【第百六十五話】騒擾編:カーネル
今更ながら言わせて貰うけど、僕は面倒な事が嫌いだ。
ただ、補足すると、この『面倒な事』は大きく分けて二種類ある。根本的に雑然とした事と、気に食わない事だ。
勿論どっちも嫌いだ。少し前までは両方とも無視してきた。その方が気が楽だったからだ。
でも、前者はともかく、後者は何て言うか無視できなくなった。いや、無視しちゃいけない事に気付いた。
だって、僕には守りたいものがありすぎたから。
頭が破裂しそうだった。強烈な目眩に加えて、異様な浮遊感。自分がどこに居るのか判らなくなってしまいそうな不安感が治まったと思ったら、窓の外は闇一色。完全な異世界だった。
僕は魔力を探った。多分、どっかの敵対勢力の仕業だろうと思ったけど、こんな術式は知らない。二年前にクラス全員が『魔界』へ飛ばされた時とは訳が違う。全く以って異形の力の反応。
……何人か校舎に居るな。個人の判別までは出来そうに無い。どうにも、この空間は魔力の伝わり方が比較的鈍いみたいだ。一番近い魔力も大分薄い……いや、これは妖力か。
「やあ、秀くん」
声がして、僕は振り向いた。
「よーこさん、現状はどのくらい把握出来てる?」
「さあねぇ……ワタシの力も、ここでは少し使い難くなっているようだしねぇ……」
そう言って肩を竦ませるよーこさん。もしかしたら結構な事態なのかも知れないな、これは。
「……とにかく、他の人達と合流しなくちゃいけないね。人手はあった方が良いし」
「そうだね。敵の正体に全く見当が付かない以上、情報も欲しいところだしねぇ」
歩き出す彼女に続いて、僕は溜め息を吐いた。
ただ単に、気に食わないこの状況に対して。
「……本当に、面倒な事態だよ」
風魔法第六番の三『テラ・ブレイド』。
僕は目の前の敵を殺しにかかった。
暗く深い森の奥。大きな風穴が空いた『フィールド』の中で、その二人は向かい合っていた。
一方は学校の長。『最強』と呼ばれる、人間の頂点。
もう一方は『家族』の長。『天帝』と呼ばれる、生きる伝説。
対峙する両勢力の長は、互いに一歩距離を詰める。
「ハッキリさせようと言ったが……良いのか、お前さん」
「何がだ?」
「覚悟無くして語る言葉では無いという事だ。お前さんがここで果てようと、それも道理と割り切る覚悟が、お前さんにあるのか?」
「んな辛気臭ぇのは後でも構わねぇ。肝心なのは、その場のノリと直感ってな。楽しく生きるコツだ、クソジジイ」
一歩。また一歩。
「……舐められたものだな。仮にも、お前さんは挑戦者側だぞ?」
「ハ、まだ大口叩くに足らねぇとでも言いてぇのかよ?」
「…………」
「んまあ、別に良いぜ。あたしが仮に挑戦者だってんなら、お前はチャンピオンだ。あたしがまだまだ青いと思ってんなら――」
一歩。
「――試してみろ」
爆ぜる。
両者の拳が衝突した瞬間、衝撃で足場が吹き飛んだのだ。
「おいおい、脆い建物だな」
「何を今更。儂らより堅い物も無かろう」
『最強』が身体を反転させて回し蹴りを放ち、それを『天帝』は片手で受け止めると、そのまま足首を掴んで投げ飛ばす。
宙を舞う『最強』は壁面に脚から着地。衝撃でヒビの生じた壁の隙間に爪先を突っ込み、力尽くで壁の一部を『天帝』に向けて蹴り飛ばした。
「お前さんはいちいち挙動が派手だな」
埃でも払うような動作で、『天帝』は飛んできた巨大な壁の破片を振り落とす。
「いや、そうでも無ぇぞ?」
背後。
『最強』の拳が、『天帝』に迫る。
(壁は目晦まし……!)
拳が『天帝』の体に触れる。それ自体に大した威力は無い。しかし、そのインパクトの瞬間――『最強』はありったけの魔力を、押し出すように拳へ注ぎ込む。
「飛べよ」
ゴッ! と爆発的な打擲強化により『天帝』が吹っ飛ぶ。だが、すぐさま『天帝』は空中で体勢を整え、足の裏で床を削って速度を落としながら着地する。
(……やっぱ堅ぇな)
反動でやや痺れている拳を確認すると、『最強』はチッ、と舌打ちした。大抵の相手ならあの一撃で仕留められたはずだが、そこはやはり目の前の大男がそこらの『存在』とは訳が違うのだ。
「……解らんな」
若干声色を変えて『天帝』は訊いた。
「先を急いでいるとしか思えん。お前さんが学校を離れてまで儂を討つ事に、何の意味がある」
「意味が必要か? ハ、甘ったれんじゃねぇよ。お前らがどれだけあたしの周りの連中に手ぇ出したと思ってやがんだ? そろそろ幕引きにしようや。このくだらねぇ争いをよ」
「くだらん、か……。お前さんにはそう見えていたか?」
ギロリ、と『天帝』の目元に刻まれた刺繍が睨んだ気がした。
「相容れんならそれも良し。儂はただ己が目的の為、私欲の為に行動した。その結果のみを見据えるならば、そう認識されるのも無理は無い」
決して、自分が間違っているとは口にしない。
「ここから先はただの殺し合いにしかならん。お前さんは退け。学校に『最強』が不在だという状況がどういう事か、お前さんが解らんはず無かろう」
「学校の心配してんのか? だったら問題無ぇよ。こっちにゃ頼れる生徒会長が居るんでな」
「……以前から気にはなっていたが、お前さんは何故あの『決定者』をそうも信用する?」
『天帝』は一旦言葉を区切った。
