【第百六十四話】騒擾編:コンフリクト
勇者は気絶した沙希の体を優しく下ろし、再び敵の方を睨んだ。
マイケル=ウィリアムズ。『見張る者』を唆し、コードネーム『ルビー』を冠した裏切り者を。
「………ここまで運んでくれた事に感謝する、足立 進」
「なァに、『座天使』ってのは元は神の乗り物だ。このくらい訳ねェよ」
いつの間に居たのか、勇者の隣で真っ白な服を着た『天使』が笑った。
「『見張る者』の足止めはなるべく踏ん張ってやるからよォ。お前はさっさとアイツを斬っちまえ」
「無論」
刹那、二人は一斉に駆けた。
ここは戦場。立つ者は皆豪傑。
これは護る者の為の、戦争だ。
「如何するのであるか、御武人よ」
片脚義足の『堕天使』が手短に訊いた。
「術式の発動は後回しです。あの娘を回収します」
「我々の援護は必要であるか」
「その方が早いでしょうねぇ」
答え、裏切り者は『堕天使』達と共に迎え討つ。
そして、離反した『善』の元最高戦力が勇者達に牙を剥いた。
「『クラウ・ソラス』」
マイケル=ウィリアムズの剣から閃光が迸った。真っ白な光の弾丸が一直線に空間を飛び、勇者に迫る。
「『ユピテル』」
対して、勇者は直前で盾を顕現させ受け止める。
「反射」
キュゴッ! と光弾がそのままの威力と速度でマイケル=ウィリアムズに跳ね返った。
「甘いですねぇ」
しかし光弾はその目の前で、ぎゅんっ! と軌道を変え、再び勇者に襲い掛かる。『クラウ・ソラス』の追尾能力は使用者の魔力に依存する物なのだ。単なる魔力反射では反撃に移せない。
「『ユピテル』は攻防一体の『聖装』。しかし、この状況においてはただの盾と変わり無し。更に言えば、その光弾の威力では『アスンシオン』の魔力障壁で防ぐのは無理でしょうねぇ」
マイケル=ウィリアムズは続け様に光弾を連射する。このまま光弾の数が増えれば、いずれ一つの盾では防ぎ切れなくなる。
「二つの『聖装』を所持出来る貴方の才能は素晴らしい。誰にも真似は出来ないでしょうねぇ。ですが、流石に貴方でも『聖装』の同時使用は不可能」
防御を選べば攻撃を封じられ、攻撃を選べば防御は無くなる。今の勇者の選択肢はその二つしか無い。
「一体私が何年、貴方達『ガーネット』に就いてきたと思っている? 貴方達の力を、最も近く、最も長く見続けてきた私が、貴方の攻略法に気付かないとでも思ったのですか!」
裏切り者の叫びを、勇者は黙って聞いていた。そして、反撃も出来ないはずの状況下で、彼は静かに、はったりという訳でも無く、ただ呟いた。
「攻略法とは、何の事だ」
瞬間、勇者の手から盾が消え、新たに武器が出現する。
聖剣『アスンシオン』。被昇天の名を有する、勇者の最も使い慣れた長剣が。
「あなたほどの手練なら、わざわざ言う必要も無いと思ったが――――」
防御を失った勇者の体に、無数の光弾が直撃する。腹にめり込み、肩を抉られ、骨を折られ、決して少なくない量の血が溢れようとも、しかし勇者は一歩を踏み込む。
「傷など気にして、戦に勝てるのか」
直後、何かが切り裂かれた。
木々も、岩盤も、空間も、全てを越えて。
勇者の太刀筋が裏切り者の胸元に届いていた。
「む、ぐッ……おッ……!?」
辛うじて急所は外れていたようだが、傷口から噴き出る鮮血をマイケル=ウィリアムズは手で押さえる。
(何だ……何が起こった……? 剣の間合いを操作する術か……?)
「別段、おかしな事では無い。『聖母の被昇天』――十字教において聖母は救われた者の象徴であり、信仰者にとっての目標とも呼べる」
平淡な声で告げ、勇者は聖剣を掲げる。
「あなたも目指したのだろう?」
「ま、さか……ッ!?」
そう。
先の斬撃は剣の間合いを操作した訳でも何でも無く、ましてや魔法や魔術でも無く――ただ勇者がその圧倒的な腕力を以って聖剣を振るった時の余波で生まれた物だったのだ。
「被昇天は原罪の超克の意――『アスンシオン』は人の限界を超える剣だ」
轟! と、勇者を中心に何かが広がった。
それは、人が放つにしては異質すぎる重圧。大気すらも揺るがす、誠実で、巨大な魔力だった。
そんな勇者の異常を最も敏感に感じ取ったのは、『見張る者』の『堕天使』達だった。
人外の、それも高位の『存在』である彼らには、勇者の力の質が『ある域』に向けて変化しているのが判ったのだ。
「……御武人!」
「おっとォ」
片脚義足の『堕天使』を始めとする『見張る者』の三人が援護すべく動こうとしたところで、割って入って来た者が一人。
「貴様……」
「無粋な真似は良くねェなァ、ミカエル様達よォ。『勇者』の決着は『勇者』同士、『天使』の決着は『天使』同士でやりましょうや」
「『座天使』の者であるか? 貴様如きが我々に刃向かうなど、些かおこがましいのである」
「おこがましくて結構。ただの時間稼ぎだからなァ」
『見張る者』はマイケル=ウィリアムズらの手で堕天した集団である。その存在意義は、マイケル=ウィリアムズらの目的に手を貸す為。つまり、何から何まで裏切り者達が関わっている『見張る者』は、その指針を失ったら行動する理由が無くなるのである。
(筧がアイツを倒すまで! その少しの間だけでいい! オレは何としてもコイツらを止めてなきゃならねェ!)
