【第百六十六話】騒擾編:プロヴィデンス
『最強』対『天帝』。
双方の戦いは、激化する。
一度衝突すれば、木々が薙がれ。二度衝突すれば、地が抉れ。三度衝突すれば、空が裂け。
何者も立ち入る事の出来ない領域で、二人の怪物は戦う。
「“瞬転”に“金剛不壊”……随分腕を上げたな、お前さん」
「ハ、そりゃそうだ。神通力に対抗し得る術なんて会得しねぇ手は無ぇよ。……つっても、お前が開発したもん使うのも癪だがな」
音すら遅れてくる速さでぶつかり合う両者。
しかし、これはまだ組み手の域。どちらも本気では無い。
「それで良い。手段を選ぶ奴は二流だ。ぬるい思想は身を滅ぼす」
「知ってっか、クソジジイ? 一流の上には『超一流』ってのがあんだぜ?」
「知らん。儂はどうせ二流だからな」
ドンッ! と一際大きい衝撃が響くと、両者は一旦距離を取る。
「しかし、だ」
ゆっくりとした動作で、『天帝』は懐からソレを取り出す。
「お前さんがあくまで儂の邪魔立てをすると言うなら、一流になっても良いかも知れん」
音は無かった。
ほんの一瞬。それこそ瞬きすらも許さないような速度。
「――――ッ!」
ドバンッ! と、『最強』の目の前で火花と爆発が同時に上がった。
「ぐ、お――――ッ!?」
凄まじい勢いで吹っ飛ばされ、そのままノーバウンドで50メートル以上先の地面に叩き付けられる。
「咄嗟に左腕で受けたか。しかし、それももう使い物になるまい」
素早く起き上がった『最強』だが、その焦げたような黒い傷を負った左腕はだらりと力無く垂れ下がっている。
「……ハ、くれてやるよ腕の一本くらい。それよりも、今の術は何だぁ? あたしの知る限り、『人間』の域外の物に見えるんだがな」
「なに、疑問に思う事でもあるまい。人とは古来より、不可思議な現象を超常的概念で説明しようとしたものだ。例えばそうだ……黒雲の帯びる空に轟音を響かせ奔る一筋の光を、人はこう呼んだそうだな」
バチバチッ、と電気の帯びた金剛杵を手に、『天帝』は告げる。
「――――“神鳴”と」
再び火花と爆発が上がった。しかし、それは何も無い地表に雷撃が当たって起こったもの。『最強』は既に少し離れた場所へ転移している。不意を突かれなければ、避けられない攻撃では無い。
「……金剛杵ってそりゃ『法具』じゃねぇかよ。人が使う分には儀式用が限界のはずだろうが」
「当たり前だ。『法具』とはそもそも概念を偶像化した道具だ。十字教でロザリオに付いた小さな十字架に祈りを込めようと、キリストが磔になった実物の十字架の力に勝るはずも無い」
だが、と『天帝』は続ける。
「『漏尽通』――儂個人の能力があれば、その枠組みすらも消える。儂自身を人として認知され得る範疇を超させれば、即ち偶像は偶像で無くなる。儂の操るこの雷は、正真正銘インドラの『雷霆』に等しい物となる」
「おいおい、お前個人の能力ってそんな都合良いもんだったかよ? 所詮、煩悩を潰すだけの才だろ」
「儂自身、その事に気付いたのはつい最近だがな。要は、発想の転換だ」
ビシビシビシッ! と、『天帝』を中心にして地表に亀裂が生じる。その亀裂は徐々に大きく広がっていき、やがて『フィールド』の外――森全体へ行き届いていく。
「時に産声を上げる事が赤不浄として扱われるように、時に瞑する事が黒不浄として扱われるように、世の理には背反する物が多々ある。よって、多視点的に生も死も同じく穢れとして解釈されるならば、仮に一方を操る者が居たとして、もう一方を操れたとしても不思議ではあるまい」
崩壊していく。人知を超えた巨大な力が、『最強』の前に立ちはだかる。
「だからこそ、儂はそれを極めた。あらゆる事物を、あらゆる視点から、あらゆる知識を用いて諦視し、その全てに煩悩と思しき要素が見られるならば、それを我が力を以って消し去る。それが儂の目的を果たす為に身に付けた、事象干渉術だ。お前さんの学校の『決定者』も似た様なものだろう。あれは幾分使い勝手が悪そうだがな」
「……何がしたいんだよ、お前は」
ぼそっと『最強』は呟いた。
「達貴やあたしの学校の生徒、『妖怪』やら『ハグレモノ』やらそこらにちょっかい出しやがって、お前は結局何がしたい」
「決まっている」
『天帝』は即答した。
「そんな物は、七年前に吉祥が死んだ時から既に決まっている!」
そして攻撃は始まった。
『天帝』が構えると、地面の亀裂を伝って閃光が『最強』の足元まで迫る。
「“厳霊”」
刹那、先程とは比べ物にならない規模の爆音が轟いた。一瞬視界が真っ白に染まり、大地そのものが弾け飛び、爆風は森全てをめちゃくちゃにし、大気をも振動させる。