「生徒会の他の輩については理解出来る。『元魔王』『天狐』『吸血鬼』は戦闘、お前さんの息子と『簒齎者』は監視と介入の役割でもあるのだろう。しかし、彼奴だけは解らん。単に、戦闘用三人の鎖として置くならば他にも該当する者は居る」
「ハ、頭だけこね繰り回して考えてるお前にゃ一生解らねぇかもな」
『最強』は軽く笑った。
「あいつが――――誰より人を信用してるからだ」
――――そんな馬鹿な。
風の刃が通り抜けた。校舎の壁が切り裂かれ、柱を無くして重みで耐えきれなくなった屋根の一部が崩れ落ちる。寸でのところで避けはしたが、今のは明らかな攻撃行為。殺す為の一撃だった。
「……何をするんだい、秀くん?」
「白々しいんだよ、偽者。本物のよーこさんはどこだ」
真っ直ぐ。何一つ迷いの無い眼で、少年は前へ出る。
「何を言っているんだい、ワタシは――」
「質問に答えろ。あんたの芝居は見てて反吐が出る」
この少年に確証は無いはずだ。『神力』を行使した変装は性格は疎か、内容する魔力の質まで完全にコピーする。最早、本人そのものとの見分けは不可能のはずなのだ。
だが、この少年は。
「いつ気付いたんだい?」
もう隠す態度すら見せずに、狐の偽者は少年に訊く。
「最初から不自然だった。いくら力の伝わり難い空間だからと言って、よーこさんが僕の元へ真っ先に来るはずが無いんだ」
山中 妖狐という人物は、割り切った性格をしている。大抵の事象を把握し、認知する事は出来るが、来るべきものは避けられない事を知っている。だから、最悪の結末にだけはならないよう戦場で一人奔走する、そんな人物なのだ。
だが。
「それはおかしな話だねぇ。『ワタシ』は山中 妖狐自身では無いが、オリジナルの性格は受け継いでいる。その性格に基づいて行動した結果が今の状況……まだ確定要素は無いはずだよ」
「いや、確証はある」
少年は即答する。
「よーこさんも自分で色々調べてた。優秀な情報屋も知ってたらしいし、何より『眼』があるからな。去年のクリスマス前からとっくにあんたの情報は入ってた」
少年は断言するように、
「『悪』の内部抗争だろ。『魔王』も『氷王』も全部入り混じった最大級の混乱。あんたの変装は性格は模倣出来ても、記憶までは出来ないみたいだな。よーこさんは、ずっと懸念してたんだよ。『悪』全体が巻き込まれるような事態に、真っ先に飛び火を受ける『存在』が学校に居るからな」
そう。
かつて『魔界』の中心に立ち、『悪魔』を統べたが、その座を捨て、裏切りの報復に何度も合ってきた女子生徒が。
「麻央さんだ」
やや口調を強めて、少年はその名を口にした。
「だから不自然だったんだ。よーこさんの性格から考えて、この状況では何より麻央さんの捜索の方を優先させるはず。……まあ、それに加えてもっと決定的だったのは、あんたが『敵の正体に全く見当が付かない』とか言ってた事なんだけどな」
「……なるほどねぇ」
狐の偽者は納得したように深く頷いた。
「よくよく解った。それは確かに不覚だった。やはり潜入などというのは、案外ひょんな事でバレるものだねぇ」
飄々と、敵らしからぬ軽い調子の声で、狐の偽者は喋る。
「……あんたはどこから送られてきた? 『魔界』か? それとも『氷界』か?」
「いやだねぇ、秀くん。まさか……『自分』の顔を忘れてたりしてませんよね、はい」
ぞっ、と。少年の表情が凍り付いた。
一瞬の空間の歪みと同時に、敵の姿が全くの別人へと変化した。
先程生徒会室で会ったばかりの後輩の姿へ。
「黎素、君……?」
「いやあ、光栄だったりしますね。まさか本当に自分の事憶えてくれていたりしたとは、はい」
若白髪をした後輩は、声の調子を崩さない。
「君が……この異空間に学校を飛ばしたのか?」
「それには少々誤謬が存在したりするかも知れませんね、はい。『自分がやった』と言うよりは、『自分もやった』と言うべきだったりします。何せ、『自分』は一人の『存在』と呼ぶにはあまりに適さなかったりすると思うんで、はい」
「な……?」
驚愕を抑えられない少年に、敵は言葉を続ける。
「『自分』……正確には『自分』の主人格に当たる人格ですけどね。その人格は、また別の人格を生み出す事が出来たりします。手品みたいな物です、はい。要するに『自分』のようなオリジナルや……『ワタシ』のようなコピーの人格も、自由自在に創造・転換出来るという事さ」
少年は信じられなかった。また再び現れた狐の偽者も記憶に誤差があったとは言え、容姿は本物とは区別が付かないし、口調や性格や妖力の質、何から何までそのまま。
こんな能力があっていいのか、と思う。本当に、その気になれば他の誰かと入れ替われたり、多数の人物を一つの体だけで演じ続けて生活出来るようなデタラメな能力が。
「『ワタシ』達がどこの所属か訊きたがっていたねぇ?」
空間が歪む。
金色の髪は白へ。纏っていた服も、肌も全て白に変わっていく。
「『あっし』が教えてやろうかね~おい。そもそも『あっし』らに所属なんて言葉があるのかも知りゃしないっつーんだがね~コレが」
新たに現れた真っ白な男は、少年の表情を見て焦らしながら、告げる。
「『あっし』らロキの人格は、『悪』の頂点だ」
最も核心的な世界へ、少年は巻き込まれていく。