字架に張り付けられていた。だが、見れば解る。これは以前の状態とは全く違う。
彼女は意識が無いらしく、深く首を項垂れている。右腕は、紫色に変色して腫れ上がっていた。
一気に頭に血が上る。
「てめぇ、何しやがった!」
「おっと」
『魔王』は、十字架の傍にいる老爺の姿をした『悪魔』に合図を送る。
老爺の『悪魔』は頷くと、手の平に持つ青白い球の一部を摘み、潰した。
メキッ、という音が響く。
嫌な予感がして、秀は黙る。
そして、老爺の『悪魔』が麻央の左脚の拘束のみを解き、その脚に手を掛ける。
脚はあらぬ方向へ曲がった。
「―――っ! てめぇらっ!」
「解らないのか、『決定者』? これは、貴様へのメッセージだ。黙れ。その口を塞げ。さもなくば―――」
老爺の『悪魔』が青白い球に手を伸ばす。
「っ!」
秀は、ただ黙るしかなかった。
「……ふむ、そうだ。それでいい」
「!」
突如、バアル=ゼブルが雷の剣で、秀に斬りかかった。
反射的に避けたが、腕を浅く斬られ、傷口から血が流れる。
それを見たバアル=ゼブルは、ニヤリと笑う。
「っ!?」
傷が酷く痛む。見ると、既に傷口は化膿してきていて、みるみる酷くなっていく。
「くっ……!」
秀は片方の手で傷口を押さえ、魔力を込める。
『真偽の決定』。傷自体を『偽り』とする。
手を離すと、傷は無かったかのように消えていた。
「……ふむ、そんなものもいつまで持つか」
バアル=ゼブルは再び攻撃を繰り出す。
「……くそっ!」
攻撃を受ければ、傷を無かったことにして、また攻撃されるの繰り返しだ。しかし『真偽の決定』は、そう何回も使えない。すぐに魔力が無くなる。
だが、こちらから反撃することは出来ない。一撃で倒す手段があったとしても、あの老爺の『悪魔』があの青白い球を潰してしまえば、全て終わってしまう。
あの青白い球を『真偽の決定』で消すか。いや、やったとしても敵は直接手を掛けられる距離にいる。
(どうすりゃいい……!)
そうこうしているうちに『真偽の決定』を使う魔力も切れる。せいぜい使えるのは、あと一回。
「……ふむ、甘い。仲間を傷付けまいとするその愚かな精神。見ていて反吐が出る」
バアル=ゼブルは詠唱する。
雷魔法第六番の三『テラ・スピア』。巨大な雷の槍が、形成される。
「くだらぬ想いに死ね。『人間』」
そして、槍は放たれる―――と、思ったその時。
ボンッ!
バアル=ゼブルに何かが当たって爆発した。
その場の者達は一瞬、唖然となる。
だが、秀はこの『何か』を以前、見たことがあった。
―――“加速魔力砲”。高密度の魔力を飛ばす、私の機能の一つ―――
「……ネルさん」
青髪緑眼の少女がそこに立っていた。
そして、ネルは老爺の『悪魔』の方を向くと、加速魔力砲を放ち――
「!」
青白い球を破壊した。
「っ! ネルさん、何やって――」
「あの球と黒井 麻央の魔力接続は切断した。今、あれを破壊しても彼女には何も影響は無い。桐谷 秀」
銀髪銀眼。フレディーがいきなり現れて答えた。
「遅れてすまない。少しトラブルがあった」
そして、詫びた。
「っ! 何ですかな、貴殿等!?」
老爺の『悪魔』は、息を荒げて言う。
すると、ネルの姿が消えた。
「私達の使命は桐谷 秀、黒井 麻央両名の守護」
背後。
「“熾爆参阡殲滅魔砲”」
ドゴオオオオオオオォォォォォ!!
明らかに、一つの対象物を攻撃するにはでかすぎる極太レーザー。
眩い光に包まれ、敵がどうなったか全くわからない。もしかしたら消し炭になったかもしれない。
辺りの煙が晴れると、ネルはその青い髪を揺らしながら無表情のまま立っていた。
ネルが、麻央が張り付けられている十字架に触れると十字架はボロボロと崩れ、拘束の解けた黒井をフレディーが受け止める。秀は急いで麻央の元に駆け寄る。
近くで見ると、改めて怪我の状態の深刻さが分かる。右腕は今にもはち切れそうなほど腫れ、先程折られた左脚は無理に折り曲げられた所為か、骨が表皮から少し出ているのが見える。
歯をギリッと軋ませる秀を見て、フレディーは言う。
「心配は無い。ネルの機能は破壊のみだが、俺の機能の最たる物は再生。この程度ならば、問題無く戻せる」
フレディーは麻央を横に寝かせ、治療を始める。いや、それは治療と呼ぶ事が出来るかどうか。フレディーの魔力が麻央を包み込むと、まるでビデオの巻き戻しでも見ているかのように傷が無くなっていく。
秀がその様子を見ていると、ネルが3人を庇うようにして立った。
「下がって」
秀は初めて、ネルに自分に対しての言葉を掛けられた気がした。
「まだ、生きてる」
ネルの目線の先には、先程の老爺の『悪魔』が服をボロボロにして立っていた。
「これしきの攻撃で、このLv4アマイモンを倒せるとお思いですかな?」
アマイモンと名乗った『悪魔』は、詠唱し始める。
「戦闘対象の魔力解析許可申請許諾。これよりターミネートモードに移行。既存データのアンインストール完了。新規データのインストール完了まで約1.52秒」
眉一つ動かさず、ネルは敵に手を翳す。
「完了」
ネルの放った光弾と、アマイモンの放った炎魔法がぶつかり合った。
爆発音が響く中、フレディーは秀に言う。
「この様子では完全修復完了までには、12分弱の時間を要する。桐谷 秀――」
秀は、彼がその先何を言うか解っていた。
「お前一人で、奴と戦えるか?」
Lv5『魔王』バアル=ゼブルは、少し不機嫌そうな顔で立っている。
「……人が集まってきたな。まんまとあの女狐にしてやられたものだ」
『魔王』は舌打ちをし、再び戦闘態勢に入ろうとしていた。
「ああ、戦うよ」
戦えるか、否か。それは問題じゃない。
自分の大切な『友達』を傷付けたあの野郎を、秀は許すことが出来なかった。
秀は一瞬で、風魔法第三番の二『メガ・ジェット』の詠唱をし終え、猛スピードで『魔王』に突っ込む。
更に、風魔法第六番の三『テラ・ブレイド』の詠唱も完了させ、対する『魔王』も巨大な雷の剣を形成する。
そして―――
月に照らされた夜宴で、風の刃と雷の剣は衝突した。