【第百四十五話】狂乱編:狂人と決定者
「フーン……本当にその策で良いのか、君は」
「危険を避けて結果だけ望もうだなんて虫が良すぎますからね。これくらいどうってこと無いです」
「そうか。くれぐれも死なないようにな」
僕と先輩は会話を止め、再び火神 輝彦に向き直る。
「じゃあ、行きますよ」
おかしい。
何で殺せない。
何で殺せない。
何で殺せない。
そんな訳があるか。この力が何だと思ってる。
これは神の火だ。地に巣食う者は誰一人として抗えないはずだ。
一体この力のために何年待ったと思ってる。
殺せるはずだ。
殺せるはずだ。
ころせるはず。
コロセルハズ。
ゼッタイニ、コロス。
「ガアアアアアアァァァァァアアアアアアアアアアア!」
咆哮と共に、輝彦が真紅の炎を放つ。
“紅焔”と輝彦が呼ぶ、その『赤鴉』の力は――――即ち、太陽の火。その熱は、地上に存在する炎には真似する事は出来ない。正真正銘、天の力の一つなのだ。
尤も、そんな事を秀は知らない。見た目は、ただの炎魔法と何ら変わりは無い。だからこそ、いつもの秀ならば、まずはその力を観察する事から始める。どんな能力かを理解した上で、その対策を講じる。
しかし、今の秀は違う。
駆ける。正体不明の敵に向かって、突き進む。彼がその覚悟を身に付けたのは、昨年の夏休みに父親から言われた事が起因になっていたりする。
――――相変わらず変わらねぇな~ー……相手の力を見てから、本気出す癖。だから短期決戦挑まれると弱ぇんだよ――――
秀の中に、『やられる前にやれ』という概念は基本的に存在しなかった。元々の性格が攻撃的では無いのが影響しているのだが、あの夏休みにそれが原因で、目の前で大切な人達を失いかけたのは、流石に大きな刺激になっているようだった。
ただ、そんな覚悟持った行動も、タイミングを間違っていれば単なる愚行。燃え盛る炎に突っ込むなど、通常は自殺行為だ。
通常は。
「止まるなよ、現生徒会長君。あの男までの道は、僕が必ず作り出す」
一閃。
秀の背後から水の斬撃が飛び出し、“紅焔”が切り裂かれ、人の通れる道が出現する。
強士郎の振るう『村雨丸』――――『アイスドアクア・テアラー』の操る水は、通常の水とは訳が違う。
純水。かの霧露乾坤網と同じく、いかなる炎――例え、『神』の火であろうとも消し去る真の水。違いは、それが人工か天然かという点のみである。
秀は炎の隙間を走り抜け、輝彦へと近付いていく。
「……ッ! クソッタレェ…………!」
輝彦は止まる事無く“紅焔”を連射するが、結果的にダメージを与える事は出来ない。
全て、強士郎の『村雨丸』による水の斬撃で掻き消されてしまう。
そしてついに、秀が目前まで迫り――――
「ンなら、この至近距離だッたらどうなンじゃァアン!?」
輝彦は、掌を秀の顔の前に突き出す。
が、何も起こらない。
輝彦の顔が凍り、秀は輝彦の懐へ潜り込む。
――――失敗は、しない。
秀は掌を輝彦の腹に押し付け、詠唱を一瞬で完了させる。
秀の『真偽の決定』は短時間中にそう何度も使える能力では無い。事象の規模にもよるが、一度の干渉に消費する魔力はかなりの量になる。多少無茶をして、8回が限度。そこまですると、多分気を失う。その一歩手前でも、とても戦える状態では無くなる。よって、必然的に使用タイミングは慎重になり、なるべく節約して戦わなければならなくなる。
『真偽の決定』の使用回数は、今の炎の放射を『偽り』にしたので4回目。更に、一時的な魔力無尽蔵を『真』と決め、5回目。ここからはもうキツい。干渉する事象を、絶対に間違えられない。
先刻から目に入ってきた情報を組み立てていく。輝彦には物理攻撃が効かなそうだった。かと言って、魔法も無力化されていた。決して、攻撃自体が弱められた雰囲気も無い。体内蓄積系の身体強化術があの黒い拳ならば、それを使っていれば少なくとも攻撃を喰らう体の部分の色が黒く変色するはず。しかし、その様子も無かった。
ならば、
――――表面に、何かあるってこと!
