【第百三十五話】狂乱編:迎撃準備
ある個人により展開された術的結界を、他者が破る方法が五つある。
一つは、力尽くで結界が壊れるまで叩き続けること。
一つは、結界における魔力の質・配置を分析して外側から逆成分の魔力で分解すること。
一つは、その結界のルールに則って解除条件を満たすこと。
一つは、結界を展開させている者・媒介を破壊すること。
そして最後の一つは―――結界が効力を失うまで待つこと。
最後の方法は最も時間が掛かるが、最も楽な方法でもある。何もせずとも、いずれ形ある物は消え失せる運命下にある。時の流れは、物を脆くする働きがあるのだ。他の手段が実行不可の場合、最も有効な手段がこれとなる。
封印も一種の結界だが、長い間封じられていた化け物が時たま復活する事があるのは、このためだ。誰かの悪戯、或いは陰謀で封が解かれたのでなく、『時間』という超自然的概念により施された当然の摂理。意図的に止められた欲望は、抑止の殼を破り再誕する。
そうして、歴史は繰り返すのだ。
「………っちゅうことや。お前にコイツを託す」
冬季休暇。実家で年を越した火神 夜藝は、父から一振りの刀を渡された。
「……いいのかよ。家宝の一つだろ、コレ」
「構へんて。使わへんかったら、それこそ宝の持ち腐れやしな」
言うことは尤もだが、だからといって自分に渡すのは見当違いだと夜藝は思った。刀など握ったこともない。
「別に、お前が使て闘えっちゅう訳やない。信用できる奴に渡したってもええし、勿論自分の護身用にしたってもええ」
いつも順序を立てて行動する石切にしては珍しく、ノープランのようだった。
「『世界の節目』から今年でもう7年。輝彦が動くんなら、そろそろやろな。わしゃもう、これくらいのことしか出来へんのや。フギンとムギンが手に入れた情報は、輝彦が『簒齎者』の任務を継いだこと以外はからっきしやったしな」
火神 輝彦という男は昔からそうだった。気が狂っているただの殺戮者に見えて――実際そうなのだが――その痕跡はほとんど残さないという完璧主義者の一面もある。7年前に彼が姿を晦ました時、彼の置き手紙によって初めて家の使用人が殺されていたことを知った。その後発見された遺体も、すでに死後一週間以上が経過していた。追跡をしようにも、痕跡という痕跡は何一つ無かった。そもそも彼が殺人を犯したという明確な痕跡さえ、その遺体と置き手紙しか存在しなかった。だがそれは、この一件に限ったことではなく、彼が今まで犯してきた殺人全てに言えることだった。
自白してから初めて事件が発覚する―――ある意味、どんな連続殺人鬼よりも恐ろしい少年だった。
そんな彼が相手だったからだろうか。『家族』という組織に属していること、そして『簒齎者』を狙っていること。この7年の成果は、そのたった二つの情報だけだった。
「……悪いな、夜藝。結局、最後は全部お前任せやな」
不甲斐なさそうに言った父親の姿は、夜藝にとって初めて見るものでは無かった。あの時―――兄が居なくなった時も、同じように頭を下げていた。当時は何故なのかよく理解できなかったが、今ならば―――
「………ってことだ。一応、警戒を頼む」
冬休みが終わって学校が始まり、体育館裏にて夜藝は、とある一年下の後輩の女子に輝彦についての情報を伝えた。
彼女は火神組と手を組んだ――組まされたとも言う――戦闘要員だ。
彼女と初めて会ったのは16歳の春。今でもよく憶えている。ちょうどここの自動販売機で自分が飲み物を買おうとしたが、金が足りないのに気付いて寮に引き返そうとしたところ、通りかかった彼女が金を貸してくれたのだ。何と言うか、一目惚れだった。ずっと好きで、想いを伝えようとしたこともあるが、何やら色々あって阻まれたこともあった。
そんな意中の女子と何故このような妙な関係になったのか……夜藝は今でも首を傾げている。去年の夏に、急に父が手を組んだと言って情報伝達係を任されたのだ。運命の悪戯とは時折、訳の分からないことを仕出かしてくれる。
「………あの、先輩」
黙って夜藝の話を聞いていたその女子――黒井 麻央は、口を開いた。
「……何だ?」
「えと……そういえば、ちゃんと訊いてなかったんですけど………その……」
問うことに躊躇っているようだった。答えは分かり切っているのだが、訊かなければならない事が彼女にはあるのだ。
