【第百三十一話】クリスマスのこと
神が人間として産まれてきた事を祝う行事がある。とある宗教のとある救世主の誕生日とされ、歴史的見解からでも極めて重大な出来事が起こった日なのだ。一説によれば実は違ったとか聞くが、どうでもいい。尤も、そんな本質など忘れ、世の人々は恋人がいないだのどうのこうので騒いでいるのだがとにかく、それを世間ではクリスマスという。
何故この日本において、クリスマスがそんな甘ったるいものになってしまったかと言えば………結婚式が教会で行われるようになったのが一因とか聞いた事あるような気がするが、本当はどうだか知らない。知ったこっちゃ無いし、そこまで興味も無い。目先の定着化した事実ほど凡人が無関心な物も無い。
しかしそんな世間のムードも、独り身の人間にとっては虚しく感じるだけであり、自分とは縁遠いものだと言い聞かせるか、あるいは、クリスマスなぞこの世から無くなってしまえ、と叶うことの無い願望を抱く者も居るのかもしれない。そうすることでしか、己を慰める事が出来ないのだ。
……まぁ、色々言ったが、アレだ。
僕も昨年までは、その一人なのであった。
「はぁ……」
放課後、暖房の消えた教室は異常に寒くなる。さっさと寮部屋に戻りたかったが、何故かここから動く気が起きなかった。クラスメイト達は皆、こんな冷たい部屋から立ち去り、トモダチその他大勢の男子は外へ雪合戦をしに行った。
十二月二十五日。今日が終われば、明日から学校は冬休みに入る。いや、放課後だから既に終わってるのかも知れないが、些かそこは認めたく無いのは何故だろうか。
「どうしたのですか、秀さま? 顔が暗いのですよ。お悩み事ならわたしがお力になりますよ?」
静まり返っていた教室に、可愛らしい声が響いた。
「ありがとう、クミさん。その気持ちだけで充分だよ」
「はうー……無理はよくないのですよー……。心の歪みは体の歪みです。健康に悪いのですよー……」
僕の身を案じてくれているのならば優しい『付喪神』なことだ。とても【百鬼夜行絵巻】に描かれてるのと同じ『存在』とは思えない。見た目もただの小さい女の子だ。年中同じ着物姿なのはどうかと思うが、そんなことは小さな問題である。
「んまぁ……悩み事と呼べるのかどうか判らないけど、ちょっとした事でね……」
「ひゃあああああああああ! も、もしかして、恋患いなのですか!? 麻央さまとの恋路を邪魔する横着な輩が!? 泥沼さながらの三角関係勃発ですか!?」
「いやいやいや、そこまでじゃないけど!」
む、いかん。自分で恋愛関連の話だと認めてしまった。……妙に鋭いな、この子は。
「はうー……じゃあ、どこまでなのですか」
「どこまで、って言われてもな……」
はて、どこまでなのだろうか。この状態は。そもそも、程度で表せるものなのか否か。
「……まぁ、ちょっとね。これから年末年始休業になる訳だけど、やり残した事があると思ってね。放置すべきか実行すべきかどうか……迷ってんのさ」
「やらなくて後悔するよりもやって後悔する方が断然マシなのです! 恋はごーふぉーぶろーくです!」
「砕けたら駄目な気もするけどね……」
言われなくたって、そんなことは解っているのだ。行動した方が結果的に良いに決まってる。ただその一歩を踏み出す勇気が出ないだけ。
この一歩を踏み出したら、二度と戻って来れなくなるのを恐れているだけだ。
「愛は言葉では語り尽くせないのです! その身で動いて表現しなければ、いずれ擦れ違いが生じて破綻してしまう脆いものなのです! 秀さまが躊躇しているというならば―――」
ガシッ、と服の袖を掴まれる。
「へ?」
「わたしが無理矢理連れて行きます!」
クミさんはそのまま走り出し、結果、僕も引っ張られて体のバランスを崩さないように動きを合わせる事になる。身長差があるため、余計に気を配る必要がある。しかも、クミさんが異様に力が強い。
あっという間に教室を抜け、階段を駆け降り、教室棟の校舎を飛び出す。僕がほとんど抵抗が出来ないまま、クミさんが向かう先は―――げっ。
「ちょっ、ストップ! クミさん! こっから先はマズいって!」
「問答無用なのです!」
うわあ、こりゃ駄目だ。擦れ違う人達が変態を見るような眼をこちら(主に僕)に向けている。こんな哀れな生徒会長があるもんか。
目的の場所に到達し、クミさんは急ブレーキを掛け、その扉を叩き開けた。
「麻央さまは居ますか!」
「!? えっ、なに? クミさん?」
急に訪れた客人に、麻央さんは目を皿にしていた。誰からどう見たって、今の僕らは招かれざる客である。
「秀さまからお話があるそうです!」
クミさんはそう言って、僕の背中を押して前に突き出した。
「秀くん……?」
「……やあ、麻央さん」
「何してるの? ……ここ、女子生徒寮だよ?」
「…………僕にはどうすることも出来なかったんだ」
そう。ここは女子生徒寮である。学校の女子生徒が利用し、生活するための場所である。
言わずもがな、『男子禁制』である。
「……とりあえず騒がしくなる前に場所変えるから、僕と一緒に来てくれない?」
「う、うん……」
周りの視線が異常に痛い。当然の事とは言え、心が折れそうになる。っていうか、感覚ではもう半分折れてる。これで休み明けに『変態生徒会長』などという不名誉なあだ名が付かない事を祈ろう。
立ち去る間際、扉が開いた部屋の奥でヒナさんが笑みを浮かべていたのが見えたが、気にしない事にしよう。
教室棟の校舎の屋上。最近何だか、ここに来る頻度が高いと思うのは気のせいか。
「で………話ってなに? 秀くん」
「いや、まあ……その、何て言うかな……」
クミさんはここに来る途中で「空気を読んで帰ります! あとは、ばっちり決めてください!」と言い残し、何とも勝手な事をするだけして自分の『依代』の元へと帰っていった。もう少し後先の事を考慮してほしいものだ。
しかしまあ……お蔭で勇気は出た。もはや背水の陣である。ここまでやっといて、今さら退けやしない。そこだけは感謝しよう。
「僕もさ……今の学校生活が楽しいんだ」
だから、今は突っ走るのみ。
「トモダチや篭や筧君達とトランプやったり、富士田君や足立君が企画したイベントに参加したり、生徒会の仕事とか、『存在』故の怪現象とかも含めて、全部。みんなと過ごしてる時間が楽しいんだ」
この前のよーこさんの報告を聞いて確信した。もう、この時間はあまり長く続かない。
麻央さんも薄々感付いていたのかもしれない。だからこそ、あの時の返事があんな曖昧なものだったんだ。
「麻央さん。これ」
僕はズボンのポケットからある物を出した。この日のために買った、小さな約束の印だ。
「なに? これ」
「僕からのクリスマスプレゼント」
それはただの星型のブローチ。買う時、妙に恥ずかしかったのを覚えている。
「いつか、さ。全部終わって、全部の決着が付いた時を、『その時』にしてくれないかな?」
「……うん、いいよ」
麻央さんはブローチを受け取ると、優しく微笑んでくれた。
その表情はどこか、悲しげな雰囲気を帯びていた。