【第百七十一話】騒擾編:インスティゲーター
『挟間』に飛ばされた特別教室棟。
その二階、生徒会室では生徒会長と『悪神』が対峙していた。
「…………あらら」
「?」
『悪神』ロキは突然何かを感じ取ったかのように顔を顰めた。
「『唆し』の効果が切れちまったね。この分だと、ネフィリム完成にゃ一歩足んなかったかね~おい。もう少しで、もっと面白くなったものを。まあ、充分やった方だ。肝心なのは『熾天使』の堕天なんだな~コレが」
「……何の話だ?」
「何も。何一つ、あんたとは関係の無いっつー話だよ~おい、『決定者』。過程とは、結果の前ではまるで意味を持ちゃしない。強いて言えば、前座だ。前座。この世が退屈しない為のエンターテインメント。つまりは余興っつーこった」
まるで脈絡の無い話し方をするロキに対し、秀はペースに飲み込まれないよう注意深く耳を傾ける。
「大事なのは混沌と刺激ってね~コレが。あんたは何でこの世界に『善』と『悪』が入り乱れていると思う? そりゃこの世がそれらを必要としているからだ。『善』も『悪』も双方。二つは表裏一体。光と影。一つを選べば、もう一つも付いてくる。だから『夜摩天』は『悪』そのものを規制したりはしない。そりゃ『善』も消える事と同じ。コインの表も裏も出ない世界ほどつまらねえものなんか無えだろうよ~おい」
「……あんたのやってる事が、必要悪だとでも言いたいのか?」
「そうであり、そうではないってね~おい。『あっし』がやる事は必要悪だけだ。だが、『あっし』以外はそうじゃねえっつー話なんだな~コレが。特に主人格サマは」
目の前の白い男は、話を続ける。
「主人格サマは言うなれば、絶対悪。理屈も何も存在しない、ただこの世を黒く染めんが為の『存在』。だがまぁ、『あっし』に言わせてもらえばそりゃどうにも賢くないっつー話でね。普段は『あっし』が適当に『悪』の活動を仕切らせてもらってる訳なんだな~コレが」
「……? 主人格を差し置いて活動を仕切ってるって……あんた自身は主人格に作られた人格じゃないのか?」
「ッカ~! そいつは話せば長くなるね~おい。『あっし』はそうだ……寄生人格とでも言っておこうか」
白い男はまるで諭すように秀へ語りかける。
「あんたは『神』ってのがどいつもこいつも全知全能の完璧存在だなんて思ってる? そりゃ違う。寧ろ真逆だ。『神』ってのは欠陥だらけで、人間と同じく全く以って不完全な『存在』だ。ただ、『一部の能力』に秀で過ぎたってだけでね~コレが」
何が言いたいのか、全く白い男の意図が読めない秀は、眉間に皺を寄せる。
「主人格サマ問わず、ロキっつー神様の真骨頂はずばり『話術』だ。スノラエッダ【Lokasenna】、日本名は【ロキの口論】だったかね~おい。ありゃ傑作だ。実によく描けてる」
「口喧嘩の強さなら間に合ってるぞ。僕の知り合いに髪の毛先が丸まってるやつが」
「その遥か遠い延長線上だよ~おい。言い負かすだけじゃない。『唆し』……ある程度の洗脳染みた芸当も出来るってね~コレが。『アロンダイト』とかいう『魔装』は知ってっかい? 何でも『裏切り』を強要するっつー魔剣だがね。あっしらにかかりゃ、その比じゃねえって話だよ~おい。あっしらの『唆し』の影響を受けた者は、その間は自分が『唆された』という事実すら認識できゃしない。そして、『唆し』の効果は対象と話した人物にさえ影響する」
「そりゃ大した能力だな」
魔力レベルの変化といい、どこまでもデタラメな力を持ってる、と秀は思った。
「……で、結局何が言いたいんだ」
「まあ、最初の話に戻るがね~おい。ついこの間にあっしが『唆した』男を、『熾天使』のとこへ差し向けた訳だ。そしたら、『熾天使』が見事に『唆された』訳なんだよ~コレが。で、この事実はまた別の『存在』を動かす鍵になる」
嘲るように、焦らすように。ロキはその『存在』の名をなかなか口にしない。
「いい加減にしろ」
重圧が放たれ、秀の口調が強くなった。
「さっきから遠回しにべらべらと……こっちはあんたの御託をいつまでも聞く気は無い。結論を言え」
「あー、結論だって?」
ロキは若干不服そうな顔を見せるが、その表情に恐れは無い。秀の事を警戒している素振りすら見せていない。
ただ余裕そうに、何の緊張感も持たぬような口調で、あっさりと。しかし、秀の驚愕を誘うには絶妙なタイミングで、ロキはその名を告げた。
「『最強』って言えば判るかい?」
「『大魔王』ロキの『唆し』…………? それで、『ルビー』と『アゲート』が操られてたってのかァ?」
菖蒲が口にした内容に、足立は問い返す。
