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僕の世界  作者: Sal
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【第百四十三話】狂乱編:誰のため

 ――――不覚だった。


 右腹部に負った刺し傷を見下ろしながら、狐は思った。


 狸の持つあの双剣は、陰陽剣なのだ。


 干將は『陽』、莫耶は『陰』と、それぞれの役目は定められており、それはそのまま剣そのものの性質とも呼べる。


 光・天・表に対する、闇・地・裏。密着しつつも、互いに介入する事は無い関係。


 身近に居る者で例えるならば、『夜摩天』によって造られたあの二人のような、相反するも、決して一方のみが欠けては成り立つ事は無い『存在』。


 それは、この世の不変の定。抗う事は許されない、絶対法則。



 詰まるところ、狐は『陰』なのだ。



 彼女自身に『陽』の気が無い訳ではない。敏速・動物的・稀薄は、『陽』の性質である。


 しかし、それ以前に彼女は『妖怪』なのだ。『存在』として『陰』の性質を持っている以上、それを希釈するのは不可能。どうあっても『妖怪』は、『夜』と『月』に反応してしまい、彼らは常に『人間』の『心』によって在り続ける。


 だからこそ、狐が警戒していたのは、『陽』と『陰』の混同。


 二つが相容れぬ『存在』である事は、この世の真理であり、何に関しても例外は無い。


 『陰』である彼女が、『陽』である干將による攻撃で傷付くのを恐れていたのは、そのためなのだ。


 先の攻防。狸が右手に干將を持っているという思い込みから、敵の右手にばかり注意を向けていたが故に喰らった一撃。恐らく、狐が体勢を崩したあの瞬間に、狸が干將と莫耶を持ち替えたのだ。あれは、完全に不意を突かれた。


 干將が身体の中に侵入した途端に、狐は意識が吹き飛びそうになった。頭の中を内側から脳味噌ごと掻き乱されるような悪寒と、心臓を無理矢理抉り取られるような激痛。あれだけで戦闘が終わっても、おかしくは無かった。


 今はまだこうして立っているが、意識は朦朧。いつ平衡感覚を失って倒れるか分からない状況だ。


 頭は上手く回らず、勝つ算段も無い。



 しかし、それでも、狐は狸に対峙する。


 己が信じる道を突き進むために。


 己を信じた者に応えるために。






 ――――不覚だった。


 右肩に負った刺し傷を横目で見ながら、狸は思った。


 狐の操る刃は、奴自身の妖力により形作られた物だ。


 つまり、意思次第でどのようにも変形する。狐は戦闘中、刃の形を固定してそれを悟られにくくしていたのだが、それでも少し考えればそれくらい分かったはずだった。


 奥の手といったところだろう。どれだけ強力な能力も、慣れられたり、対策を講じられたりしたらその意味を無くす。故に、切り札となるような手――特に奇襲に適するような力は、機のぎりぎりまで隠しておくのが定石なのだ。


 先の攻防。狐はさも狙ったような口振りをしていたが、恐らく、干將の攻撃を避けられないと判断して、急遽刃の変形の沈黙を解き、刺し違えるかたちで、狸に一撃を喰らわせたのだろう。


 結果として、それが狐にとって正解だった。


 狸は、右腕の感覚が鈍くなっているのを再度感じ、眉を顰める。


 毒――いや、それとは少し違う。恐らくは、刃を形成していた狐自身の妖力が発する瘴気。


 殺生石、という石が現在の栃木県那須町にあるが、あれは昔に暴れたとある悪狐の成れの果てだという。その石は毒を吐き、近付く生き物を悉く死に追い遣ったと伝えられているが、もしかしたら狐の妖力というのは、どれこれもそんな付加能力を備えているのか。


 それとも、一部の特別な者のみがそうなのか。


 だがいずれにせよ、狸にとってこの状況は好ましくない。干將と莫耶という双剣がありながら、右腕が機能しないということは、一度に片方ずつしか扱えないという効率の悪さを示している。