「破壊」
突如現れた焔の剣。足立は寸でのところで避けてから、距離を取る。
「貴様。邪魔。我々。排除」
「逃げる必要は無いのだよ。死にさえしなければ、私が治してやるのだよ」
「手荒いじゃねェか。お二人様ァ」
ウリエルとラファエル。元『智天使』の二人の『堕天使』。
片方は懲罰者。片方は守護者。互いに『天使』の重鎮として君臨していた実力者だ。
「破壊」
ウリエルの一言で焔の剣が弾け飛び、周囲に飛散する。
古の時代、ウリエルはソドムとゴモラの街を滅ぼす為に遣わされたともされる『破壊の天使』。オリジナルには及ばずとも、その力は人間一人を殺すには充分すぎる。
「おおおおおおおォォッ!」
掠って髪の毛先を焦がしつつも、足立は火の雨を何とか潜り抜け、神速から放たれる蹴りをウリエルの胸に叩き込む。
「無駄なのだよ」
ズンッ! と低い音が響く。足立の蹴りは確かにウリエルに直撃していた。しかし、それだけだった。
ウリエルの体は蹴りを喰らっても尚、身動ぎ一つしていなかった。
「私の手にかかれば、病も、傷も、痛みも、全てを緩和する事が出来るのだよ」
ラファエル。その最たる力は治癒。神の薬の意を冠する『智天使』は、足立の攻撃をほとんど無力と化していた。
「破壊」
ウリエルが新たな焔の剣を掌に形成する。
足立が急いでウリエルの体から離れた瞬間、足元の地面が爆ぜた。叩き付けられる様な爆風で体が宙を舞い、硬い岩盤の上に不時着する。
「ッ……! クソッ……!」
口元の血を拭い、足立は再び立ち上がる。相手は元上司の『堕天使』。気を抜いてなんかいられない。
「忠告したはずである。貴様如きが我々に刃向かうなど、おこがましい」
ゾクリ、と足立の背筋が凍る。
警戒を怠ってはいないはずだった。ただ、実力の次元が違いすぎる。
足立の背後から、明確な死の気配が近付く。
「抗うに、貴様の力量は実に乏しいのである」
神に似る者。『熾天使』の位に就く天使長ミカエルは、大剣を手に徐々に歩み寄る。
足立の『神足通』なら、逃げようと思えば安全圏まで逃げられたはずだ。だが、動けなかったのだ。
その圧倒的な重圧で、足が地面に縫い付けられているかのようだった。
「ガブリエルでも居れば、まだ違う結果があったかも知れないが……いずれにせよ、我々は止められないのである」
淡々と言葉を紡ぐ天使長を前に、動く事すら出来ない。足立にこれ以上無い絶望が過ぎる。
しかし、ゆっくりと歩を進めていたミカエルだったが、不意にその足が止まった。
「……?」
原因は、二人の女。一人は黒く。一人は白く。
手を組んだ『悪魔』と『天使』が、片脚義足の『堕天使』の前に立ちはだかったのだ。
その異様な光景を前に、最も先に口を開いたのは足立だった。
「ラドゥエリエルさん……? それから、てめェは確か『悪魔』の……?」
「アスタロトだよ~。久しぶりだね、足立クン?」
「間抜けな声を出しやがらないでください。敵前なのに気が抜けちまいます」
「エリー、カリカリしすぎは良くないかもよ~? ほら、肌とかにも影響出てそうだし」
「だあああああァッ! 近付きやがるな、触りやがるな、無駄口を叩きやがるなあああああァッ!」
普段からは想像出来ない程取り乱している同僚の姿と、それを愛称で呼んでいる『悪魔』の姿にやや動揺しつつも、足立は問いかける。
「てめェ、一体何者だ……?」
「ん? う~ん、そうだな~…………。君の先輩、かな?」
今度こそ、足立は動揺を隠せなかった。
「三対一なんて無理しないでさ~。ここは、あたし達も加勢させてもらうよ~」
元『天使』所属の『悪魔』は、元『熾天使』を前に臆面も無く言い放った。
「『堕天使』ってだけなら、この人達よりあたしの方が先輩だしね~」