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僕の世界  作者: Sal
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【第百五十六話】騒擾編:フェイト

 気に入らない。


 へらへらしてるあの男が気に入らない。あの男に近付く女共が気に入らない。横入りしてくる輩が気に入らない。周りの連中全員が気に入らない。


 何より、そんなことに気を触れられている自分が一番気に入らない。


 分かっていたはずだ。あの男が見ているのは、私じゃないことくらい。全て覚悟した上で、私はここに居たはずだ。


 それなのに――






 『吸血鬼』ミラーカ=カルンスタインには、かつて日課があった。夜の保健室で、とある男子生徒の血を吸うという身勝手極まりないものだったが、それももう以前の話。


 彼女は自らその男子生徒に告げたのだ。もうここに来る必要はない、あんたは自分の居るべき場所に居ろ、と。


 彼女は望むものを見つける事を諦めた。彼女にとって、それは決別の意思表示に近かった。


 これでいい、と彼女は真っ赤なマントを揺らし、空を仰ぐ。


 空は暗く、灰色に覆われていた。夕立が来る前兆だった。流水に晒されるというのは、『吸血鬼』である彼女にとっては、命に関わる問題だ。


 降られる前にさっさと行こうと、彼女が歩みを速くしようとした時――――



 切り裂くような風が、彼女の横を通り過ぎた。



 頬に一筋の切り傷が走り、じわりと赤い血を滲ませ、滴となって地に落ちる。


 彼女は目付きを鋭く尖らせ、その『存在』へ問いかける。


「誰よ、あんた?」


「ええ、アナタは知らないはずですのよ。何故なら、ワタクシ達は初対面ですもの」


 場違いな雰囲気を漂わせる、フリルの付いたピンクのドレス。同色の大きなリボンを頭に着け、大きくウェーブのかかった、長い褐色の髪をしており、ぱっと見の印象は世間知らずのお嬢様のようだった。


 ただ、その口元から垣間見える異常なほどに鋭く生えた犬歯が、彼女が『人間』ではない事を物語っていた。



「ご挨拶が遅れてましたわ。ワタクシ、ストリゴイ新王族ゴンサルヴス家が長姉、カトリーナと申しますのよ」



 裾を摘んで軽くお辞儀をするカトリーナに対し、ミラーカは腕を組んで眉を顰める。


「すとりご……?」


「あら、これは失礼。アナタ、アイルランド系の方でしたものね。だったら、もっと分かり易い方が良さそうですわね。例えば……、『吸血鬼ノスフェラトゥ』とか」


 ルーマニアの言葉か、とミラーカは思った。『吸血鬼』の伝承は多岐に渡るが、その中でもルーマニアはそれに関して世界で最も豊かな国である。言わば、『吸血鬼』の里とでもいった所だ。


「前王族が潰されてから早一年。我がゴンサルヴス家は、ようやく新たな王族として『吸血鬼ノスフェラトゥ』の頂点に立つ事が出来たのですのよ」


 何も『吸血鬼』に限った話では無いが、王族というのは別に血筋で決めるものではない。その時代により、最も力のある者達が王族を名乗る事が出来るのだ。


 その決定方法とは、詰まるところ戦争。実力が権力に置き換わる、血にまみれた世界なのだ。


「相変わらず、くだらないわね。それで? あんたは私を殺しにでも来たわけ?」


「ええ、アナタはたった一人で王族を壊滅させてのけた過去をお持ちですもの。後々、我々にとって脅威となる可能性がある以上、放っておく訳にはいきませんのよ」


 ただし、とカトリーナは付け加える。


「アナタが我が一族の為に力を振るってくださると言うのなら、喜んでお引き受けしますわ」


 ミラーカは更に眉間に力を入れた。要するに、死にたくなければ下に就けと、そう言っているのだ。殺そうと思ったがやっぱり力は惜しいから、という完全に上からの物言いである。


 ナメられたものだ、とミラーカは思った。


「いかがでしょう? ワタクシはアナタの快い返事を望んで――」


「黙りなさい、三下」


 ピシッ、と一気に空気が張り詰めた。


「最初から『吸血鬼ヴァンパイア』の権力争いなんかに興味無いのよ。私は一族アイツらに一度としてまともな接し方はされた事は無かった。五歳の誕生日から監禁生活で異端扱い。十三になってからは、ほとんど見世物状態。挙句の果てには、他の有力者に対して売春させられかけた事もあったわ」


 赤い魔力がミラーカを中心に渦を巻く。頬の傷はみるみる塞がり、その眼は一段と紅く深みを帯びる。


「解る? 私にとって王族だの何だのっていうのは完全に外の話だったのよ。檻の外。それも、下衆の温床としか呼べない場所の」


 ピリピリと、彼女の放つ重圧プレッシャーがカトリーナに圧し掛かる。


 怨恨、憎悪、憤慨、狂気、殺気。そのどれとも形容し難い、あらゆる物が混ざり合った圧力。



「解ったら、二度とそのナメた口を利くんじゃないわよ」



 一撃。


 ミラーカの放った高速右ストレートが、カトリーナの顔面を捉える。魔術的強化は一切無しの、純粋な自己の運動能力のみによる攻撃。たったそれだけ。


 たったそれだけだが、カトリーナは体ごと真後ろに吹き飛び、余波で草木を巻き込みながら地面を転がる。


「……いきなりヒドいですわ」


 しかし、何事も無かったかのようにむくりと起き上がるカトリーナに、ミラーカは少しだけ苛立ったようにフンと鼻を鳴らした。


「案外、丈夫なのね。あんた」


「当たり前、ですわ。王族ですもの。現『吸血鬼ノスフェラトゥ』の最強一族ですのよ」


 カトリーナの体は、髪と同色の濃い体毛のようなものに覆われていた。骨格も微妙に変化しており、両手の指からは恐ろしく鋭い爪が伸びている。


「そういえば、あんたゴンサルヴス家とか言ってたわね。もしかしてペトルスの子孫とか?」


「まさか。彼はドイツ人ですもの。ただのモチーフですのよ」


 半狼ブルコラカス。それは『吸血鬼』の種の一つであり、狼の姿をし、人の血を吸うと伝えられる化け物。バイエルンの狼人間と呼ばれたペトルス=ゴンサルヴスとは、発祥時期こそ同じだが、場所は全く関係無い。