 しかも、この双剣は陰陽剣である。その本質は、同時に扱うからこそ発揮出来るというのに、これでは無意味。最早、今のこの双剣の力は、普遍的な刀剣と何ら変わりは無い。


 今もなお、右肩の傷口から身体が蝕まれていくのを感じる。このまま放っておけば、全身に回るのも時間の問題。だが、狐の方も干將の効果で相当のダメージを受けているはずだ。



 ガキンッ! と刃を受け止める音が響いた。


 現在の戦況は互角といったところか。


 今の狐の戦法は、妖力の刃の変形をフルに応用した、全方位からの斬撃を繰り出すもの。対して狸は八卦紫綬衣と呼ばれる、刀剣攻撃を無効化する紫色の紐を展開し、狐の全ての斬撃を防いでいた。


 しかし、この状況はどちらとしても相手に決定打を与えられず、ただ両者の体力を奪うだけのものだ。狐の体力が尽きるのが先か、狸の四肢が動けなくなるのが先か。こんな事になるのならば、もっと早くに八卦紫綬衣を出すべきだったと些か後悔する狸だが、それはもう遅い。


 ガキンッ! と刃を受け止める音がまた響く。


 時間だけが過ぎていく。


 狸は焦燥感に駆られる。自分の目的は、同志の行動を見張り、必要に応じてそれを止める事だ。


 だが、その同志は今既に凶行に走っており、今から止めに行くのでは少し遅い。その上、今の狸の体の調子では、同志を止める事が出来るかどうかさえも怪しい。


 この状況が続けば、必ず自分は勝負に負ける。生死云々では無く、目的を果たしたか否かで、狐との勝敗が決する。


 狸に退く気は無い。目的を果たせる可能性があるならば、それを諦める事はしない。だが、それはまた一つの破滅の可能性を示唆しているのも事実。寧ろ、そちらの可能性の方が大きいだろう。


 だからこそ、狸は心の底で一歩を踏み出せずにいた。進む事も退く事も出来ず、ただその場で立ち尽くす事しか出来ない。しかし、このままずっと立ち止まっている訳にもいかない。


 迷いが生まれる。


 つい一分前の狸ならば、迷う事は無かったのだろうが、中途半端に冷静さを取り戻した今の狸では、この状況で決意を固める事が出来なかった。


 対して、狐には迷いが無い。


 今の狐は一種の修羅であり、それは『妖怪』と呼ぶのさえ相応しく無い姿だと、狸は思った。


 そこで狸は気付いた。


 この狐は最早、『妖怪』の域を超えつつあるのだ。


 人知の及ぶ事の無い超越存在。その名は生贄と稲光の意。世界中において様々な形で表され、時には表す事すら許されず。


 多くが望んだ、一つの到達点。


 理想。目標。過酷なる現実から逸脱したその姿は、何を隠そう我等が目的そのもの。



「止まれ」



 瞬間、互いの動きが静止した。その声は、両者が発したものでは無い。


 横から割り込んできた、煙草を銜えた紅毛碧眼の男。


 彼も『妖怪』だった。


「ったく、どうにも妙な面子じゃねぇか。狐に、狸に、鬼が合わさるなんてのは。『妖怪の里』に帰った気分だ」


 彼は狐の味方――即ち学校側の者である。先程、学校の警備員となっている男子生徒の連絡を受けて、ここに駆けつけたのだ。


 ちなみに、狐の担任教師だったりするのだが。


「神谷……、先生かい……?」


「それ以上喋んな、山中。見たところ、立ってられんのもやっとだろ。無理することもねぇ。安心してぶっ倒れてろよ」


 男の額から二本の鋭い角が現れ、体がむくむくと膨れ上がり、身長は二メートルを優に越す大きさとなる。



「教師を、なめるなよ。生徒を守るためなら、世界だろうと敵に回すぞ」



 その鬼の姿を、狸は仮面の下で、ただただ静かに眺める。


 同じ『存在』ならば、手を合わせずとも自ずと敵の力量は判るものだ。


 狐や狸には一歩及ばないものの、指導者としての実力は十二分。そこらの『悪魔』や『天使』に喧嘩を売っても、軽く伸すくらいの力はあるだろう。今の体調の狸では、相手にする事はかなり厳しい。


