【第百六十三話】騒擾編:エグジステンス
例えば。
誰にも負けない人間が居たとしよう。
拳一つで鋼すら粉砕し、ロケットミサイルを正面から受けても平然と立ち、不意打ちだろうが何だろうが全部看破するような、そんな人間が。
孤独も絶望も混沌も何もかも吹き飛ばしてしまえる人間が居たとしたら。
果たして、それは人間なのか。人間と呼び得る範疇に留まった者なのか。『現人神』も、『ハグレモノ』も、元は人間でも、その『存在』が人として扱われた記録は過去に一度として存在しない。くどい言い回しにはなるが、あまりに人間離れした人間とは、人間の境界が曖昧になるものだ。
しかし、そんな人間が過去に一度存在した事もまた事実。
六神通・三明最強の能力『漏尽通』を持つ男。過去、現在、未来全てにおいて二人として存在し得ないとされた、唯一無二の超人。
『史上最強』と呼ばれた人間が――――
『家族』のメンバー、桐谷 偲覇と仙道 羅含は危機的状況に陥っていた。
「クソッタレがッ! 本当に人間かあの化けモンはッ!?」
「おいおい、ひでぇな。そっちが要求を飲んでくれりゃ、あたしは何もしねぇよ。判ったらさっさとクソジジイをここに呼んで来やがれコラ」
ゴバァンッ! と、拳を近くの壁に叩き付けただけで、その半径五メートル以内の物が爆ぜた。
さらさらとした長い黒髪に端正な顔を併せ持った、どこからどう見ても容姿は美人な女は、その見た目とは裏腹に実はとんでもない戦闘能力を持っていた――――どこぞの漫画のあらすじのような展開だが、実際に起こっているのだから洒落にならない。
突然『フィールド』に侵入してきたこの女は、『最強』。紛う事無き、人間の頂点だった。
「ご、ぶ――――ッ!?」
『最強』の放った正拳突きは、空を切るだけでその衝撃波で敵を吹き飛ばす。
「単純な破壊力だけなら、『元魔王』の方が上かもしれねぇ」
言い、『最強』は逃げようとしていた偲覇の正面に回り込む。
「素早さだけなら、『天狐』の方が上かもしれねぇ」
言い、『最強』は召喚術を発動しようとした仙道の両手の甲に刻まれた契約印に青魔術で干渉して無効化する。
「能力の応用・技術面だけなら、『吸血鬼』の方が上かもしれねぇ。だがな――――」
言い、次の瞬間には、『最強』は二人を叩き伏せていた。
「おい出て来いよ、クソジジイ。『総合力』ってカテゴリーでタメ張れんのは、お前だけだろうが」
どんな時も、最後まで戦場に立っている者。それが、『最強』という人物だった。
「……そのようだな」
声が響いた。
建物の最奥。闇に包まれていたその場所から、その人物は姿を見せた。
「久しいじゃねぇか、クソジジイ。相変わらず光が嫌いみてぇだなぁ?」
「嫌い、か。確かにそうかも知れん。最早、儂はあの下で暮らせる程の心を持ち合わせていない」
真っ黒な法衣で身を包んだ大男。獅子のたてがみのように逆立った黒い髪と、目元に掘られた何かの紋様のような刺青が、見た者全てを威圧しているかのようだった。
「もうすぐ七十八だっけか? 何歳になったら白髪生えんだ、クソジジイ?」
「儂も昔よりは老いた。お前さんを相手するのも、決して楽では無い」
「ハ、それでも負けやしねぇってか?」
『最強』は、足下に転がっている気絶者二人を巻き添えの食わないように、適当に建物の外へ蹴っ飛ばす。
「上等じゃねぇか、元『史上最強』。どっちが上かハッキリさせようや」
ここに、地上最大の親子喧嘩が始まる。
「何よ、これ……」
ミラーカ=カルンスタインはその光景を前に絶句した。
「原因は判らない。ワタシも丁度出張中だったのでな」
空間にぽっかりと空いた穴。それも尋常では無い大きさだ。すっぽり、校舎一つが飲み込まれていた。
ミラーカは気付く。
そう、あそこにあったのは確か、あの男が居るはずの特別教室棟ではなかったか――――