秀は、輝彦の体表面の“白斑”を『偽り』と決定した。
「ンアァッ!?」
輝彦は体の異変に気付いたが、それを展開し直す暇は無い。
風魔法第四番の三『テラ・ブラスト』。それは突風というよりは、大気の砲弾。凄まじい衝撃と共に、輝彦の体がくの字に折り曲がり、宙へ浮かぶ。何の対策もしていない『人間』が受けたら、まず意識が飛んで、立ち上がる事は出来ない。
輝彦が屋上のフェンスに叩き付けられる。少しでも力加減と向きを間違えていれば、地面に真っ逆さまだったため、秀は成功した事に胸を撫で下ろす。
「ナァニ、ホットシテンジャァアン?」
壊れた人形のような声に、秀は戦慄する。
見れば、輝彦が立ち上がってこちらに向かって走って来ていた。
――――あいつ、まだ動けたのか……!
輝彦が真紅の炎を放ち、秀はそれを避けようとするが咄嗟の事だったため、少しだけ反応が遅れた。
「――――ッ!」
左腕が、焼ける。
苦悶の表情に顔を歪ませた秀に、更なる隙が生まれてしまう。それを、輝彦は見逃さない。
ガッ、と秀は輝彦によって顔面を掴まれる。
「ヤッテ、クレタジャァアン? エモノノクセニヨォ……、イマスグ、コロシテヤル」
――――狂人。
秀はその言葉が思い浮かんだ。
掴まれた手を引き剥がそうとするが、右腕の力だけではどうにもならない。
確かな恐怖と共に、目の前の狂人の手に魔力が集う。
――――あ、ヤバい……死ぬ。
そんな死の予感が頭を過ぎり、秀は途端に冷静になる。
動物の生存本能か、頭が異様に冴える。
この状況で、敵の使うであろう術は何だ。
頭が働く。脳天が締め付けられているが、こんなの『吸血鬼』の彼女のアイアンクローに比べれば、耐えられないものじゃない。
考えろ。判断しろ。決断しろ。敵は何が何でも、自分を殺したいのだ。ならば、確実に自分を殺す術を使いたい。しかし、この能力の前で『確実』は存在しない。よって、使うならその確率が高いと思われる術だろう。『偽り』と決められてしまった事のある術に頼る可能性は低い。
一つだけある。敵の術の中で『偽り』と決定されなかった、あの黒い拳が。
「…………ッ!?」
狂人は、“黒点”が発動しない事に気付いた。自分の行動が先読みされていたなどとは思いもよらず、その表情が再度凍り付く。
それが隙だ。
秀は魔力無尽蔵がまだ『真』になっている事を確認してから、詠唱を素早く完了させ、狂人の胸の前へ手を翳す。
“白斑”はまだ再展開されていない。今なら、8回目までやらなくて済む。
かのドラゴンですら三発で沈む一撃だ。いくら何でも、ただの人間がそう何度も耐えられるはずは無い。
秀は掴まれた狂人の手の下で、掠れた声で小さく呟く。
「飛べ」
そして空気の砲弾は、狂人の身体を吹っ飛ばした。
あれ、何だこれ。何で飛んでるんだ、自分は。
自分が負けた? あんなガキ一人に、あんな風魔法二発当たっただけで?
あり得ない。
だって、自分はこんなに素晴らしい力を持っている。全てを殺すことの出来る、絶対的な力が。
おかしい。おかしいじゃないか。
殺せるはずなのに。
殺せるはずなのに。
何でだよ。
何でなんだよ――――
そこで、狂人の意識は途切れた。