「………恐らく、『唆し』をかける対象にも条件がある。自らが信じたものに対して疑心を持った者……『ルビー』には本人の口から聞いた。………『アゲート』もまた『ルビー』と同じく、『勇者』に対して何か疑心を抱いていたのだろう」
それを聞いていた沙希は、先の『アゲート』との戦いを振り返っていた。そもそも彼が信じていたものが『勇者』だとは思えなかった。元から『アゲート』自身は別の何かに囚われていたと、沙希は感じていた。
だがいずれにせよ、それが『唆し』を受ける種になった可能性はある。
「………だから『熾天使』の堕天にあの二人を使った。元は『善』に属していた者からの堕天の促し……『天使』の長に就く者として、揺らがざるを得ない状況だった。………そして、『熾天使』は堕天した。『大魔王』が予期していたかは判らないが、他の『天使』をも巻き込んで」
「それが、『智天使』のラファエル様とウリエル様の二人、ってことでありやがりますか」
納得したようにラドゥエリエルが呟く。
「……しかし、何で貴方が『大魔王』の能力なんて知ってやがるんですか? まさか本人と……」
「いや、ロキ自身に会った事は無い。………ただ、『唆し』を実際に受けた人物から聞いただけだ」
「実際に受けた人物……?」
沙希ははっとした。
「まさか……」
「コードネーム『エマイユ』。………ボクの父――先代『ガーネット』を殺した男だ」
その場の全員が目を見開いた。
「おい、待てよ! 先代『ガーネット』殺害が『大魔王』の仕業だなんて聞いたことねェぞ!?」
「………『唆し』から解けた彼の、………『エマイユ』からの頼みだった。………『唆し』の事は口外するな。『ガーネット』殺害は自分の裏切りという事で済ませろ。仇討ちと思って『大魔王』に挑もうとする者を出してはならない。………奴には絶対に敵わないから、と」
「……あの」
沙希が訊ねる。
「確か『エマイユ』は――――」
「………ああ、ボクが斬った」
苦い表情で菖蒲は答えた。
「………七年前、ボクの『ガーネット』就任後の、初の任務だった。裏切り者の彼を粛清する――新たな『勇者』の長として、先代の子として、ボクが選ばれたのは必然だった。だからボクも拒否しなかった。そして、『エマイユ』と剣を交え、討ち倒し…………息を引き取る間際、『唆し』から解放された彼から全てを聞いた」
『すまなかった』と。それが最期の言葉だったと、菖蒲は付け加えた。
「………全てボクが悪かった。罪も無い彼を殺し――知った事実を隠蔽し、それが結果的に『ルビー』達の裏切りを招く結果になった」
「……なに謝りやがってんですか。過ぎた事をいつまで気にしたって、前には進みやがりません」
沈みかけた雰囲気を一蹴するかのようにラドゥエリエルが言う。
「それよりロキの目的です。そこまでして起こしやがった、この『見張る者』の一件に関して、ネフィリムの創造までしようとして、ロキの狙いが一体何なのか。貴方はそれも見当が付いてやがるんですか?」
「………それは」
「『熾天使』じゃないですか?」
菖蒲が答える前に、沙希が口にした。
「『熾天使』の堕天。それ自体がロキの目的だったんじゃないでしょうか? 他の……『ルビー』達が起こしたこの山での事は、彼らの意思による二次的なものだった」
「じゃァ、そりゃ何の為だ? 『善』の戦力を削る為か? ロキが『善』に戦争を仕掛けようとしてんのか?」
「いや、それは有り得ませんよ。今は『悪』の方も、『魔界』による内部抗争がありやがります。………『善』の戦力を削りやがったところで、攻め落とせるほどの戦力を出せやがりませんから」
足立の問いにラドゥエリエルが返す。
「………だから、これは恐らく別の――――」
「校長先生……?」
秀はロキに問い返した。
「結果的には、っつー話だよ~おい。出資者ってのに、白戸とかいう『善』に相当入れ込んでる輩が居てね~コレが。そいつの『ワガママ』ってのが、大事においての『善』への助勢ってことでね。ただ、学校側も面倒事を二つも抱えて対処する訳にゃいかねえっつー話だからね~おい。先に『家族』の方を片付けちまおうってのが『最強』の判断だったってこった」
秀はその説明の半分も理解できていない。ロキがわざと解らないような単語を混ぜて話しているのだ。
「いやいや、苦労した。これだけの事実を調べて策を練るまでずっと潜入してたんだからね~おい」
「……何を、言ってる……? 校長先生が『家族』の方を、って……」
「要するに、だ。今、学校でいくら騒ぎを起こしたところで、『最強』は来ない。あっしはゆっくりこの『狭間』で目的を果たせるっつー話だよ」
「ッ!」
秀は咄嗟にその場を飛び退いた。そして次の瞬間、校舎全体に大きな衝撃が奔り、足元の床が崩れ落ち、部屋中に煙が舞い上がる。
(何が起こった……ッ!?)
