【第六十五話】激動編:調子の狂う敵
ヒナは、この非常時において、麻央がいないことに焦りを覚えていた。
麻央が寮を出て行ったのは、昼頃。今はもう、月が出ている。単に、遅くなっているだけかもしれないが、もしかしたら―――
(まさか、そんなはずは……)
不安が募る。
しかし、今はそれを確認する術は無い。それよりも、今やるべきことは、眼前の『悪魔』達との戦闘に集中して、生き残ることである。
「……それにしても」
ヒナは、『悪魔』を蹴散らす自分の人形を見る。
ヒナは、自分の指から細い糸状の魔力を伸ばし、それを人形にくっ付けることで人形を操ることができる。この魔力の糸は、念糸と呼ばれ、これを使用することこそが、彼女個人の能力なのである。
「使い勝手がいいね、この子」
ソレは、いつぞや作っていたフランス人形をベースにした殺戮人形だった。
体の至る部位から刃物が飛び出し、トリッキーな攻撃も出来れば、力押しの一撃も与えられる。基が小さいので、小回りが利き、敵の攻撃も受け辛い。接近戦から遠距離戦、一対一から多人数戦闘まで幅広く使える。
「そうだ、名前を付けてなかったね。えーと、刃物で敵をさっくりやっちゃうから………」
人形の名前がここに決まる。
「サクリ、ね」
小隊のようにまとまっていた十数人の『悪魔』達の最後の一人をサクリで倒したヒナは、一息つこうとした。
「……っと、休んでる場合じゃないって」
今は、自分達の寮部屋の前で戦っていたが、場所を移動して誰かと合流した方が、戦闘の効率が上がる。そして、麻央の安否も分かるかもしれない。
ヒナは、下ろした腰を再び上げ、その場から去る。
つもりだったが――
「クハハハ……面白そうな能力を持った『人間』がいるじゃないか」
新手の『悪魔』が現れた。一人だけだが、感じられる魔力が他の『悪魔』のそれと全く違う。明らかに格上だ。
「あんたは――」
「おっと、セニョリータ。他人の名前を訊く時は、自分から名乗れと母親に教わらなかったか?」
「…………」
紳士風の黒服を纏った、金髪の『悪魔』は、気障な口調で言う。
はっきり言うと、うざい。
「……綿貫 雛」
「おお、ヒナ ワタヌキか。良い名だ。そうだな、愛称は……狸でどうだ?クハハハ」
「ごめん、何言ってるか分かんない」
ヒナは、冷静にツッコミを入れる。
「おお、失敬。私としたことが女性に無礼な事を……」
途端に、跪く『悪魔』。どうも、一人ミュージカルのようなノリである。
「さて、名をまだ言っていなかったな。私は、Lv4『悪魔』ベリアール」
ベリアールは、ヒナに向かって手を差し出す。
「セニョリータ。君に恨みは無いが、これは命令でな。せめて、私が君を地獄へ誘おう」
とりあえず、ツッコミを入れる気は失せたヒナであった。
「何やってんだ、お前?」
神谷 良介は、目の前に座っている『悪魔』に尋ねる。
その『悪魔』の手には酒の瓶が。
「おお、どうじゃ? あんたも一杯」
「……仕事中なんだがな……。まあ、いい。もらっておく」
神谷は、折角の久々の酒なので飲むことにした。
「ガッハッハッ、いい飲みっぷりじゃ」
「……ボルドーワインの一種か。俺は焼酎の方が好きなんだがな」
「なんと、ワインは嫌いか?」
「まあ、果実酒だろうが、酒は酒だ。問題ねぇ」
まるで、水を飲むように酒を口に入れる神谷に『悪魔』が質問をする。
「あんた、そんなに飲んで酔わんのか?」
「なぁに、心配いらねぇ。俺は樽ごと一気飲み出来るぞ」
「ほぉ……なるほど。酒豪で、その紅い髪……あんた、『赤鬼』じゃな?」
「ブッ」
吹いた。
「……何の冗談だ?」
「ガッハッハッ、誤魔化しても無駄じゃわい。妙な妖術で、角を見えんようにしとるみたいじゃが、よく見れば、妖力が溜まり過ぎて逆に不自然じゃ」
「……そうなのか?」
生徒からも、そう見えるのかと焦る神谷。
「そうじゃ、『妖怪』なんじゃし、アレ、持っとらんか? 無限に酒が湧く瓢箪。欲しくての」
「ああ、あれか。ありゃ希少品でな。俺も持ってねぇ。河童辺りなら、持ってそうな気もするが」
「河童か……どこにおるんじゃ?」
「さあな。あいつら、鬼相手じゃ力負けするからって、出て来やがらねぇ」
「……そうか」
ザレオスはそれを聞くと、立ち上がった。
「さて、そろそろワシも戦わんといかんのぉ」
「あ? 何だよ、酒はこれから楽しくなるんじゃねぇのか?」
どうも、当初の目的を忘れている様子である。
「『肉多しといえども食の気に勝たしめず。ただ酒は量なし、乱に及ばず』。目的がある以上、乱れんように飲まんようにせんとな」
「孔子か。確かにそうだ。泥酔する奴が悪いって、フランクリンも言ってた」
神谷は、煙草に火を点ける。
「本当の楽しみは、この戦いが終わった後、ってことだな?」
「そういうことじゃの。美味い酒が飲めるかどうかを決める真剣勝負じゃ」
両者は構える。
「神谷 良介だ。よろしく」
「ザレオスじゃ。こちらもよろしく」
そして、拳を交えた。
『酒から何とすみやかに友情が踊り出ることか!』~J.ゲイ~