【第百二十六話】修学旅行の話 5
深遠な闇が包む夜の時間。山中 妖狐は、島の森の中を歩いていた。
「やあ、見つけたよ。神谷先生」
「げっ、山中。お前、何でここに……」
「はっはっはっ、ワタシ相手にかくれんぼなど成立しないよ」
「くそ……完全に見落としてたな……」
観念した神谷は、身を隠していた茂みから姿を現す。
「はぁ……お前がここに来たってことは、『アレ』はお前がもうやっちまったってことか……。『今年』は早すぎだな……」
「いや、まださ」
なに? と神谷は疑いの声を上げる。
「そりゃ、どういうこった。まさかお前、『アレ』に気付いて無い訳じゃねぇだろ。それとも、わざわざ俺の周囲に張った人払いの結界を破りに来たのか?」
「ワタシには全て解るさ、神谷先生。ワタシはただ、あんなあからさまな結界を張るよりも、何もせずに大人しく隠れた方が、まだバレにくいと思っただけさ。先生はそこら辺の小細工が下手だからねぇ」
「……やっぱ角の透過バレてんのか?」
「一部にはね」
がっくりと項垂れる神谷。
「……まぁ、ともかくだ。『コレ』は学校の伝統行事のようなもの。初めから全てを把握しているワタシがやっては無粋というものだからねぇ」
「……そこまで気を遣ってくれてんなら、お前には感謝しとくぜ。……あぁ、そうだ山中。一つお前に訊きたいことがある」
「何人が『コレ』に気付いているか、かい? 現在動いているのはワタシを除いて四人。二人ずつで行動中。他にも三人程気付いているが、そちらは誰も行動する気は無いようだよ」
「……そうか」
勝手に心を見透かして、一人でさっさと会話を進めるなと思う神谷だったが、こう思っていることも見透かされてるのならば悪口にしかならないので多少自粛した方が良いかと思うが、それすらも見透かしているというのならば特段気にすることも無いと思っているということも見透かしているならばやはり―――
「先生。ちゃんと解っているから、その思考のループを止めた方が良いぞ」
「……ん、あぁ、悪いな。俺はどうにもそういう類の能力は苦手みたいだ」
元々、頭で考えるのはそこまで得意では無いのだ。昔、『覚』相手に会話した時も同じようなことを感じていたことを、神谷は思い出していた。あの腹立つ野郎の名前は何だっただろうか。何十年も前の事となれば記憶も薄れる。
「先生は『妖怪の里』には帰らないのかい?」
「そうだな……ここ五十年は顔出してねぇな……。お前はこの前里に戻ったんだろ。何か変わったことはあったか?」
「なかなか見映えが良くなっていて驚いたよ。まぁ尤も……勢力争いは相変わらずだったがね」
「まだ、んなことやってんのかアイツ等。くだらねぇ。自然の権化が聞いて呆れるな」
「膨大な時の流れを生きるのが暇なのさ、彼らは。己の在るべき場所を見つけたワタシ達とは違ってね」
「かもしれねぇな……」
雑談を交えながら、神谷は煙草に火を点ける。
「……んで、話を元に戻すが、本当にお前は『アレ』には手を出してねぇんだよな?」
「もちろん。というか出したくないね。同じ『存在』としては」
「それもそうか。……んま、対して『アレ』は誰が相手だろうが容赦はしねぇんだろうがな」
そういうやつ等だ、と神谷は紫煙をくゆらす。
「さて……今回は誰が苦労すんだか」
クラスメイト達で花火をやっている浜辺で、トモダチは軽く焦っていた。
彼の友人である、超純真平和主義者のアホ生徒会長から少し目を離していたら、どこかへ消えていたのである。これでは自分の計画が遂行できない。早くしなければ、次のステップに間に―――
「悪い悪い。待った?」
合わなかった。
「ん、ああ、ヒナさん、まーさん……」
そこへやって来たのは、二人の女子クラスメイト。二人とも浴衣の姿という見慣れない格好をしているので、妙に新鮮味がある。
特に目を引いたのは麻央の方だった。黒の布地に淡紅色の花の柄をした浴衣。黒は女を引き立てるとは良く言ったものだ。背中まであった黒髪はお団子にしてまとめていて、その白いうなじを見せている。麻央は元々くりっとした目や低めの身長など、可愛い系に属するであろう女子だが、今は大人の美しささえも醸し出している。
(……こりゃ、秀じゃなくても惚れるぜ)
世の男性諸君ならば十中八九目を奪われることだろう、トモダチはそう感じた。
「ありゃ? 秀は居ないの?」
ヒナが訊ねる。
「あ、ああ……なんか、どっか行っちまってな……」
トモダチのおどおどした返答に、一瞬ヒナの眉がピクリと吊り上がる。
「……麻央~? ちょっとトモダチと二人で話したいから、良い?」
「え、うん……いいよ」
ヒナがトモダチに近付く。明るめの印象を受ける水色の浴衣は麻央の物とは対照的だが、これはこれで惹かれるものがある。さぞ、着ている人物も心が清らかな人なのではないだろうか。トモダチは恐る恐るヒナの顔を見た。
