【第百二十二話】修学旅行の話
眩しすぎるくらいに輝く太陽が浮かぶ、雲一つ無い真っ青な空。
絶好の海日和とでも言うか、水平線まで続く碧玉色の景色は、僕の心を癒してくれている気がした。
「じゃあ、何でそんな木陰で座り込んでんだ、お前?」
「黙れ、トモダチ。僕に話しかけるな」
しかし、癒し切れてはいなかった。
「何だよ、秀。生徒会長になった事まだ引きずってんのか?」
「出来れば未だに認めたくないところだよ……」
まぁ、生徒会長になった事もそうなのだが、それ以上にあの女子三人が役員になった事の方が解せない。精神的に酷く疲れる。
「元気出せって。俺と優も生徒会役員だぜ?」
「ついこの間の役員集会に無断欠席した奴が何をほざくか」
「いや、アレはだな……他に用事があって……」
「生徒会関係の用事の方を優先させるに決まってんだろうが。常識を考えやがれ」
まったく、面倒事がまた増えたもんだ。
「何だよ……そんないつまでもピリピリしてないで、お前も海で泳げよ。せっかくの修学旅行だぜ?」
そう、今は修学旅行中。三泊四日で太平洋上のとある無人島までクラス全員で来ている。……ここまで来て何の学を修めるかは知らないが。
ふと見れば、クラスメイト達がここまでかというくらい遊びまくってる姿が目に付く。まぁ、楽しそうな光景に見えなくは無いのだが……
「……いや、良い。泳ぎたくない」
「はぁ? お前、ここまで来てその行為はアホだぜ? 何のために水着を持って来て―――」
そこまで口にしてトモダチは何か感付いたようで、不満そうな顔から一転、ニヤニヤした気持ち悪い笑顔へと変化を遂げる。
「へへっ、分かったぜ~? お前、アレだろ。アレを見るのが恥ずかしいんだろ?」
トモダチが指差す。それは、浜辺で遊んでいる女子達。……それが普通の服装だったら良かったのだろう。しかし、ここは海。当然の如く、露出度が下着と対して変わらない格好を全員している訳で、そりゃまぁ見様によっては楽園のように見えるかもしれないが、少なくとも僕はその光景を三秒以上見続けることは不可能だった。いかん、眩し過ぎる。
「純真すぎだろ」
「うるさいやい、あんなの目に毒だチクショウ」
ミラーカさんで慣れたと思って高を括っていたが、大きな間違いだった。寧ろ、僕は異性のああいう姿に対する苦手意識が高まったような気がする。
「何と言うかな……お前は肉食性が無さすぎだ。もっと自分から攻めてかねぇと、誰かにまーさん盗られるかもしれないぜ?」
僕の脳裏に夏休み中のあの晩の事が浮かぶ。体育館裏で話していたあの先輩と麻央さんの姿だ。
「……あながち間違いじゃないかもな」
「おいおいおいっ!? 何だよその弱気!?」
「ってか、何度も言うけど黙れよ、トモダチ。僕は今、頗る機嫌が悪い。何故、こんな無人島まで来てお前から恋愛アドバイスを受けなきゃならん」
「分かってねぇな~。修学旅行ってのはイベントの宝庫だぜ? チャンスが目白押し! ここで進展を起こさねぇやつはアホだ。ただでさえ、普段何も行動しねぇんだから、こういう時じゃなきゃいつになってもこれ以上の関係にはならないぜ?」
さも当然の事を主張するように言葉を連ねるトモダチの眼は、物分かりの悪い僕への悲哀が込められている感じがして、異常にムカついた。殴ってやろうか、こいつ。
「俺の考えた作戦はこうだ。まず、まーさんをどこか人目の付かない草むらかどっかに連れて行って、そのまま押し倒―――」
「三度目の忠告だ。黙れ」
つーかそれ修学旅行のイベント関係ないだろ。
「とにかく! 今回の修学旅行中にまーさんと進展を起こさなかったら、ヒナさんにお前を殺すように言うからな!」
「ヒナさんも関係ないだろ! ってこら、どこ行きやがるてめぇ!」
あの野郎、言うだけ言ってさっさと逃げやがった……。まったく、嵐みたいなやつだ。
一人残された僕は、改めて周囲の風景を眺める。砂浜の上でビーチバレーをしている女子。沖の方まで泳ごうとして先生に注意される男子。
