【第百四十六話】狂乱編:真意
火神 輝彦が目を覚ました時には、全てが終わっていた。
最初に輝彦の目に映った光景は学校の屋上ではなく、火神組本家――自宅の布団の上だった。
そして、その横に座って、彼の顔を覗いていたのは――――
「オヤ、ジ…………、ヤス、ノリ……」
彼の、家族だった。
「まぁ……生きとるのも予想通りやったな。まさか『決定者』が手を出すとは思わへんかったが、『元魔王』も今の性格じゃ殺しなんぞ出来へんと踏んどったしのぉ」
父の石切の言葉に、隣に居た夜藝はバツが悪そうに目を逸らす。
「ナン、デ……」
「案の定、『赤鴉』の力に自身が飲み込まれとるようやな。『赤鴉』は本来、『陽』の力。『陰』の気が強すぎるお前にゃ、扱えへんとは予想しとったが」
石切は大きく溜め息を吐いてから、本題に入る。
「それはそうと、お前にずっと訊きたい事があったんや。この7年ずっとな。喋らんでも良えから、『そう』か『違う』かくらいは言えや」
石切は問う。
「お前、本当は人殺した事一回しかあらへんやろ?」
その質問に、輝彦はおろか夜藝までも目を見張った。
夜藝は、父親の計画や意図を全て把握していた訳では無かった。理解できない部分があることは勿論だが、訊くのも野暮だと思っていたからである。
「7年前、お前が家出した時やな。あの時の組の者一人だけやろ?」
「チガウ……!」
輝彦は否定する。まるで、自分の過去の失敗を隠すかのように。
だが、それは容易く暴かれる。
「妙やとは思ったんや。今まで、お前が殺したっちゅう人間は、殺された手口がまるでバラバラやったからな」
火神 輝彦は、人を殺したかった。
子供の頃から殺したくて殺したくて、うずうずしていた。
彼は家柄上、そういう場面に出くわす事も少なくなかったため、強く憧れていた。
しかし、自分で人を殺す事は、どうしても躊躇われた。
ある日、彼は道に転がっている死体を見つけた。触るとまだ若干温かみが残っていて、胸の切り傷からは乾いていない血が死体のワイシャツに赤黒い染みを作っていた。殺されたばかりの男の死体。輝彦はどうやら第一発見者のようだった。
そこで彼は、一つ思い付いた。
コイツを、自分が殺したことにしよう。
家から持ってきたナイフで死体に新たな傷をいくつか付け、ナイフに血が付着したのを確認する。大の大人の死体は予想以上に重かったが、何とか担いでゴミ箱の中に入れた。道路の上に残った血痕は、水で入念に洗い流した。
後日、その男を殺したと組の者に伝えると、大騒ぎだった。証拠のナイフも自分で隠し場所を吐き、自分が殺したということをアピールする。
それは歪んだ適応機制。自己で解決できない欲求を、似たような形で達成させる。
これまで感じた事の無い快感だった。
彼は面白がった。
至る所に監視カメラを設置した。主に、組織同士の抗争がありそうな場所に。
そして、人が殺され、処理されなかった死体だけを選んで、隠蔽工作を施した後に、みんなにバラす。
案外簡単だった。
やめられなかった。それが原因で自分の組が他の組織から恨まれることがあろうと、気にはしない。
そしてその内、彼の中で一つの願望が肥大化する。
自分の力で人を殺したい。
しかし、その時の自分の力は、人を殺すのにはあまりに非力だと感じていた。
殺せない訳では無かった。ただ、彼が求めていたのは、完璧な殺人。中途半端な殺し方はしたく無かった。
だからこそ、彼は一つの決意をした。
『赤鴉』の力。組に保管されている、天の域へ『人間』が踏み込む事の出来る力。武器貯蔵庫に忍び込み、彼はその力が封印された巻物を盗んだ。
そして彼は――――姿を見られて、人生初の殺人を犯した。否、それは犯してしまったと言うに近しい。
殺した事自体に躊躇いはしなかった。
ただ絶望。結果として、それは彼が望んだものでは無かった。
完璧な殺しがしたかった。もっと完璧な。完璧な。
彼は誓った。
次は必ず、この『赤鴉』の力を使って人を殺すと。
そして二度と、己の未熟な力で人を殺さないと。
『家族』に加入して、仲良くしてるフリをしながら機を待った。ずっと、待ち続けていた。
「わしゃお前の父親やけど、考えとること全部理解出来るっちゅう訳やない。ただ、多少の事なら予想は出来る」
石切は不甲斐無いと自分に言い聞かせるような表情で、
「わしゃずっと悩んどった。抗争で母親亡くしたお前らを一人で育てて、間違った道に行かせんよう頑張っとったが、お前がそんな願望を持つようになってしもたっちゅう事にな」
言い終えて、石切は腰に差した鞘から刀を抜く。