 『吸血鬼』の世界では、そういった伝承や作品に存在する名を、国の関連性は無視してそのまま一族の名として使用する傾向がある。ミラーカが属していたカルンスタイン家も、その一つだ。


「我々ゴンサルヴス家を筆頭として、シュトゥッベ家に、ガルニエ家。今や『吸血鬼ノスフェラトゥ』は半狼ブルコラカス型が最も力を有している時代ですのよ!」


 カトリーナはその服装からは想像も付かないスピードで、ミラーカへ襲い掛かる。


「“狼狂フォリ・ルヴィエール”と言いまして、狼化時の身体能力は通常の実に倍! 果たしてアナタはこの動きに――――」


「ねえ、ちょっと訊くわよ」


 カトリーナの攻撃が届く直前、ミラーカは呟く。



「あんたの通常って、私の半分もあるのかしら?」



 ドゴォッ! と、何かが爆ぜるような音が響いた。


「が……ッ!?」


 それが、カトリーナが顔面を殴られて地面に叩き付けられた音だと気付くのに、彼女自身も時間がかかった。ミシミシと頭に亀裂が生じる感覚が走り、しばらくはまともに意識を保っていられない。


「そろそろ加減無くすわよ」


 ふらふらと立ち上がったカトリーナに、ミラーカは赤い魔力を纏った拳で追い討ちをかける。更に威力の上がった一撃は、カトリーナの体をいとも容易く宙に浮かばせ、木々の中へ見えなくなるほどにまで遠く吹っ飛ばした。


「まだくたばってないわよね?」


 ミラーカは、木にもたれ掛かっているカトリーナに近付いて問いかける。


 その眼に慈悲などは見えない。ただ徹底的に相手を叩き潰すという信念だけが窺える。


「……流石は、『宿命の女ファム・ファタル』とまで呼ばれた、人物ですわ……。想像以上の、実力者ですわね……」


 虫の息、とでも言うべき状態のカトリーナを見下しながら、ミラーカは嘲笑する。


「なに? 今更降参する気にでもなったわけ?」


 かと言って、敵を見逃してやる筋合いはミラーカには無い。裏世界において、その考え方は甘すぎる。他人を殺すのに、自分がソイツに殺される覚悟が無いなど甘すぎる。自分にとっても相手にとっても、それは甘すぎる。


 甘さを捨てたからこそ、彼女は自分の一族を皆殺しに出来たのだ。


「そうですわね……諦めますわ。アナタがこんなに強くなければ、『こんなコト』までする必要も無かったのですのに」


「は?」


 トドメを刺そうとミラーカが大きく腕を振り上げたその時。



 ポツリ、と何かが腕に当たった。



(な――――)


 一気に、ミラーカは自分の血が引いていくのを感じた。


 やがて、腕に走った感覚は頭や足にも及び、ミラーカの全身を覆っていく。


「雨……!?」


 ガクン、と力が抜けたようにミラーカの膝が落ちる。そして、成す術もなく地面に這いつくばるような姿勢となってしまう。


 『吸血鬼』は流水に晒されると、四肢に力を入れる事が出来なくなる。それは種族としての弱点であり、いかに異質と呼ばれた彼女であろうと例外では無いのだ。


「なん、で……?」


 夕立が来そうな気配はあったが、それには充分注意していた。確かに『吸血鬼』にとって流水は大きな弱点だが、それと同時に流水を察する能力も身に付けているのだ。今現在降りしきっているこの雨は、明らかに予測したタイミングからずれている。


 そして何より。


「ふう、やはりこの方が手っ取り早かったのですわね」



 何故、この女は何とも無く立っていられる?



「あら、ワタクシが雨に晒されて平気なのか気になりますの? ご心配なく。ワタクシ、少々風を操るのに長けておりまして、ほんの少し空気の流れを変えるだけで雨には当たりませんのよ」


 見れば、カトリーナの着ているピンクのドレスは濡れている様子が無い。どうやら言っている事は本当のようだった。


「それから、この雨も自然的なものではありませんのよ。対アナタ用に造り上げられた天候操作魔術。と言いましても、ワタクシ一人の魔力では発動する事は出来ませんが……」


 形勢は逆転した。うつ伏せになっているミラーカは、カトリーナに頭を踏み付けられる。地面に出来た水たまりに顔が浸かり、泥水が口の中に入り込むが、咳き込む力すら絞り出す事が出来ない。


「元々、ワタクシはアナタの引き付け役でしたのよ。この魔術の発動を別の場所から行っている事に気取られるのを防ぐ為の。尤も、先程も申し上げました通り、ワタクシ一人で何とか出来たならそれ以上の事は無かったのですけれど」


 足音が二つ、カトリーナの傍に近付いてくるのが聞こえる。



「ゴンサルヴス家、処刑執行部隊エグゼキュートリー彼女達ディンセレ』。ワタクシ達、三人姉妹ですのよ」

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