【第百五十一話】事件の前置き その2
世界とは存外、変化を望む生き物だ。
虫も、鳥も、魚も、そして人も、一見して同じような特徴は見られない。しかし、遡ればかつてそれらは全て同一の存在でしかなかったことを思慮すれば、少なからず驚嘆するものだろう。
そう、世界は常に自らその姿を変えて行く。
サレナを呼び止めた学校長、高田 倶毘の両隣には二人の人物が居た。
サレナは、その内一人の事は知っている。金色のロングヘアーに、狐目をした女。この学校の生徒であるにも関わらず、その屈指の実力者。友人のクラスメイトの一人であったと記憶している。
「『最強』に、白面金毛九尾の片割れとは……一国を滅ぼせそうな面子だ」
「褒めてんのか、そりゃ?」
「はっはっはっ、皮肉とも取れるがねぇ」
そんな会話を繰り広げる途中で、ふとサレナはもう一人の人物に体を向ける。
見た目の年齢は若そうだが、かなり奇妙な風貌の女だった。ショートの黒髪に、開いているかどうかも判らないような細い目付き。猫耳付きフードが特徴的なグレーのパーカーと、ダメージ加工されたデニムのパンツ。そして何より、異様に曲がったその猫背が不気味な雰囲気を醸し出していた。
サレナは、この女の事は知らなかった。
「キミが何者なのか、尋ねておこうかな。どうやら教員でも生徒でも無さそうだが、他二人にも劣らない実力者なのかい?」
「なははは、やっぱり、わちきだけは挨拶が必要かにゃー?」
胡散臭い、というか奇怪な口調で喋る女は、ますます怪しく見えてきた。
「わちきは、ちょっとした情報屋をしてるにゃん。名前は、里崎 涅子。気軽に、『ぬこたん』って呼んでも構わないにゃん♪」
「フフッ、愛嬌のあるニックネームだね。だが、断っておこう。生憎、他人をあだ名で呼ぶのは好かない性分なんだ。それから、キミはもしや化け猫か何かかな?」
「なはーっ、バレちゃったかにゃん? なかなか鋭い洞察力の持ち主とお伺いできるにゃー」
それは本気で言っているのか、と訊きたくなるような言い草だった。
「……して、何故その情報屋とやらがここに居合わせているのか……、説明を要求させて貰いたいかな。キミだろう、山中 妖狐? 彼女を呼んだのは」
妖狐は目を丸くする。
「何故そんなことが判るんだい?」
「簡単明瞭なことだ。顔にそう書いてある」
「不思議な特技だねぇ」
「別段特異なものでも無い。過去・現在問わず、世の権力者たる者達は皆少なからずの読心術を得ているのさ。さもなければ、人の上に立つなどという非現実的な夢想を叶えることに至りはしないだろう。……尤も、キミのような『他心通』を持ち合わせていれば、どれほど容易なものと化していたか知らないが」
サレナの言葉に、妖狐は眉を顰める。
その様子に、更にサレナは顔を綻ばせて続ける。
「フフッ、だがしかし、その能力も案外脆いな。ほんの少し、閉心術を齧っただけでこの通り本心を隠す事は可能だ。この時点で、キミとの交流における大前提の制約は無も同然。果たしてキミが焦慮に駆られているならば、夙に互いのメンタルにおける優劣は確定しているだろう?」
サレナの言う通り、妖狐は彼女の思考を見透かす事が出来なかった。もやもやと、まるで霧に包まれているようなこの感覚は、以前の狸のものと良く似ている。
「……やれやれ、まるで瓢箪鯰だねぇ。流石は『ハグレモノ』の長だけある」
「『キミ達』の長にも似た者が居たろう?」
「滑瓢かい? 彼は案外気さくだよ。それから『妖怪の里』は今、勢力抗争が激しくてねぇ。長と呼べるのは、彼だけじゃないさ」
