【第百六十七話】騒擾編:プリヴェント
それは守るべき者の為の戦い。
『天界』入り口前。濱田 頭括と清華 英雄の戦闘により、辺りは火の海と化していた。
「消し飛べ」
濱田の掌から放たれた巨大な炎弾が、英雄に直撃した。
『炎界』の中隊長集団『三火砲』の一人である濱田の実力は、並大抵では無い。それは、『悪』の上層部のほとんどが人外の『存在』で構成される中で、『人間』である彼が食い込んでいる事からも判るだろう。
だが、
「有り得ねえし……」
目の前の光景に顔を強張らせながら、彼は呟く。
「何で今のをもろに喰らって生きてんだよ、オメエは!?」
足元の地面すらも吹っ飛ばした威力の炎弾の爆心地。本来なら誰も生き残れないはずのその場所に、『勇者』は平然と立っていた。
「無粋ッスね」
担いでいた聖剣を手前に構え直し、英雄は続ける。
「ここは戦場ッスよ。呑気に敵が自分の情報を開示してくれるとでも思ってんスか? ワガママ通すなら、それ相応の実力を身に付けてくることッスね」
「ッ……! 調子乗ってんじゃねえし、『勇者』風情がッ!」
濱田は再び掌から複数の炎弾を出現させ、英雄へ向けて連射する。
(一体どんなトリック使ってやがんのか、これで見極める!)
「あーあ……一度にこんなに出さないで欲しいッスね」
英雄はわざとらしく、
「あんたのマズい火を食ってやってるこっちの身にもなってみろッス」
は? と、濱田が反応したのも束の間。
濱田の放った炎弾が球の形状を崩し初め、霧状となって渦を巻き、ある一点へ吸い込まれていく。
「な……ッ!?」
まるでおやつを待ち構えるかのように大きく開かれた、英雄の口の中へ。
「うげっ、やっぱマズいッス……」
炎を全て飲み込むと、うっぷ、と軽く咽んで英雄は口元に手を当てる。
「オメエ、まさか俺の炎を……!?」
「正確には『熱気』を食らうんスけどね。まあ、大体同じ事ッス。それが、オイラ個人の能力」
口の端から白い蒸気を上げながら、英雄は『アレス』を握る手の力を強める。
ボウッ! と柄から伸びた炎が聖剣を取り巻いて巨大化し、辺りに火の粉を散らしていく。
「熱はそのままオイラの魔力の源になるッス。炎を武器にしている限り、あんたにオイラは倒せないッスよ」
戦場が炎で照らされていく。いや、そもそもこれは戦争などではなかった。
ただ一方的な、制圧。初めから濱田に勝ち目は無かったのだ。
「……クソがッ! 俺が誰だと思ってる!? 『炎界』の中隊長、濱田 頭括だし! オメエなんかにこの俺が――――」
轟音が響き渡った。英雄が聖剣を振るい、衝撃波で濱田の体が真後ろへ吹っ飛ぶ。何度かバウンドした後に濱田の体は止まり、英雄は静かに語りかける。
「相手が悪かったッスね。『勇者』は普通、『悪魔』と戦う事を前提にしてるんス。そりゃ、『悪』の布教は『魔界』の連中の仕事ッスからね。だけど、その中でオイラだけは例外なんスよ」
ガッ! と、仰向けで倒れる濱田の顔のすぐ横の地面に、英雄は聖剣を突き立てる。
「『炎界』及び『氷界』対策用『勇者』。それがオイラ、『カーネリアン』ッス」
そして、勝敗は決した。
アンチレバノン山脈最高峰、ヘルモン山。
現在この場所では、『人間』と『天使』と『堕天使』による、『善』の内乱が巻き起こっていた。
「やっほ~。あたしはレイムエルの頃しか知らないけど、随分出世してたんだね~、現ミカエルさん。いや、もう堕天してるなら『元』ミカエルかな~?」
「そのふざけた口調……貴様、カヴティエルであるか」
「今はアスタロトって言うんだよ~」
「【旧約聖書】異教神の古の名であるか。『天使』の座を捨て、『悪魔』に身を置いた貴様が一体今更何の用であるか」
「別に~? 大した用じゃないけどね~……ちょっと殺し合いでもしない?」
「やめておく事を勧めるのである。我が力の前に、貴様が釣り合うとでも思っているのであるか」
そう。
アスタロトは元『座天使』所属。単純な力量のみならば、彼女が『熾天使』に勝るはずも無い。
しかし、
「『単純な』力量じゃ、ね」
ただ不敵に。彼女は微笑む。
異変はすぐに起きた。
「ッ!?」
ビシッ、と。ミカエルの体に所々ひびが生じ、体の外へ魔力が漏れ始めたのだ。