笑顔。綻び一つ無い満面の笑みだ。しかし何故だろう。この笑顔を見ていると、気温は暑いというのに全身の鳥肌が立つ。まるで蛇に見込まれた蛙のように、体がすくんで動けなくなる。トモダチはこれと良く似た笑顔を知っている。あの人が戦闘時によく見せるものに似ている。そうだ、あれは―――恐怖の笑顔だ。
「うふふ、うふふふふふ……何で秀が居ないのかしら?」
ヒナといつの間にか念糸によって拘束されたトモダチは、麻央に背を向けたかたちで小声で話し始める。
「い、いや、だな…………ほんの少し目を離してたら、どっかに」
「あんたがこの計画の立案者でしょう? 何でちゃんと見張っておかないのかしら? 何のために麻央の夕食に睡眠薬盛ったと思ってるのかしら? せっかくわたしが気合入れて着付けしてあげたのに、見せる人が居なきゃ意味が無いでしょう?」
「だ、だから、俺には別に非は……」
「まぁ、見張ってない方も悪いけど、居なくなった方も同様ね。うふふ、うふふふふふ……一度、二人ともすっきりさっぱり殺しちゃおうかしら」
気付けば、ヒナの手元には大包丁を構えた和風人形のクロが。
「ちょちょちょちょちょいタンマタンマ。んな物騒な得物をこちらに向けちゃいけませんぜヒナさん。要は秀を捜し出せば結果オーライだろ? だったら俺に良い考えがあるぜ。おーい、南条! ちょっとこっち来い!」
引きつった声でトモダチが声を上げる。
「呼んだかな、トモダチ君?」
すぐに南条がやって来た。何故か後ろに不知火も同行させている。このリア充め、と一瞬思うがさっさと本題を口早に述べる。
「今、秀がどこに居るか分かるか?」
「秀君? そうだな…………島の随分奥の方に居るみたいだよ。ぼくの力は、夜じゃ充分に発揮できないからそれ以上正確には分からないけど……何かあったのかな?」
「いや、何でもないぜ。訊きたかったのはそれだけだ。ありがとな、南条」
「あ、うん……どういたしまして」
たったそれだけの用件で呼んだことに、何も言わずに去っていく南条。他の人ならば文句の一つでも垂れるところだが、そこは流石と言うべきか。少なくともあんな寛大な精神を持った人物は、このクラスにあと二人いるかどうかくらいだ。
と、トモダチがそんなことを思っていると、不知火がこちらを見ていることに気付いた。相変わらず表情の変化は乏しいが、数ヶ月前に『氷界』の連中が来た辺りから幾分マシになった感じがした。一体あの時何があったんだろうな、と首を傾げていると。
「―――気を付けて」
蚊の鳴くような小さな声で、そんな言葉を発してから、不知火はてくてくと南条の後を付いて行った。一体何を伝えたかったのか、彼女の発言は基本的に具体的な内容が曖昧なのでトモダチには到底理解できそうもなかった。
「……で、ともかく! これで秀の居場所は大体掴めたぜ。あとは俺がちょっくら連れ戻してくれば大丈夫。だろ、ヒナさん?」
「…………まぁ、いっか。それでも」
とりあえずヒナの表情から恐怖の笑顔が消えたことで、ほっと胸を撫で下ろすトモダチ。
「ただし、あまり時間を掛けないでよ? 女を待たせる男は最低だって憶えとけ」
「ああ、もちろんだぜ」
「じゃあ行ってこい!」
ヒナのその言葉で、念糸の拘束が解けたトモダチは島の森の方へと走り出す。
麻央はその様子を遠巻きに見ていたが、あっという間にトモダチの姿は見えなくなった。
「……んじゃ花火やろっか、麻央」
まるで何事も無かったかのようにこちらを向くヒナ。
麻央はいまいち状況が把握できないでいたのだった。
「おい、何だよコレ……」
秀と篭は島の奥深く、高い木々によって囲まれた空間の中に、何やら地面に大きな穴が開いている場所を見つけた。かなり巨大な穴だ。ぱっと見て直径十メートル以上はあるか。中には海水が揺らいでいるのが見え、相当深いようで、海底洞窟のような感じになっているようだ。気になって仕方が無い。
しかし、今問題なのは、その穴を護るようにしてぞろぞろと現れた集団。植物の葉で体を包み、赤毛で子供くらいの背丈をしたナニか。明らかに人外の連中のようだ。
「もしかして、キジムナーか? どう思う、篭?」
「かもな。こいつらから感じられるのは妖力だし、『妖怪』なのはまず間違いないよ」
「にしても凄い数…………五十近く? まさかとは思うけど、面倒なことになりそうだなコレ」
秀と篭の姿を捉えたキジムナー達は、ざわざわと騒ぎ始める。
《奴等、我等の聖域を穢す心算か》
《大方、常世の国への道を探す愚か者共だろう》
《構わぬ、皆の者掛かれ! 奴等を遣らうのだ!》
瞬間、怒りの形相を露わにした人外達と、何も知らずに踏み込んだ人間の戦闘が始まった。