【第三十六話】執行編:誰かが為に戦う者
バアル=ゼブルは、その手に持つ剣で、目の前にいる『元魔王』を斬ろうとする。
黒井 麻央は、目の前にいる『魔王』への対抗手段を考える。
その時。
爆砕音が響き、『王の間』の扉が一瞬にして吹っ飛んだ。
両方の『魔王』は、入り口のほうへ首を傾ける。
そこに立っていたのは、少年。まるで、何かを決意したように、雄々しく、敢然とそこに立ち、その鋭い眼光を敵に向けていた。
黒井 麻央は、口を開く。
「……秀くん……?」
少年の名前は、桐谷 秀。彼女のクラスメイトであり、彼女にとって唯一無二の存在。
「……ふむ」
バアル=ゼブルは、その姿を見据える。
「足止めが持たなかったか。……だが、それ相応な効果はあったようだな」
桐谷 秀は、すでに疲れ切っていた。威圧こそ放っているが、とても戦えそうな状態ではない。『魔王』はそれを確認すると、口元で笑みを浮かべる。
「秀、と言ったか。よくこれほどにまで早く、ここへ来れたものだ。だが、残念。今の貴様では、俺に敵わん」
「……やってみなきゃ……わからないだろ」
肩で息をしながら言う。ここに来るまでに使っていた風魔法のスピード上昇で、残り魔力はほとんど無い。『真偽の決定』はおろか、普通の魔法を使う余力さえも。
『魔王』を打ち破る可能性など、微塵も無かった。
「……ふむ、ならばまずは貴様から――」
「待って」
『元魔王』が口を挟む。
「彼に手を出したら許さない」
それは普段の彼女からは想像も出来ないような、重く、低い声。
『魔王』は、目を丸くする。
そして、しばらくしてバアル=ゼブルは口を開く。
「……貴様が言える状況か?」
「そう? なら――」
『元魔王』は、グッと力を入れる。
そして、ミシッという音がすると、黒井 麻央を縛り付けていた十字架は砕けた。
「これで、いい?」
『魔王』は、呆然と立ち尽くす。
「……な」
この様子には、流石に少年も驚く。
「何故だ……貴様の魔力は、奪い尽くしたはず……」
『王の間』の仕掛けは、黒井 真央の魔力を徹底的に奪う、というもの。いかに魔力量が多かろうと、1分も経たない内にカラになるはず。
それなのに何だ。
この元『魔王』から発せられる魔力は。
「『魔力無尽蔵』―――その名の通り、魔力が底を突かない。今まで誰にも言ったことは無いけど、それがあたし個人の能力」
少女は、そう言い放つ。
「無限から引いてゼロにするには、無限を引くしかない。ただし、この部屋の仕掛けは、仕掛けというものである以上、明確な数値を設定する必要がある。だから、無限に設定するのは不可能。無限から無限以外を引いても無限にしかならない。だから、あたしの魔力は尽きない」
凄まじい重圧。
「方法があるとすれば、それはゼロを掛けた時。あたしの魔力を封印した時のみ」
『元魔王』は、『魔王』に手を翳す。
「加減はしない」
詠唱。
「!」
バアル=ゼブルは狼狽する。
詠唱完了。
炎魔法第六番の四『エクサ・ポール』。
『王の間』に収まり切らないほど巨大な火柱が、『魔王』を包み込んだ。
騙し合い。
幻術で幻術を欺き、虚実が入り交じった攻防が続く。
宇佐見とクロセルの戦闘は停滞していた。どちらも傷付くことなく、ただ時間が過ぎる。このままでは、両者の魔力切れを待つのみ。
だが、基本的に『人間』と『悪魔』では、魔力量が明らかに違う。
宇佐見は、限界に近かった。
『幻惑の眼』を持続させるための魔力が残りわずかしかない。視界が薄れ、魔力の蓄積が困難になる。
そして―――
「本物、やっと捕らえたぜ」
宇佐見は、クロセルに喉を締め上げられる。
その眼の色は、もう元に戻っていた。
「そういや、まだ答えてもらってなかったな? 『幻惑の眼』の所有権を得た時、所有者は『何か』を失う。それは、ランダムに決まるって言われてるがな。オレの場合は、この左眼だったわけだ」
クロセルは、空いている方の手で自分の眼帯を指す。
「で? てめぇは、何を失ったんだ?」
沈黙。
「ハッ、もう話す余力もねぇか」
氷の剣を形成する。
「んじゃ、死にな」
クロセルが、剣で刺そうとしたその時。
不意を突く横からの攻撃。
「!」
クロセルは慌てて宇佐見を放り捨てて、避ける。
その攻撃は、刀。
魚正だった。
宇佐見は、薄れ行く意識の中で魚正の声を聞く。
「ありがとう、宇佐見さん。後は、俺に任せろ」
そこで、宇佐見の意識は途切れた。