「君とあたしの違いって何だと思う? 守りたいもの? 信じたもの? いや、そもそもそんな些細な事は違いの内に入らないけどね~」
「……ッ! 貴様、何を……ッ!」
「別に~? 長いこと『天界』なんてお綺麗な所で過ごしてた君の体が、急激に下界の空気に穢されて脆くなってるんじゃない? もっとも――――」
すぅっ、と。彼女はそれを明確な形で出現させる。
「今、この辺は瘴気が普通より濃いかも知れないけどね~?」
毒霧。アスタロトが発生させたそれは、いつの間にか二人の周囲を取り囲んでいた。
「ッ……! 堕ちて新たに手にした力であるか……ッ!?」
「ううん、ただのおまけだよ。コレのね」
彼女は左手に握る物を、少しだけ前に出す。
それは、煙のように濁った色をした剣だった。どす黒く、醜い感情を一纏めにしたような、破滅と狂気の塊。
名を、魔剣『アーテー』と言う。
「ギリシャ神話じゃニュクスの孫だからね~。上手く力が増幅してるみたい。誰が展開したか知らないけど、この人払いの結界にも感謝しなきゃ」
「『魔装』であるか……? だが、本来『天使』である貴様が、その『悪』の結晶を使いこなせるはずは……」
「うん、だからちゃんと代償は払ってるよ」
なに? と、ミカエルは眉を顰め、ある事に気付く。
アスタロトの視線。その先がミカエルの方を向いていない。
元『熾天使』という巨大な敵が目の前に居て、彼女はその敵を見ていない。
いや、
「まさか、貴様……」
そもそも、『見えていない』のだ。
「だんだん色々見えなくなってきたかな~。この魔剣を使い続ければ、あたしは光を完全に失う。長年連れ添ってきたこの両目とも、おさらばする事になるんだよね~」
「貴様、何故そこまで……」
そこまで、この女がする必要があるのか。
『天使』を抜け、『悪魔』に属し、今となっては『善』に肩を持つ理由も無いこの女が。
身を挺してまで、この戦乱に参加する必要が。
「理由とか、そういうのを考えるのやめたんだ、あたし」
過去の自分を懐かしむような口調で、アスタロトは言う。
「敵わないから。救えないから。助けられないから。あたしはそんな風に決め付けて『世界の節目』から生きてきたけどさ。居るんだよね~、常識を覆す馬鹿っていうのは」
たった一人の少女を闇から連れ出す為、『魔王』すらも殴り飛ばした少年を、彼女は知っている。
「マルティムみたいに『白い悪魔』になろうだなんて思わないけどさ。あたしも自分の想いの力ってやつがどこまで通用するのか、試したくなっただけだよ」
「……舐めるな」
大幅に魔力を削られても尚、ミカエルの言葉は強みを消さない。寧ろ、更に圧力を増していく。
「我が名はミカエル。神に似る者である。愚人が、これしきの策如きで我が力を出し抜こうなどと幻想を抱くな……!」
彼は身長の二倍以上はある大剣を片手で構える。
聖剣『アイテール』。天空の原初神の名を冠す、『善』の中でもトップクラスの力を持つ『聖装』を。
「そりゃ、これだけで勝てるとも思ってないけどね~」
呟き、アスタロトは空いている右手を虚空に翳す。
「さっき言った、君とあたしの違い。あたしはこれだと思うけどな~」
光が満ちる。白と黒が交差し、その『存在』の気配は更に異形の物へと色を濃くしていく。
聖剣『ガメイラ』。それは、かつて彼女が愛用した『聖装』だった。
「堕天した時に手放したんだけどね。『天界』に取ってあったみたい」
「ラドゥエリエルが手を貸したのであるか。どちらにせよ、構いはしない。纏めて潰すのみである!」
「やってみれば?」
聖剣と魔剣。全くの対に当たる力を手に、彼女は最大の敵へ立ち向かう。
己の持てる全てを賭して。
その身が滅びようとも厭わない覚悟で――――
足立 進とラドゥエリエルは、元『智天使』の二人と対峙していた。
「おい、ラドゥエリエルさん……。あの『悪魔』は一人で良いのかよ?」
「今は敵前です。他人を気にしてる暇があったら、目の前の敵に注意しやがってください。決して、ヌルい相手じゃありやがらないんですから」
目線を逸らさずに、注意深く、前だけを見据えて、ラドゥエリエルは話す。