その威力は、木も、草も、石も、塵すらも、何一つ残らない――――はずだった。
「……せぇんだよ」
あれだけの破壊、あれだけの力を前に、
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ、クソジジイ」
『最強』はまだ、立っていた。
「理屈も卑屈も聞き飽きた。言い訳は手短に済ましやがれ。さっさと結論だけ言えってんだ」
「……その姿は――――」
初めて、『天帝』は目を見開いた。
「基礎ほど重要なもんは無ぇよな。基礎ほど難しいもんも無ぇけどな」
『最強』は、昂然と、しかし静かに言い放つ。
「皓も、黯も、蒼も、赫も、全部やり込んだ。基礎しか能の無ぇあたしがオリジナリティを追求した結果がコレだ」
玉虫色、と言えば適切か。『最強』の眼や髪の毛、身体全体から溢れる魔力が、光の当たり具合によってその色を様々に変えていく。
「気を付けろよ、クソジジイ。禁術ってのは元々、『そういう力』に抗う為に編み出された術だからなぁ――」
全ての色を極めた魔術師は、その本気を見せる。
「――お前の目指した力がどれほど脆いか、教えてやるよ」
その色は、黯。漆黒の魔力が波動となって『天帝』に放たれる。
「ッ!」
その色は、蒼。碧色の魔力が射程距離を無視して、距離を取った『天帝』に対して撃ち込まれる。
「小癪な……ッ!」
『漏尽通』。取り払うは己の掉挙と不正知。取り戻すは無瞋と慧眼。
禁術とは名の通り、禁忌の技術。白、黒、青、赤、それぞれの魔術を突き詰めた先の臨界点。
だが、
(白戸も黒井も青崎も赤間も、彼の一族は今となっては既に全て滅んだはず)
その昔、それぞれの魔術のエキスパートとでも呼ぶべき者達が存在した。禁術の研究はその者達の間でしか行われず、記録すらも現在では残っていない。禁術を学ぶ術など、どこにも存在しないはずなのだ。
ならば、『最強』が使うあの術は――
(間違い無く未完成!)
爆風が吹き荒れる中で『天帝』は金剛杵を構える。
「――“神鳴”!」
雷撃が放たれた。目に止まる事も無い速度で、一直線に『最強』へ飛んで行く。
「無駄だ」
その色は、皓。純白の魔力が集い、一つの盾となって雷撃を無効化する。
「お前が『その力』に頼ってる限り、お前は今のあたしを超えられねぇ」
「何を言うか。対抗術を超えてこその力だ。儂が目指す物は絶対でなければならん」
「アブソリューティズムなんて今時流行らねぇぞ」
「案ずるな。儂は元よりグノーシス主義だ」
そして、徐に『天帝』は姿勢を落とす。
「“稲夫”」
パァンッ! と何かが破裂したような乾いた音と共に、地面が蹴り上げられた。
凄まじい速度で、『天帝』は『最強』に迫る。それこそ電光の様に直線的で無駄の無い動きで。
(空気摩擦をそのまま電気にして加速してやがる――ッ!? “瞬転”の速さを超えるつもりか!?)
「力とは単に強大である物を指すのでは無い。応用の利く物を指すのだ」
ゴバァンッ! と猛スピードで二つの力が衝突した。
『天帝』の拳と『最強』の掌。打つ者と受ける者。この状況においては、前者の方が後者をやや上回る。
ガガガガッ! と『天帝』の力に押されて『最強』は地面を抉りながら後退る。
その色は、黯と皓。漆黒の魔力が身体の強度を底上げし、純白の魔力が破損した細胞を修復する。
「ご、は……ッ!」
不意に、『最強』の口から血が吐き出された。表面上にダメージは無い。しかし、過度の魔力の行使により、体そのものが悲鳴を上げていたのだ。
「まだ耐えるか。だが、不安定な禁術のガタが来ているな?」
「……ったりめぇだ。未完成に、決まってんだろ……こんなの。第一、完成してんなら……初めの一撃で、仕留められたはずなんだよ……ッ!」
時間は無い。体力勝負になれば、『漏尽通』で疲労すらも取り払う『天帝』には勝てない。何としても、禁術の持続が切れる前に。
「おおおおおォォッ!」
その色は、黯。ただ純粋に、破壊を極めた漆黒の魔力。
ビリビリと、空間を揺るがす重圧が場を制する中、『天帝』は静かに言う。
「凄まじい力だ。紛れも無くな。どうやら、それに応じるには儂の突き詰めた限界という物を見せねばならんようだ」
「ッ!?」
『天帝』は金剛杵を持った腕を高く掲げる。
「“神解”」
雷が『天帝』の腕に落ちた。『天帝』の身体全体が発光し、電気を帯びている。
(この野郎、まさか――――)
そこで初めて、『最強』は戦慄する。
(――――まだもう一段階隠してやがったのか!?)
「手筈は整った」
『天帝』は告げる。
己の最高の力を以って、宿敵を討たん事を。
「これより儂は『現人神』となる」
自らの娘を手に掛ける事を、僅かに悔やみながら。