 気付けば、身体はもう両脚がぎりぎり動かせる程度だ。戦闘は、これ以上無理だ。


 狸の戦意は、完全に無くなっていた。


 その理由は、もっと別のところにもあるのだが、狸自身は体調不良を言い訳にしたい気分だったのだ。


 狸は再三確認する。足はまだ動く。


「… … …今回は引き分けだ、女狐。… … …いや、或いは、貴様の勝ちかも知れぬがな」


 狸は近くの木の枝の上に飛び移った。


「んなぁっ!? おい、待ちやがれこの狸!」


「… … …鬼は黙れ。… … …『忍』は逃げる事に関しては、云わば専門家。… … …捕まる事など、あってはならぬのだ」


 鬼が次の言葉を発そうとした時には、既に枝の上に狸の姿は無かった。どうやら、本当に逃げたようだった。



 そうして、互いに退く事が無かったはずの戦いは、狸が一歩退いた事で、幕を閉じた。






「ぉお? あたしの知らねぇとこで色々あったみたいだな、神谷が出てくるとは。あの傘仮面、退却したみたいだぞ? あそこは死者無しだな。特に学校側こっちから何も手は出さねぇから、お前も退いたらどうだ?」


 校外の採掘場。校長と偲覇は、まだ互いに動かずにいた。


「この採掘場はな、一年とちょっと前に、ある事情で『魔王』と『勇者』が戦った事があんだけど、実際この場所は戒律的には結構微妙なんだよ。学校みたく、完全に外界と遮断されてる訳じゃねぇから、下手に暴れれば戒律に引っ掛かる。んまぁ、逆に言えば、上手くすれば戒律には引っ掛からねぇんだけどな」


 要するに、あまりここで戦闘を行いたくない、ということを言いたいようだ。


「何でだろうな~ー……。何で、あんたは輝彦君が火神組あっちに引き渡されるのを『家族こっち』が許せると思ってんだい? 前の一件で知ったが、火神組あっちの連中は輝彦君を『裏切り者』だなんて呼んで恨んでんだぞ?」


 処理させたらどうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。


「そこまでは学校側こっちが介入するとこじゃねぇ。ただし、これだけは言えるぞ。あたしは、『家族そっち』の連中に対して情なんざ湧きもしねぇ」


 校長は、一人の『人間』として、偲覇を『家族』を睨む。


「てめぇらはな、間違ってんだよ。過去の失敗をいつまでもいつまでも引きずりやがって、そのためだけに全部捨てて、そのためなら手段を選ばねぇとか、そのため、そのためってな……そんなんで『あいつ』が喜ぶとでも思ってんのかよ?」


 それに対して偲覇は、


「別に喜ぶとかそんなこと思っちゃいねぇがな~ー……。『あいつ』が『家族こっち』の、特に俺と『天帝』様の行動理由なのは確かだよ」


 どこか哀しげな、遠い背中を追いかけるような目で、


「でもな、『あいつ』に関しちゃあ、あんただって多少の後悔とかはあんだろ? 同じだよ、俺らとあんたは。違うのはただ、それが大きいか小さいかってだけだ」


 また、どこか深く、冷たいような半眼で、



「そうだろ? 天神木 倶毘(てんじんき くび)――――『天帝』様の娘さん」



 『最強』に対して、挑発をした。


「……旧姓で呼ぶんじゃねぇよ。旦那が悲しむ」


 互いの信念がぶつかり合って火花を散らす。


 これは、決闘と呼べるほど、高貴なものではない。戦争と呼べるほど、血生臭いものではない。



 これはただの、餓鬼同士の喧嘩である。

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