「フフッ、やはり生きる古はその存在確定に勤しんでいるんだね。素晴らしいな、彼らは。強者の本分たるものを、資本が社会を支配する今現在でも忘れていない」
生きる古――――現在『妖怪の里』では、大きく分けて七つの勢力が存在するが、それぞれの勢力の首魁に当たる『妖怪』は、ほとんどが千年以上生きている古参達ばかりである。それ故に、彼らは時折そう呼ばれるのだ。
尤も、『古』という表現は『忘れ去られた』という意味合いも存在する、ある種皮肉を含んだ蔑称でもあるのだが。
そんな事を知ってか知らずか、サレナは先程からまるで変わらない笑みを浮かべている。
「おい、話を進めねぇなら勝手にあたしが答えるぞ」
待たされていた校長は痺れを切らしたのか、顰め面でそう言う。
「山中に里崎を呼ばせたのは、あたしだ。どうにも『妖怪』同士の情報網か何かがあるみてぇでな」
「何の為に?」
調子の変わらない声で、サレナが訊く。
「里崎は今だけ学校側で雇ってんだ。交渉には、こういう奴が居る方が都合が良い」
交渉。その言葉に、サレナは僅かに眉を顰める。
「単刀直入に尋ねるぞ、『黒百合』。お前、この学校と手を組まねぇか?」
やはりそうか、とサレナは半分呆れ気味の笑みを見せた。
何も珍しい事でも無い。そもそも『ハグレモノ』は、より高みを目指した『人間』によって造られた『存在』。『人間』の果てでありながら、その元々の造られた目的は、人に抗えない天の領域そのものの蹂躙にあった。
故に、通常の者達には恐怖や忌避の対象となるものの、『それ』を目的とする集団には、彼らは快く受け入れられる。ただし、その場合は『人間』として扱われる事は無いのだ。
『対神兵器』。
即ち、それは『神』を殺すための『兵器』だった。
「……理由は、やはり『家族』の事かな?」
「まぁな。あいつらも結局の目的はそこなんだよ。お前らの場合は未完成に終わったが、それを成功させちまおうってのが、あのクソジジイ共の考えってこった」
『家族』の構成員からも窺えるが、彼らはやはりそれに即した者達だった。
火神 輝彦のような『神』の力の片鱗を得た者や、伺見 絶のような古の仙人の力を扱う者。そして、ヴァイオレット=リデル=コンスタン――『対神兵器』の一人等だ。
「んで、そこが目的な以上、『ハグレモノ』であるお前らのとこに来る可能性も高い。お前らに頼みたいのは、『家族』がお前らを探ってる様子があったら学校側に報告すること……それだけだ」
校長の口調から察するに、それは憶測の域を超えないらしい。しかし、サレナにはそれが近い内に起きる確証があった。つい、一週間程前の例の出来事である。
サレナは敢えて、それを口には出さない。
「お前らも解ってんだろ? 桐谷 秀……あいつがどういう状況に置かれてるか、って事くらいはな」
「どこでそれを?」
その問いは、サレナ達と秀の関係をどこで知ったか、という意味である。
「情報屋の力をナメちゃいけないにゃー。ちょこっと調べれば、誰が誰と繋がってるかなんてまるっとするっとお見通しだにゃん♪」
里崎 涅子が自慢げに口を挟んだ。どうやら情報屋を自称するだけあって、彼女の実力は本物のようだ。
「……フフッ、こちらも色々と調べ上げられているという事か」
交渉とは、時に単なる脅迫と化してしまう事がある。相手の弱みに付け込み、身勝手な要求を呑ませるという手段だ。その際において、弱みを握るための情報調達――情報屋はそういった場で雇われる事が多い。
「別に弱みを探ったとか、んなつまんねぇ真似はしてねぇよ。単純に、このくだらねぇ争いをさっさと終わらせるにはどうすりゃいいか考えただけだ。こういう協力を求めるには、まず相手の事情その他もろもろ知る必要があんだろ。里崎はそのために雇ったんだよ」