妖刀『村正』。戦国時代、伊勢桑名にて活躍した刀工の作。その切れ味は、上流に向けて川に立てるだけで、流れる木の葉を真っ二つにするという。過去、かの徳川家を祟るとし、打倒徳川の象徴としても用いられた、持ち主を滅ぼすとも云う呪いの刀。
石切は、『村正』を横になった輝彦の首の位置に持っていく。
「わしからの最後の問いや、輝彦。これでお前の処分が決まる。お前は、これからも自分の願望の為に生きるつもりなんか?」
重々しい沈黙が辺りを包んだ。
石切と夜藝は、輝彦の返答を厳しい表情で待った。ここで、輝彦が下手な事を言えば、彼の辿り着く未来が闇へと決定する。
嘘だって吐けるはずだ。この場を適当な返事で濁してから、堂々と裏切る事も出来る。そんな選択肢もあるのだ。
だが――――彼は、口の端を吊り上げて嗤う。
「アア、ソウジャン…………、それ、ガ……ウチの、本望じゃん」
彼は、自分の意志を曲げる事はしなかった。
そこに嘘を吐く事があれば、それこそ死んだ方がマシなのだ。
人は、その心底に持つ願望を叶えるが為の行動を取る。抑制する事も不可では無いが、それはフラストレーションに陥る要因となる。
彼は、願望を追う人としての死を選んだのだ。
「……せやか」
石切は眉を曇らせ、
『村正』を振り下ろした。
騒動が一先ず収束に向かった頃、『最強』こと高田 倶毘は――いや、今の彼女は『校長』と呼んだ方が適しているだろう。校長は、学校敷地内のとある場所に足を運んでいた。
そこはあの狂人が来てから、一番最初に戦闘を行った場所。
『吸血鬼』の彼女が死んだ、あの場所――――
「この馬鹿校長、よくもそんな平然と私の前に姿を現せたものね」
否、彼女は生きていたのだが。
「よぅ、『吸血鬼』。生きてたか」
「実際、一回死んだわよ。生き返っただけで」
「お、やっぱ『アレ』使いこなせるようになってたってことか? 良かったな、勘が当たってて」
「あんたの勘がね」
彼女――ミラーカ=カルンスタインは、憎悪を込めて校長を睨んだ。
「んまあ、勘弁してくれ。火神組が『時間稼ぎを用意してくれ』なんて言うからな。どうせだったら、死なねぇ奴を送った方が良いかと思ったんだよ」
「だから一回死んだって言ってるじゃない」
そんな文句は無視して、校長は最も気になっている事をミラーカに訊く。
「そんな事より……お前、何で服着てねぇんだ?」
何を隠そう、ミラーカは現在全裸で、近くの木に背中を預けて立っていた。その姿はエロティックというよりは、さながら昔の絵画に描かれたワンシーン――美術作品のようであった。
「当たり前でしょう、服まで燃やされたのよ? あのマントには私の魔力が染み込ませてあるけど、復活には時間がかかるのよ。しかも今回は太陽の火だもの、通常の倍以上は時間が必要ね」
「それまでずっと裸でここにいるつもりかよ? しかも、それだけ待ってもマント一着だろ?」
「仕方無いじゃない。いくら何でも裸でうろつくほど非常識じゃないわよ。マント一着だろうと、無いよりかはマシでしょう?」
「裸でうろつくのが非常識って、お前が言うか……?」
校長は青魔術陣を敷地内の至る所に設置しており、それは空間調節を施す事で監視カメラのような役割も担っている。よって、学校内で起こった事は、大抵把握していたりする。
勿論、目の前の『吸血鬼』が毎晩、欲情をそそらせるような格好で生徒会長に噛み付いている事もだ。
「だ~ったく、お前のそのスタイルを見てると女として殺意が湧くぜ。今すぐ隠せその黄金比」
「無茶言わないで頂戴。見たくないなら、見なければ良いでしょう?」
「いーや、あたしの視界に入るお前が悪いね」
「……あんた良い歳して幼稚ね」
「純真、と言ってくれるとありがたいがな」
「そう言ってる時点で汚れてるじゃない」
結局、どちらも互いに幼稚であるのを自覚することは無かった。
「あのですねえ、桐谷くん? ある程度は仕様がないとして、あなた近頃事件の度に毎回わたしの世話になってますよねえ? あまり無茶な真似はやめてくださいよお?」
そう言い聞かせながら、てきぱきと僕の左腕に包帯を巻いているのは、珍しく怒り気味の保健室の主こと石上先生だった。
「そもそもあなたの行動は、教師の立場から言わせて貰いますと危なっかしくて見てられませんよお。ミラーカさんと一緒に夜を過ごしたり、聖夜に女子寮へ忍び込んでアレやソレを……」
「だから不可抗力ですよ! しかも、後者に関しては噂より酷くなってません!?」
というか、前者の方はまだ引きずられてたのか。そっちもびっくりだ。