「あの中で活動中だったであろう生徒会役員、及び教師数人の行方は不明だ。役員以外の生徒も何人か居なくなっている可能性はある。とにかくまだ現状が把握し切れていない」
「どういう事よ……?」
ジェイクの説明も耳に入れずに、ミラーカは最も奇妙な点について呟く。
「これだけの事があって、何でこんなに『静か』なのよ……!?」
がらんとした校庭。校舎が一つ無くなったという一大事に、誰一人として寮から出ている生徒が居なかったのだ。
「Well……それについても謎だらけだ。大概の生徒達が寮の中に居るのはまず間違い無い。時間も時間だからな。しかし人払いか、不可侵の結界か何か知らないが、こちらから中の生徒達に干渉する事が出来ない」
実証するように、ジェイクが寮棟の壁に手を伸ばす。指先がほんの少し壁に触れた瞬間に、その手がバチンッ、と弾かれた。恐らく、攻撃魔法でも同様の事が起こるのだろう。
「Besides……また、中の生徒は外の様子に気付いていないらしい。いや、『気付けないように仕組まれている』とでも言った方が正確か。とにかく、我々と中の生徒は接触を完全に遮断されているという事だ」
ジェイクは空間の穴の方を見遣り、
「……あの穴についてもそうだが、こんな術式などワタシは見た事も聞いた事も無い。全く未知の物だ。手を打とうにも、まず何をすれば良いかの見当も付かなくてな」
少しは落ち着いたのか、今度はミラーカが口を開いた。
「それで……私は何の為に連れて来られたわけ? まさか、単に仲間に出来そうな奴を探してたってわけじゃないわよね?」
「それこそまさかだ。言っただろう、『キミの力が必要』とな」
そしてジェイクは言った。
「何でも良い。今のキミの力で、この状況を少しでも変えてほしい」
「……えらく漠然とした頼みね。その相手が私である必要も無いじゃない」
「コピーしたのだろう、『彼』の能力を?」
ジェイクの言葉に、ミラーカは眉を顰めた。
「……どこで知ったの?」
「校長経由だ。ワタシも半分は『吸血鬼』だからな、その話くらいは聞いたことがある。月の魔力が満ちた時に使用出来る術は、『吸血鬼』に限らず幾つかの種族では見られるが、その中に吸血による魔力吸収を利用した能力模写術というのが『吸血鬼』にはあったな。相当な上位個体にしか真似出来ないと聞くが……」
目の前の『吸血鬼』は間違い無く、その相当な上位個体の内に入るだろう。
「扱い云々はともかく魔力のキャパシティだけなら、キミは『彼』の比じゃないだろう。以前の『家族』の一件では、自身の『死』すらどうにかなったそうじゃないか。そこまで出来るなら、それは間違い無くキミだけの、オンリーワンの能力だ」
「…………、私は――――」
ミラーカは言葉に詰まった。
つい先程まで自分はこの学校を去るつもりだった。関係を断ち切るつもりだった。だからこの一件も、自分とはもう無関係である。そのはずなのだ。
なのに、
「……キミが、自分の立場をどう考えているのか、ワタシには理解出来はしないがな。一つ言っておくぞ」
何でこんなに、もやもやするのか。
「校長がキミを生徒会に置いたのは、それなりに意味がある。それは忘れないでくれ」
ミラーカの頭に、様々な想いが過ぎった。利己も、他愛も、嫉妬も、愛情も、誉れも、恥じも何もかも。ごちゃまぜになって、全てが消えた。
もう迷う事は無かった。だって、自分には残った物は何も無い。
「……失敗して取り返しの付かない事になっても、私の所為じゃ無いわよ」
「安心しろ。ワタシが責任を取る」
「黙りなさい。それじゃまるで私が絶対失敗するみたいじゃないの」
まず何を対象にするか悩んだが、あの空間の穴を下手に刺激して、いきなり飲み込まれた校舎が大変な事になったら癪なので、もう一つの方にする事にした。
ミラーカは寮棟に体を向けて、静かに構える。
この能力を、あの男は何と呼んでいただろうか。そう、確か――――
「『真偽の決定』」
『吸血鬼』は、もう一度学校の為に力を振るう決意をした。