【第百四十一話】狂乱編:狂人は嗤う
その二人の顔は、狂人にとってさっき見たばかりのものだった。
恐らく、あの喫茶店から追いかけて来たのだろう。
だが、青魔術も利用して先にこの学校へ着いた自分との差を考えると、少しタイミングが早すぎる気もした。推測では、目標を最低でも一人殺したくらいで追いつくものだと思っていた。
そこで、狂人は思い出す。学校に着いてから殺した、あの人外の事を。
どうやら、思いの外、自分自身があそこで時間を食っていたらしい。
狂人は舌打ちした。
狂人は即座に理解したのだ。この二人は自分の邪魔をするのだろう、と。
そして、思った。
――――ああ、さっき殺しとくべきだった。
戒律に触れる可能性は拭い切れないが、多少無理してでも、決行すべきだった。特に、あの長身眼鏡の方は。
二メートルもあるような長身では、喫茶店のような狭い場所で思うように戦うこともままならないだろう。無論、それすらをも克服しているとなれば話は別かも知れないが、少なくともこんな障害物の少ない屋上なんかでやるよりは、有利に戦いを運ぶ事が出来ただろう。
狂人は苛立った。
計算が狂う。妙なところで完璧主義者であるが故に、その事実が頭に来る。
――――ああ。
ふと、狂人は我に返った。
――――もういい。計算とか計画とか、そんなまどろっこしいものは、もう止めだ。
――――全員、殺す。
――――目標も実弟も長身眼鏡も全員殺す。
――――この学校の関係者も、『家族』も、更にはその次に待ち構える奴らも、全員殺す。
狂気に満ちた眼を細め、狂人は口が裂けた様に嗤う。
嗤う。
そして嗤い終わると同時に――狂人は咆哮を上げ、地を蹴り上げた。
「フーン……そこの二人への状況説明云々は、夜藝、君に託す事にしよう。それまで一先ず、ここは僕が受け持つ」
「寧ろ、ここで俺に出来ることはそれしかねえよ。戦闘は頼むぞ、元生徒会長」
「無論だ」
両者は別々の方へ駆ける。
一方は狂人へ、もう一方は二人の後輩へ。
全ては、この戦いを終わらせるため。
「おああああぁぁぁあああああァァァァアアアアアアアアアア!」
大気を揺らす雄叫びを上げながら、狂人はその真っ黒な拳を目の前の長身眼鏡へ繰り出す。
拳が到達する寸前、強士郎は自分の指をパチンッ、と鳴らし、その手へ『作品』を顕現させる。
それは、丸い形状の盾。
木目のような美しい縞模様が入った金属によって形作られた、ラウンドシールドという物だった。
ズガンッ! と、拳と盾が激突する。
双方の材質の強度は明らかに違うはずだが、それは単に『ぶつかった』というだけの音であり、何かが『砕けた』という音では無かった。
「フーン……その漆黒の拳、例の『赤鴉』の力とやらの応用物か。熱はそれ程でも無いが、代わりに強度が増した様子。歪が生じる様子も無い。相当に頑丈のようだ」
「んあァ? あんた、『赤鴉』の力の事……夜藝から聞いたのか。組の宝の力をべらべら喋るなんて、アイツも結構口軽ィじゃん? ってかさァ、ウチからしてみれば、頑丈なのはそっちの盾じゃん。“黒点”でも壊れないってェのは。それ、ダマスカス鋼? 二百年くれェ前に滅んでなかったかァ?」
「製法の再現など、鋼鉄一族と同盟を結ぶ石上一族は、その十年後には済んでいるよ。最近になってCNTの解析をしたが、完璧と言わざるを得ない出来だった。靭性の高さに感動してつい、この盾を作ってしまった」
強士郎は、空いたもう片方の手の指を鳴らす。
「ちなみに、僕のダマスカス鋼による『作品』は全百八種程度だが、見てみるか?」
宙に現れるは、剣・刀・槍・斧・槌…………等々の武具。全てダマスカス鋼が材質である。
「……あァッ!?」
あまりに多すぎる武具による強襲。一つ掴んで振るっては、また次の一つを掴んで振るう。
しかも、その一つ一つの攻撃の軌道は無茶苦茶では無く、明らかにそれぞれの武具に熟達した者のそれであり、強士郎は状況に応じて武具を使い分けていた。更に言えば、そのほとんどを片手ずつで操っており、交互に繰り出す事でスピードも半端では無い。狂人は避けるばかりで、反撃に移れない。
ベンチプレス200キロ超。百メートル走10秒台。強士郎は、殊更魔法・魔術による強化無しの身体能力ならば、裏の世界の人間においては随一と謳われる、真正の超人である。