ウリエルとラファエル。その実力は『天使』の中でも屈指。そもそも古の名を継ぐというのは、それに相応する『存在』と認められた証でもある。ましてや四天使の名を継ぐ者の実力など、聞くまでも無い。
「邪魔。鬱陶。目障。排除」
「どうした、ラドゥエリエル。貴様らしくも無いのだよ。堕天していない貴様は、天の戒めを反古に出来ない。穢れを負えば、この世に居られなくなるのだよ」
「ご心配なさりやがらないで結構。直接殴らずとも、蹴らずとも、殺さずとも、対抗する手段がこっちにはありやがりますんで」
ピクッ、とラファエルの眉が吊り上がる。
無駄に話を長引かせるのは、『見張る者』としては都合が良くない。イレギュラーの出現も、取るに足らない事だと判断したら次の行動は明白。
次の瞬間、ウリエルが動いた。
「破壊」
焔の剣を形成し、真っ直ぐラドゥエリエルに向けて振り下ろす。
「『DEFENSIO』」
ラドゥエリエルが呟いた瞬間、ゴッ! と力がぶつかった。
初めは押していた焔の剣の勢いが徐々に無くなっていく。突如出現した青白い光に阻まれて、ラドゥエリエルに届く直前で焔の剣は止まった。
「お忘れやがりましたか、私の能力を?」
焔の剣を止めた青白い光――――よく見ると、それは人の形を成しているようにも見える。目も口も鼻も無く、輪郭もはっきりしていないが、ただその場で焔の剣を受け止めている。
「勿論覚えているのだよ」
答えたのは、二人の攻防を眺めていたラファエルだった。
「『天使』を生み出す能力、だろう? 言霊思想にとことん極端化した力なのだよ。発した言葉を擬似的に主の命とし、自らの魔力で姿を形成、使命を忠実に全うするインスタント『天使』の出来上がりという訳だ」
しかし、とラファエルは言葉を続ける。
「本来、魂を与えるのは主アドナイのみ。意思も無い『天使』に力は無い。貴様が作ったそれは、ただの中身の無い人形に過ぎんのだよ」
ラファエルの言う事を裏付けるように、ウリエルが焔の剣の出力を上げ始める。
「破壊」
青白い光がその形を崩していく。所詮は『座天使』の作り出した『存在』。『智天使』の力に拮抗する事は出来ない。
「『ILLEX』!」
焔の剣が青白い光を切り裂いてラドゥエリエルに届く寸前に、彼女は再び『天使』を形成する。ほんの一瞬、『天使』が焔の剣を止めている間に、ラドゥエリエルは安全圏へ逃れる。
「『CURIS』」
素早く、ラドゥエリエルは次の言葉を発する。今度形成された『天使』は、人の形を成してはいない。それは細長く、先端が鋭く尖った一つの槍。
「『VOLARE』!」
ラドゥエリエルが叫ぶと同時に、ドンッ! と、大砲のように凄まじい勢いで槍がウリエルに向けて飛んでいく。反応に遅れ、ウリエルはその場から動く事が出来ない。
「ッ!」
槍はウリエルの胸部を貫通し、そのままラファエルへと迫る。
「少々油断したのだよ」
呟き、ラファエルは片手を翳す。槍が掌を貫き、眼球の前で止まるが、ラファエルはまばたき一つしない。
「だが言ったはずなのだよ。私は病も、傷も、痛みも、全てを緩和する。苦痛を伴わず、すぐに癒える怪我など、恐怖するに値しないのだよ」
ラファエルが掌から槍を引き抜くと、空いた穴がみるみる塞がっていく。離れた場所にいるウリエルの胸部も同じように修復されていく。
それを見て、ラドゥエリエルは後ろで呆気に取られている足立の方を振り向く。
「ボサッと突っ立ってやがらないで、『神足通』で牽制でも何でもしやがってください! 私一人でどうにかなる相手じゃありやがらないのは判るでしょう!?」
「っ! あ、あァ……!」
はっと我に返ったように足立は動き始める。
かくして『座天使』二人は共に、元『智天使』二人に立ち向かう。
(いや――)
戦闘の中でラドゥエリエルは思う。
(私と足立が――あるいはアスタロトがどれだけ足掻いても、『見張る者』を誰一人として倒せやしない。どんなに頑張ったって、所詮は時間稼ぎでしかない)
ふと彼女は、ある方向へ視線を走らせる。
あの勇者が、裏切り者と死闘を繰り広げている場所へ。
(早めに終わらせやがってくださいよ、『ガーネット』)
全てを、彼に託すように。
(負けやがったりしたら承知しません!)