「大体、わたしの専攻は治療術じゃないんですよお。治療アイテムはついでにできるだけで、本当は物質錬成術の発展を主な研究目的としているんですよお」
「えっと……、あ、そういえば先生は錬金術師なんでしたっけ?」
ピタッ、と先生の手が止まり、いつもは眠そうな目を大きく見開いて、僕の顔を見た。
「もしかして忘れられてましたあ!? あなたの理科授業もちゃんと担当してるじゃないですかあ。それから、専門家として言わせて貰いますと『錬金術師』なのですよお?」
うーん、すっかり忘れていた。何か以前に『エリクサー』の生成研究とかしてた気がするが、薬品調合の姿は一部の学校生徒にも見られるし、別に珍しいわけでもないので、記憶に残らなかったのかも知れない。
「錬金術は『王家の術』と呼ばれ、王やその王子自身が、またはそれらの人の為に研究され、認知度が高く格式もあるものだったのです。表の世界では、そのまま自然科学に発展し、昔の錬金術師の研究成果は特に化学において深く影響されているのですよお。硫酸や塩酸の発見、様々な実験用具の発明から、蒸留技術の確立に、酸素の分解や…………」
「すいません先生、熱く語られても困ります」
「むむ……『賢者の石』の話がまだでしたのに……」
少し口を尖らせて黙った先生は、再び視線を僕の左腕に戻し、作業を再開した。
「はい、完了ですよお。それにしても賀茂建角身命の化身の力だなんて、敵もどこから手に入れたんでしょうねえ?」
先生が包帯を巻き終わった僕の腕を軽く叩くと、ほんの少し鈍い痛みが走った。
どうやら左腕の火傷はそこそこマズかったようで、先生曰くSDBがどうのこうのらしいが、火傷に包帯ってのは本当に処置が合ってるのか疑問だ。「その包帯はハイドロコロイドと同じ環境を保って上皮化を促進させる特殊アイテムです。二~三週間もすれば完全に治りますよお、DDBまでいってたら植皮の必要がありましたけど」と先生は言ってたが、理解は不可能だと思った。
火神 輝彦が操っていた例の炎は、『赤鴉』――『八咫烏』と呼んだ方が知っている人は多いかも知れないが、とにかくその神獣の力によるものだったらしい。道理で普通の炎とは違うと思ったが、あの力が火神 輝彦の切り札だったからこそ、僕は最後まで相手の使用する術を予測出来たのだろう。実際、火神 輝彦には、あの力に対する異常な執着心のようなものが窺えた。
もし、火神 輝彦があの力にそこまで頼らずに戦っていたら、正直どうなっていたか想像が付かない。少なくとも、こんな左腕の火傷程度じゃ済まなかったと思う。
それから――――
「あの、先生」
「何ですかあ?」
これから僕に起きる事も、きっと体験出来なかったんだと思う。
「骨折治療の準備、しといてもらって良いですか?」
僕は、保健室に近付いてくる『彼女』の足音を感じながら、そう言った。
死肉を貪る烏は天を目指した挙句、翼を失い地に堕ちる。
死と太陽の象徴を語る者は、森羅万象の二元論の前に自滅する。
かくして、狂乱は終わりを告げる。
「迎えに来たぞ、偲覇殿。随分と派手にやられたな」
「……ジョウガさんか」
「フッフッフッ、『最強』相手に喧嘩を売るとは、もう少し後先を考えた方が良いぞ?」
「いや~ー……ついカッとなっちまってな。本気で死ぬと思ったよ」
「してもアバラ二本……いや三本かな。少し動くな。『最強』が幾分良識的な者で良かったな。きちんと戦争と喧嘩の違いを弁えている」
「向こうは手加減してても、こっちは必死だよ。あいつ、拳一つで何でも壊しやがる」
「無茶はしてくれるな? 輝彦殿が向こうの手に渡った今、そちらにまで居なくなられては困る」
「あ~ー……輝彦君の件は、結局そうなっちまったか。完全に食わされたな、あの火神組の元締めに」
「? 元締めとな?」
「悪い、それについては本部に戻ってから話す。それよりどうすんだ、同士が減っちまった以上、『家族』の計画に支障は出たりしねぇのか?」
「出るだろうね。少なくとも、今より活動範囲が狭くなり効率が下がるのは必至だ」
「新人勧誘とかやんなきゃならなくなるか?」
「フッフッフッ、それに関しては『天帝』様が必要性を認めない可能性が高いな」
「あん?」
「究極的に、何人だろうと抜けたところで――――我々が目的を果たせなくなった訳では無いからさ」
否、狂乱は終わらない。
新たな火種を持つ者は焼け跡を去り、その広げる場所を求む。
そして、水面へ落ちて行く水滴は、止まる術を持たない。
終わる事は無い。止める事は出来ない。
世界はただ、変わらぬ運命によって翻弄されていく。
【狂乱編:完】