強士郎の攻撃は止まらない。手を放した武具は宙に浮いたまま、強士郎の動きに合わせて付いて来て、すぐにまた手に掴む事が出来るようになっている。
「……ッ!」
必然。その全てをかわすのは不可能。
トンファーが狂人の鳩尾を突き飛ばし、更に鎖付きの鉄球で追い撃ちをかける。
「ぐ……がッ……!」
先程の『元魔王』の拳とは比べ物にならない。質量的な意味合いで重みが違う。まるで、直接身体の内側から殴られたような衝撃。
鈍い音が響き、顔面から吹っ飛ばされた狂人は、屋上のフェンスから飛び出しそうになるが、背中に炎の翼を展開して飛翔する事で落下を防いだ。
「フーン……あれで顔面をやられて意識が飛ばないとは――――その体表面の結界、なかなか手強いな」
強士郎の分析するようなその言葉に、狂人は眉を顰める。
――――どうも、“白斑”もバレてるみてェじゃん。
“白斑”。それは『赤鴉』の力の応用による防御術。魔力を体の表面に展開する事で、敵の攻撃による衝撃を『熱』として吸収し、威力を軽減するものだ。この結界によって、狂人には大抵の物理攻撃は効かないが、具現化した魔法攻撃は炎以外防げなかったりする。ただし、この『赤鴉』の炎の前で、詠唱をする手間がかかる魔法による遠距離戦をしようとは、普通思わないだろう。やはり接近戦に持ち込んで、『赤鴉』の真価である“紅焔”を封じようとするのが妥当。
遠距離戦では“紅焔”で焼却。
接近戦では“白斑”によって物理攻撃の威力を軽減。
……例外として『決定者』が居るものの、この戦法とも呼び難い戦い方は、ほぼ全ての戦闘において優位になれる。
はずだったが。
その威力軽減の壁を乗り越えてまで、接近戦で狂人を圧倒する者が、目の前に居る。
「フーン……成程。そちらの父君様の意図が解る。少々肌には合わないが……ここは使わせて貰うとしようか」
再び、パチンッ、という音が鳴り、『ソレ』は虚空より出でる。
日本刀。すらりと長い刀身は凛とした印象を受けると同時に、押し潰されるような感覚に支配される。霧が立ち込め、露が滴り、地へと落ちる。
その刀は、異質だった。今まで強士郎が使用していた武具とは違い、明らかに『魔力』という異能が関与している。
狂人はその刀に見覚えがあった。彼の実家の宝の一つなのだから、当然だが。
抜けば玉散る氷の刃。『村雨丸』――――正式名称『アイスドアクア・テアラー』。
「……あんた何者だァ? どいつもこいつも一級品の武具ばかり……錬金術師か?」
「似て非なる、と言ったところか。錬金術師と精錬術師では本質的に多々……いや、全く異なる。物質変成を始めとする錬金術は、万物の錬成――即ち『創る』試みを指す。だが、精錬術はその先。あらかじめ存在する物から、その物の最高の形へと昇華――即ち『磨く』試みだ」
『創る』者と、『磨く』者。
例えるとするならば、ゲームを『創る』メイカーと、そのゲームキャラのレベルを最高値まで『磨く』プレイヤー。互いが互いに必要とする、密接な関係にあると言えるが、やはりその『存在』の理念は違うのだ。
「精錬術師ねェ……」
狂人は納得した。あの熟達した武具の扱い。あの大量のダマスカス鋼製武具は全部、この長身眼鏡の言った通り『作品』という事だ。自身が作った物の扱いは、自身が一番良く解っているはず。その扱い方を実行できる身体能力があれば、尚更だ。
「イヒヒ……アハ、ア――――ハハハハハハハハハッ! アハハハッ! アハッ!」
気付けば、狂人は嗤っていた。
「良いねェ、良いじゃん! そうでなきゃァ、殺し甲斐がねェってもンじゃァアん!?」
狂人は決めた。この『人間』は相応しい。一番最初に『赤鴉』の力で殺される『人間』はコイツだと。
獲物を狩る獣のような眼で、狂人は強士郎を睨む。
「きちんとした紹介がまだだったじゃん! ウチの名前は火神 輝彦! この『赤鴉』の力と共に、世界の変革者となる男だァッ!」
凄まじい重圧と熱気が荒れ狂う中で、強士郎は冷静に、乱す事無く狂人のその様子を見据える。
「フーン……この学校の元生徒会長、鋼鉄 強士郎だ。二つ名は『無限武具師』『歩く武器収蔵庫』『百式金属遣い』エトセトラ…………どれも大層な物では無いな」
言い終えた瞬間。
両者は、名の通りの『殺し合い』を再開した。