【第百三十七話】狂乱編:狂人の目的
プラン変更にはなったものの、事はほぼ思惑通りに進んでいた。
この学校の警備が甘くない事は重々承知。そもそもあの化け狐が居る時点で、この学校敷地内に死角は無い。ならば、『わざと』警備の目を気にしていないように見せかけ、相手に自分の実力を見誤らせる。そうすれば、自分を陰から見張っているゼツの方が警戒すべき敵と思わせることができるだろう。その結果、学校のおおよその戦力は自然とゼツの方へ向けられ、監視の目は無くなる。これでやっと自由に動けるというものだ。
唯一のイレギュラー因子は、喫茶店に夜藝と一緒にいたあの長身メガネ。奴の所為で、プランを変える必要が出た。本当ならあそこで夜藝を拉致して、そのまま人質にして学校での目的達成をもう少し楽にするはずだった。身内の行動計画を調べるのが容易だからといって、その周りの人物情報を探るのが疎かだったのは迂闊だった。
「さて……」
輝彦は、その人物を見た。
「学校側がウチに仕向けた戦力はあんた一人か?」
ゼツの方に集中的に戦力が送られているとはいえ、こちらにも多少の戦力は来る。これから自分の目的を果たすには、まずこいつを倒さなければならないということだ。
「まったく……あの校長、私に警備係をさせるとは良い度胸じゃない。お蔭で、こんな休日の夕方に早起きする羽目になったわ」
肩に揃えたゴールデンブロンドの髪。どこまでも紅い瞳と、それと同じ色をしたマントを羽織っている。情報にあった、とある人物の風貌と合致している。
「どうしてくれるのかしら? この馬鹿侵入者」
『吸血鬼』―――ミラーカ=カルンスタインは、この上無く不機嫌そうに仁王立ちしていた。
「イヒヒ、そりゃ悪かったじゃん」
否、悪いなどと微塵も思ってはいない。次の瞬間には、すでに魔力の蓄積が完了している。
雷魔法第六番の三『テラ・スピア』。掌から放たれた魔力は雷の槍と化し、目にも止まらぬ速さでミラーカを襲う。霹靂が轟くと同時に、辺りは爆風によって撒き上がった砂煙に飲み込まれた。確認せずとも、普通の人間ならばまず生きてはいまい。生きているとするならば、それは『最強』か『ハグレモノ』か、いずれにせよ異常者だ。
「事前詠唱かしら? 随分とナメた真似してくれるじゃない」
だが尤も、この女もただの人外。人ならざる化け物。当然の如く、これでやられてはくれない。そもそも、この魔法はそんなことが目的ではない。
(……効いてないっていうより、槍が身体を貫通してないことを見ると、ありゃ傷が負ったその場で回復してった感じじゃん)
観察。『吸血鬼』である彼女の能力を見極める。結果的にノーダメージは承知。重要なのはその過程、いかにしてダメージを受けなかったのかである。
火神 輝彦は馬鹿ではない。正体不明・予測不能の相手に、何の考えも無しに突っ込むほど愚かではない。全ては殺すために、敵を知る。その力、その癖、その息遣い、その次の手。あらゆる情報を取り込み、確実に敵を葬るため。殺すため。
火神 輝彦はただの狂人なのである。
「イヒヒ……大体解ったじゃん」
「は?」
7年前のあの日、輝彦は火神組の武器貯蔵庫の中から、ある力を盗んだ。その際に姿を見られたため屋敷の使用人を一人殺したが、どうせ逃亡する気だったので気には留めなかった。力には厳重な封印が施され、自力で解くにはかなり無謀だった。しかし、たかだか人間が個人レベルで掛けた封印。時間も経てば、その効力は弱まる。
輝彦は力を解放する。それは、ついこの間に長い封印から解き放たれた力。長い間自分がずっと求めていた、最も崇高とする力。
全てを焼き尽くす、『赤鴉』の力だ。
(火……?)
ミラーカはその姿をまじまじと見た。輝彦の背中に形成された、燃え盛る炎の翼。それは、巨大な一羽の鳥の姿にも見えた。
「何よ、そんなチンケな火で私を焦がせるとでも思ってるわけ?」
ミラーカの赤い魔力が渦を巻きながら右腕に集中し、巨大化していく。
「“大殺戮”……派手に死になさい」
巨大化された真っ赤な腕によって繰り出された鉄拳。敵に命中したと同時に発生する衝撃波で、周りの木々も吹っ飛んだ。かの『創造者』が創った、とある鎧をも粉砕した一撃。並みの者がこれを受けて、まず無事なはずはない。
「イヒヒ……」
「!」
だが輝彦は違った。その炎が纏った片手で、ミラーカの赤い腕の一撃を受け止めていた。通常、それは有り得ない事。この男が、ミラーカ相手に腕力で勝る要因が何一つとして存在しないのだ。
つまり、この出来事が起こった理由は、もっと別の何か。個人の身体能力などといったものよりももっと根元的で、『人間』が『吸血鬼』に劣るという概念をひっくり返す、何か。
「熱……ッ!」
ミラーカは慌てて腕を元に戻し、輝彦の手から離した。そして感じる違和感。いや、感じるというよりかは、目の前にはっきりとした形で明確に出ている。
(火傷……!?)
右拳の皮膚に生じた紅斑。程度は軽いが、これも明らかな傷。半不死性の能力を持つ『吸血鬼』である彼女が受けた、紛れも無い傷である。
ここまで来て、ようやく事の次第が判り始めてきた。
「『吸血鬼』の不死性っていうのは、多分その魔力にあるじゃん。どんな傷を受けようとも、受けたその瞬間に魔力が傷を塞ぐ。要は、再生能力の超強化版みたいな感じ? ただし―――」
輝彦は、ミラーカに手を翳す。
「弱点を喰らうと、魔力がその傷に触れられないみたいじゃん」
ミラーカは咄嗟にその場から離れようとしたが、すでに射程圏内。無駄だった。
「“紅焔”」
放射された真紅の炎が、瞬く間にミラーカを飲み込んだ。もがこうとも、炎を操っているのは輝彦。当然、抜け出すことは出来ない。
「イヒヒ、イヒ、アハ、アハハッ、ア――――ハハハハハハハハハッ! 『赤鴉』の操る力は、太陽の炎! 『吸血鬼』にはちょっと酷かもしれないじゃん!?」
狂人は嗤う。獲物が悶える炎の前で、己が手にした力の美しさに酔い痴れていた。化け物すらも灰燼に帰す、真の熱さを携えた完全なる力。そして、確信する。この力さえあれば、目的を達せられる。目的を達成し、この素晴らしき力と共にその先へ進む。全ては殺すため。殺すため。コロスタメ。
獲物の動きが無くなった後も、狂人はその炎の勢いを止める事は無かった。完全に炭と化すまで、いつまでも焼き続ける。焼き尽くす。そして―――
夜の王は、死んだ。