何とか下の階へ落ちずに済んだが、状況が把握し切れない。ロキが何かしたのは間違い無さそうだが、構えも何も無かった。
とにかく結論を出すのは後回しにし、素早く姿勢を立て直す。そして次の攻撃が来る前に、秀はロキの姿を見失わないように視線を元に戻す。
「良い勘してるね~おい。今のはよく避けた」
「……そりゃどうも。ロキって神の真骨頂は『話術』じゃなかったのか?」
「そうだとも。あっしは嘘を吐いたりはしねえよ。ただ、言い忘れる事はあるかも知れんがね~おい」
今度はロキに構えがあった。
震脚。ロキが床を踏み付けた途端、地響きと共に部屋の床や壁に亀裂が生じ始めた。
秀は部屋の外に出るまでに間に合わないと悟ると、思い切って部屋の床に空いた穴へジャンプし、受身を取って下の階に着地する。
(向こうの狙いが麻央さんとなると、間違い無くこの校舎には麻央さんも居る。なるべく合流しない方向で逃げないと――!)
「その様子だと【ロキの捕縛】も知らんようだから教えてやるがね~おい」
だが、既にロキは秀の背後まで移動していた。
(速――――ッ!?)
掌底。ロキの右掌が胸元に迫り、反射的に手で防ごうとするが、手に触れた瞬間に秀の体が後方へ吹っ飛んで校舎の壁に衝突する。
「ご、ふ……ッ!」
背中に奔る激痛と、肺の空気が押し出される感覚。意識が飛びそうになるのを必死で堪え、秀は壁に凭れながらもロキへ向き直る。
「蛇の垂らした毒液がロキの顔に当たった苦痛で身悶えて起こるのが地震だっつー話だがね~コレが。簡単に言えば、振動ってこったな。どんなに強固なもんだろうが、内側から崩せば脆くなるってね~おい。骨を砕かれれば動けねえだろう?」
「……?」
一瞬、ロキが何を言っているかが判らなかった。どうやら今の攻撃の瞬間にロキの能力で骨を砕かれたらしいが、自分で感じる分には壁に当たった時の打撲程度のダメージしか無い。骨に異常があるようには感じられなかった。
「……んー? 動いてる……? ありゃ、失敗したか? 振動で骨砕くつもりで掌底やったのに、吹っ飛んだのはおかしいと思ったがね~おい。まあ、いっか」
ロキの方も何やら予想外の事らしく首を捻っていたが、すぐに構え直す。
「……っ!」
「逃げようったって無駄だよ~おい。あんただって知ってんだろう? 神通力、っての。あっしは名の通りの『神』なんでね。『神足通』くらいは割と余裕で使えるっつー話なんだな~コレが」
トンッ、という軽い音と共にロキは床を蹴る。
そして、次の瞬間には秀の目の前まで迫ってきていた。
「この領域とやり合うのは、あんたにゃ早すぎたね~おい。かと言って、あっしとの戦いを避けるのは無理――――」
言葉はそれ以上、続かなかった。
理由は明白。ロキの身体が真横に吹っ飛んだのだ。
どこからか飛んできた、真っ黒な剣の形をした岩の塊によって――
「秀くん!」
聞き慣れた声だった。だが、秀にとってこの状況では最も聞きたくなかった者の声だった。
考えてみれば当たり前だ。校舎の一部が崩れる程の戦闘があれば、援護に駆け付けてくるに決まってる。それが『彼女』であれば尚更の事だ。
先のロキの震脚で崩れた壁を挟んだ――否、最早壁など無いに等しかったが――、一階の隣の部屋。そこに声の主は居た。
今にもこちらに駆け寄ってきそうな彼女の姿を見て、秀は声を荒げる。
「来ちゃ駄目だ、麻央さんッ! 『悪神』の狙いは君なんだッ!」
「違うッ! あたしじゃないの! 奴の本当の狙いは――」
ゴドンッ! という轟音により麻央の声は掻き消され、再び建物に大きな衝撃が襲う。
「あーあー、初っ端から『ハデス』をブン投げてくるとは相も変わらず野蛮な女だね~おい」
その声は、麻央の背後から。
「ッ!? ロキ……ッ!」
「久しいね~おい、『漆黒の魔王』。予定にゃ無かったが、とりあえずあんたも死んどくかい?」
ロキの掌が麻央に迫る。そのスピードに麻央は反応する事は出来ない。
「やめろおおおおおォッ!」
秀が叫ぶが、当然その声がロキの動きを止める事は無い。
そして、次の瞬間――――
鮮血が、舞った。