【第百三十六話】狂乱編:その意思が有るか否か
込み上げる感情がリミッターを外す。この瞬間、己は修羅と化す。近くで自分を制止させようとする声が掛かるが、何も気にすることではなかった。
何故なら、そこにソイツが居るからだ。
「おぉっと、危ないじゃん」
夜藝が怒り任せに放った拳を、輝彦は顔色一つ変えることなく掌で受け止める。
「イヒヒ、上手くなったじゃん。『気』の使い方―――いや、使われ方か?」
「うるせえ……!」
最早、正常な判断ができるような精神状態では無かった。
夜藝はそのまま重圧を放ち、魔法詠唱を始め、そして―――
「抑えろ、夜藝」
後ろから首根っこを掴まれ、無理矢理に輝彦から引き剥がされた。
「放せ、強士郎! 俺はコイツが……!」
「まず落ち着け。いくら人払いの結界が働いているからと言って、あからさまな戦闘痕跡を残せば、この世の戒律に触れる。渡し舟に迎えに来られたのでは、因縁も糞も無いだろう。だからこそ、向こうも手出ししようとはしていない。僕にはそう見えるが?」
強士郎は、店の入り口に立つ輝彦を諦視する。
「随分と賢いじゃん。あんた、夜藝の友達か何か?」
「客観的または主観的に見ようとも、そのような関係と呼べるだろう。しかし、真偽の程は誰にも判らない。信頼関係など、目には見えないものだからな」
「イヒヒ、面白い奴じゃん」
輝彦は一目で強士郎の実力を見切った。これまで幾多の死線を越えてきたのだろう。体格の大きさもあるのだろうが、放つ威圧は凄まじく、物事に対する姿勢が、夜藝のソレとはまるで違う。四角い眼鏡のレンズの向こうには、ただ冷静にこちらの意図を探っている眼が光っていた。
その気になれば、この店内に傷一つ付けずに戦闘を行う程度の事は出来るだろう。輝彦自身、痕跡を残さないのは得意分野ではあるが、生憎ここでの目的は戦う事では無い。人払いの結界は基本的に意識集中が必要で、激しい戦闘はタブーだ。それこそ『夜摩天』の目に付き兼ねない。
計画は狂うが、ここは一旦退くのが得策。
「イヒヒ……」
何を考えているのかまるで判らない薄ら笑みを浮かべながら、輝彦は店から出る。
「んじゃ、また後で会うことになると思うけど、それまでさよならじゃん」
自動ドアが閉まり、それまで辺りを包んでいた重々しい空気は晴れた。直に、一般人も戻ってくるだろう。
「フーン……彼が例の兄君様か、夜藝? 確かに、相当な曲者のようだな」
強士郎によって抑制されていた夜藝は、大分落ち着きを取り戻していた。
「……追うぞ、強士郎。アイツの目的地は学校だ。『家族』からの任務で、目標を拉致するつもりだ」
夜藝は首の拘束が解けるとすぐに走り出し、喫茶店から出て行った。
「フーン……」
強士郎は財布から千円札を取り出し、使用していたテーブルの上に置いてから、その後に付いて行った。
火神 輝彦の行動は理解し難かった。
表の世界で、人払いの結界まで展開して何をするかと思えば、自分の弟に接触しただけで何もせずに去り、更に現在は目標が通う学校の敷地内でうろうろしながら何かを探しているようにも見える。
学校の警戒レベルは前回の急襲を掛けた時よりも上がっており、下手に動けばすぐに気付かれるのは輝彦自身も解っているはずだが、どうにも気を付けている雰囲気がしない。かと言って、配置された監視カメラの死角は完璧に取っている上、魔力も完全に隠している。
まるで、誰かとの接触を図っているかのような―――
「まぁ、こんなところで仮面を被って、傘を腰に二本も差して遠巻きに視ている君も、充分理解し難いがねぇ」
突然背後から掛けられた声。振り向くと、そこには二人の男女生徒。さっきのは女子生徒の方が言ったのだろう。
「… … …隠密行動に正体の露見は法度。… … …傘は、単に雨傘と日傘を常時携帯しているだけだ」
内容は明らかに自分の心を見透かした上での発言だった。『人間』に読心術の能力が備わる事は無くはないが、この女子生徒から感じる力の質からして、彼女が人外の『存在』である事は明白。
「… … …報告は受けている。… … …名は、山中 妖狐と云ったか」
「はっはっはっ、ワタシも『家族』の間では有名になってしまったようだねぇ」
「笑っておらんで本題へ入るぞ、よーこ」
男子生徒の方―――こちらは前回の報告には無い。だが、学校生徒のリストの中には確かに居た顔だった。しかし、そんな一人一人の情報を事細かに記憶している訳では無いので、何者なのかまでは正直思い出せない。最初から、その他大勢を相手にする気は無いのだから。
だが、この男子生徒は少し違った。その姿勢。その構え。その雰囲気。それは、影に生きる者の姿だった。
「… … …貴様、『忍』の者か」
「拙者の名は、初見 間士と申す。現今は学校側に雇われた身。仲間の監視中のところ非礼であるが、命によりおぬしを『家族』の重要参考人として同行して貰いたく存ずる」
「… … …投降しろと? … … …随分と無粋なものだな」
そう鼻で笑い、踵を返そうとした時。
その冷たい物は首筋に触れる。
「交渉決裂の折には、力尽くと相場が決まっておる。大人しくしてはくれぬものか?」
「… … …やれやれ困ったものだ」
まずは、男子生徒が手に持つ忍刀の先端を払って軌道をずらす。そして次に、がら空きになった彼の右脇腹に軽く二発。
「ぐ……ッ!?」
「… … …忍刀の構えが成っていないな」
そこまででもう一人の邪魔がありそうなので、一旦距離を取る。
苦痛に顔を歪ませながら睨む忍者。何と言うことは無い。実力差は歴然。ただし、常にこちらを警戒している化け狐を見るに、同志の監視任務は遂行できそうになかった。
「… … …先達として、貴様に少々手解きをしてやろう。… … …某の名は、ゼツ。… … …伺見 絶」
そして、開き直った。
「… … …その昔、『忍』の長なるものを務めた事がある」