何とも平和を感じる。みんな楽しそうだった。そんな中、僕だけがこんな変な気分でいるのも何か悪いような気がした。……そういえば前にヒナさんに言われたっけな、『楽しいことが続いてる時に、苦しそうな顔するのがあんたの悪い癖』だとか。今の状況では、僕はどんな顔をしているのだろうか。
……まぁ、どうだか知らないが、今は遊ばなきゃ損な気がした。トモダチに言われた事を実践するつもりは無いが。
温帯では見られないような木を背にして座っていた僕は意を決し、脚に力を入れ立ち上がろうとした。
その時。
「どこに行くつもりかしら?」
突如、背後から声がしたと同時に、物凄い力で草むらの中へと引きずり込まれた。
どのくらいの距離を引きずられていたかは知らないが、体が止まった後に目を開けて周りを見ると、そこはさっきまでいた場所とは全然違い、人が立ち寄りそうも無い森の中だった。
人外ならば、一人いたが。
「何、きょろきょろ周り見てるのよ。私はここよ、下僕」
仰向けになっている僕の体の足元で僕を見下ろす形で立っていたのは、『吸血鬼』のあの人だった。
「……何やってんですか、ミラーカさん」
彼女は、布を首からヘソの辺りまで左右に二分割された真っ赤なスリングショットを着ており、その露出度は先程浜辺にいた女子とは比べ物にならない程だ。……ミラーカさんだから良かったものの、これを他の女子が着て目の前にいたら多分僕は気が狂っていただろう。
「暇なのよ。私、海じゃ泳げないし、日差しは強いしで何もすることが無いんだもの。木漏れ日くらいなら大丈夫だけど」
海じゃ泳げない、ってのは……ああ、確か『吸血鬼』は流水が苦手って聞いたことがあったような。これだけ強い力を持った種族なのに、やたらと弱点が多いのは不思議なものだ………などと悠長なことを考えている状況じゃ無さそうだなこれは。
「何する気ですか?」
「今日の分の『アレ』がまだでしょ? 時間もたっぷりあることだし、今日は多めに頂くわよ。そのためにここまで連れて来たんだから」
勿論、『アレ』とは、毎日やっている吸血の事である。
「い、いやいやいやいや……何もこんな真昼間にやらなくても……。貴女、夜の王でしょ? それにほら……吸血の量が多いと、僕すんごく眠くなりますし……」
「心配しなくて良いわ。寝かせないから」
それはどういうニュアンスで言っているのだろうか。場合によっては、マジで逃げた方が良いような。いや、逃げなければいけないような。ってかもう今すぐ逃げるべきのような。
「やっぱり遠慮させて――」
「あんたに拒否権があると思う?」
次の瞬間、両脚に激痛。
フィギュア・フォー・レッグロック。仰向けの状態の相手の片脚を取って自分の体を回転させ、相手のもう一方の膝の辺りに取った脚を乗せてその上に自分の脚を被せてロックする技。要は、足4の字固めである。
一応言っておくが、これはかなり痛い。
「ぎゃあああああああああ!! いたいいたいいたいやめてくださいお願いします解いてください!!」
マズい。完璧に極まってる。姿勢を裏返しに……いや、『吸血鬼』の怪力相手じゃ無理だ。ヤバい、今の抵抗で余計に締まっちまった。
「ダメですってえええええ!! 関節技はマジでヤバいですって!! 危険ですって!! 下手すりゃ死にますって!! 何でもしますからやめてください!!」
「じゃあ、頂くわね」
「へ?」
脚が壊死するかと思うくらいの痛みが緩んだと思ったら、一瞬で彼女は僕に覆いかぶさるような体勢になってそのまま首筋に噛み付いた。何だこのくだりのデジャヴ。
僅かな痛みの後に襲う快楽。しかし、何故かいつものと違う。優しさに包まれるような感覚ではなく、何か心の奥底の欲望を刺激し掻き立てるような激しい快感。眠気など微塵も来ない。
「驚いたかしら? これくらい調節できるのよ。いつもは変な気を起こさないように大人しくさせてるけど」
理性が崩れ、発狂してしまいそうに瀬戸際。彼女はその紅い目を細め、ただ嗤っていた。
「何ラウンドまで良いかしらね?」