「なははは、ついでに色んな裏情報も釣られてヒットしちゃったけどにゃー」
「些かおふざけが過ぎるのが玉に瑕だけどねぇ」
「フフッ」
サレナはもう一度笑った。
判るのだ。彼女には、目の前に居る人物達のそれぞれの言葉に込められた真意が。ある者は純粋に、そしてある者は裏にもう一つ抱えている様子が手に取るように判る。
だからこそ、彼女はその姿勢を崩さない。
「残念だが、協力する気は無い。ボク達は誰かに味方するつもりも無ければ、誰かと対立する気も同様に無い。そもそも、ボク達の目的は、極めて個人的な事情なんだ。他者の介入は、錯雑とした状況になってしまうリスクファクターとなり得る」
「別に、学校側がお前らの事情に踏み込む訳じゃねぇ。ただ、『家族』の問題一点だけに関して、お前らが学校側に情報提供してくれりゃ良いだけだ。それに、言ってんだろ。桐谷 秀がどんな立場に――――」
「彼は関係無い」
サレナは、珍しく強い口調で言い切った。
「関係、無いんだ。彼とボク達とでは、根基根幹として住む世界が違う。彼の存在が、ボク達の介入する理由には成り得ない。また、利害の一致も無いのならば、ボク達がキミ達と協力する理由も、やはり存在しないのさ」
サレナはそこまで言って、背を向けた。
「おい、話はまだ――」
「現時点において、ボク達は傍観者の域を超える蓋然性は皆無だ。これ以上の話し合いは不毛でしか無い」
校長の言葉を遮るように述べるサレナ。
「今度、ボクとお喋りする時は、固定化されたそのパラダイムを意識的に逸する必要性を考慮すると良いかな。フフッ、尤も、裏世界におけるパラダイムという定義も酷く珍妙な物だが」
そう最後に付け加えると、サレナはさっさと姿を消した。
校長ら三人はその場で立ち尽くす事しか出来ない。
「……交渉決裂、かにゃー」
「残念だねぇ、校長先生」
『妖怪』二人が、校長に声をかけると、
「……ハ、えらく言い訳は達者だが、嘘は案外苦手みてぇだな。それとも、吐いてる気がねぇのか……」
彼女は口元に僅かな笑みを浮かべていた。
「どういう事だい?」
妖狐が訊く。彼女は、校長の考えている事を見透かす事は出来るが、心理という物を理解する事が出来ないのだ。
「解んねぇなら、神通力に頼ってばっかじゃなくて勉強しやがれ。そうしなきゃ見えねぇ世界があんだからな」
校長の言葉に、『妖怪』二人は互いに顔を見合わせて首を傾げた。
「ったく……」
校長は空を仰ぎ、下手な口実で去って行った『ハグレモノ』の統率者に向かって舌打ちする。
(……関係無ぇんなら、何しにここまで来たんだっつーの)
学校の敷地内から出たサレナは、どこを向く訳でも無く、相変わらずの調子の声をかける。
「居るんだろう、デドリー。もう出て来ても問題無い」
すると、近くの茂みからガサガサという音と共に、メイド服を纏った黒髪の女が姿を現した。
「……申し訳ありません、ご主人様。従者とは、主君と共に在り、供として在る者――例え、ご主人様自身の命だとしても、本分にそぐわぬ行動をする訳にはいかないと判断しましたが故に……」
「一週間前の言葉をそのまま繰り返しても良いが……、まあ、キミの性格からして予想はしていたさ」
真面目過ぎるのも考えものである。
「帰ろう、デドリー。目的は果たした。後は、事態の進展を待つだけだ」
「了承しました、ご主人様」
『黒百合』は従者を連れて帰って行く。
傍観者として、『彼』の行く末を見届ける為に。