「……先輩のお兄さん、見つけたらどうするんですか?」
輝彦を見つけ、彼女が出向いて戦って、その次はどうするのか。そう訊いているのだ。
「……あんたが戦闘中に殺してもらっても構わない。生け捕りにしたって、どうせ火神組が引き取った後に殺す」
そもそも何故、輝彦を追っているのかと言えば、ケジメなのだ。7年前に行方を晦ます以前にも、輝彦の狂人ぶりは誰の目から見たって明らかだった。このまま生かしておけば、後々取り返しの付かないことになる。人目でそう判るほどの異常人。しかしそれでも、彼の父親であり火神組の元締めでもある火神 石切は決してその命を奪うことは無かった。周りに反対されながらも育て続けた。だが、それが最悪の結果となってしまったのだ。
石切が、輝彦をそこまでして守りたかった理由は何だったのか。それは、簡単なことだ。
あの日、輝彦が家を出て行ったと発覚したギリギリの瞬間まで、石切は信じていたのだ。家族の愛に触れることで、彼が変わってくれると。そう信じていた。父として、息子を裏切るような真似はできなかったのだ。
だから、その過ちを償うためにアイツを殺すのだ。
「…………そうですか」
麻央は一瞬哀しそうな眼を見せ、その場から去って行った。
ある休日。表の世界の喫茶店で、夜藝はある人物に会っていた。
「先日預かった物の件についてだが、素晴らしい業物だったよ、夜藝。君の家にはあんな宝がまだ幾つも眠っているのか?」
黒縁の四角い眼鏡と、清潔そうに整った黒の短髪。他に上げる点があるならば……その鍛え上げられた2メートルのがたいか。周囲の視線が痛い。
鋼鉄 強士郎。有名な精錬術師の一族の跡取り息子であり、学校の前生徒会長を務めた男だ。
夜藝とは同じ寮部屋だったりと何かしら縁があり、交友関係もある。金属に関して頼りに出来るのは、この男くらいしか思い付かなかったのだ。
「だがアイツを僕に譲ると言うのならば、謹んでお断りしよう。とても扱える代物では無さそうだ」
「オイ、そんなことあるわけ無いだろ。お前に扱えない刀がこの世にあったとしたら、誰にも扱えやしねぇよ。ただの鉄屑になっちまうじゃねぇか」
「フーン……では言い方が悪かったな。『扱えない』のではなく、『扱いたくない』という事だ、夜藝」
「はぁ?」
ますます意味が解らなくなった。
「『村雨丸』。名前からも分かるが、【南総里見八犬伝】に影響されたのだろう。原作になかなか忠実な刀だったよ。少々調べてみたら、百年以上前に鍛えられた物のようだが、状態も斬れ味も申し分無い」
ただし、と強士郎は付け足す。
「僕の肌に合わない」
「わがままじゃねぇか」
途端に2メートルの体躯が幼く見えるものだ。
「聞け、夜藝。これは精錬術師の性かも知れないが、僕は金属以外の力に頼った武具は好かない。銃も爆弾も、アレら近代兵器が皆頼っているのは火力だ。だから僕は銃火器類は使わない。使いたくも無い。魔導具も同様だ。アレは魔力の賜物であり、金属とは呼べもしない」
「……だから?」
「あの『村雨丸』は正真正銘の魔導具。僕が使わない理由は、それだけで充分だ」
夜藝から言わせてもらえば、充分どころか一分も充たしていないのだが。
強士郎は、注文したブラックコーヒーを口にしながら続ける。
「だがしかし、持ち主に恵まれないというのも哀れな話だ。所有するに相応しい人材が見つかるまでは、僕が預かっておいても構わないよ。それから、僕もその捜索の手伝いをさせてもらおう。恐らく、僕の方が目も利くだろうからな。能無しに拾われても刀が報われない」
こいつ実はツンデレなんじゃないか、と思う夜藝だったが、至って真顔で話す強士郎の姿を見ると、それを口に出すことはできなかった。
不意に、強士郎の手が止まった。
「どうした?」
「……フーン……どうやらそろそろお開きにしなければならないようだ」
気付いて、夜藝は店の中を見渡した。
誰も居ない。さっきまで確かに居た、客や店員の姿が消えていた。それは表の世界では起こり得ない、非現実的な光景だった。
何者かによる術。そう考えるのが妥当だろう。
そして、その結論に達するとほぼ同時に、その犯人と思しき人物は店の自動ドアから飄々と姿を現した。
常に薄ら笑みを浮かべた表情と、オレンジ色の髪。その殺伐とした雰囲気は、狂人である所以か。
「イヒヒ、久しぶりじゃん。夜藝~?」
それは、この世で最も見たくない顔だった。