【第百十九話】それぞれの夏のこと
時は少し遡る。それは夏休み中の出来事。
筧 閃、海藤 魚正、清華 英雄の『勇者』3人と、『座天使』の足立 進は、『善』の組織の緊急召集としてある場所へ向かっていた。
そこは何もかもを超越した場所。世界の果て、全人類の理想である桃源郷を越え、幾多もの結界が張り巡らされ悪しき者は何人たりとも踏み入る事の無い神聖な領域。『人間』としての『存在』では、その全貌を把握し切ることはできない。
全体が白い光で覆われたようなその空間は、『天界』と呼ばれていた。
「来られましたね、『ガーネット』」
白い光の中から4人の前に降り立った女性の明瞭な声が木霊する。
「………何用」
それはいつもの筧 閃ではなく、『勇者』の最高権力者である悠木 菖蒲としての彼の言葉。
この時、他の3人は『ガーネット』の言動にはらはらしていた。もう少し他に訊き方は無いのか、と。いくら『勇者』のトップだからと言って、『善』の組織のトップである訳では無い。
「相変わらずですね。貴方のその喋り方。御先祖様方によく似ていますよ」
白い衣を纏ったこの女性の名は、ガブリエル。第二位『智天使』に所属する正真正銘人外の『存在』。同じ『7人の上級天使』のメンバーである足立でさえ軽々しく口を利けるような相手では無いのだ。
「本題に入りますから、よく聞いて下さいね。これは一大事ですよ。下手をすれば、再び『世界の節目』が訪れてしまうような、とても深刻な問題です」
ガブリエルが静かに話し出すと、『ガーネット』はそのまま沈黙。他3人は息を呑んだ。
「エレナ=オールブレイク、只今帰還」
「アルフレッド=パーフェクトリカバー、只今帰還」
青髪緑眼の少女と銀髪銀眼の少年は、主人の元へと帰って来ていた。
「――……おかえり」
白い髪の幼い少年の姿をした彼らの主人もまた人外の『存在』。己の野望のために動く、賢しい獣の心を持った輩。
「――……ネルの調整だったね。――……すぐ用意するよ」
少年が椅子から立ち上がると、ネルは着ていた衣服を脱ぎ始め、ガラスに覆われたカプセルの中に入っている液体の中へ体を沈める。
「――……状態、どうだって言ってたっけ?」
少年がフレディーに尋ねる。
「恐らく対象用クライシスセンサーの機能に齟齬が発生している。正常に作動していない」
「――……そっか。――……禁厭の効果が薄まってるのかな?」
少年は珍しく思い詰めた表情で、カプセルの中で休止状態になっているネルを見る。休止状態とは言っても全機能が停止している訳ではない。一定のリズムで鼓動する胸。安らかな寝顔を見せるその姿はどう見ても人間。とても作り物とは思えない。
自身の最高傑作とも謳われたこの個体に一体何が起こったのか。
「――……扱いがどうも難しいね。――……『マウス』は」
そんな独り言を呟きながら、少年は禁厭の状態の確認をし始めた。
「お、目ェ覚ましたか?」
火神 夜藝が布団の上で目覚めてから初めに見たものは、自分の顔を覗くように見ている人物の顔だった。
「……何やってんだよ、親父」
「何やその反応。父親自ら看病したってるっちゅうんに」
夜藝は周りをよく見渡す。そして、ここが学校ではなく、火神組本家の屋敷の中だということに気付いた。
「お前だけえらく傷が酷かったらしくての、学校に保健室の先生が不在やっちゅうからここまで運んで火神組の救護班のモンに治療させたっちゅうこっちゃ」
火神組元締め・火神 石切は息子に一通りの説明を終えると、煙管を銜えて火を点ける。
「……で、肝心のその相手っちゅうんが『家族』やったらしいが、何か情報は得たんか?」
たった今目が覚めた相手にする質問か、と夜藝は思ったが、一応頷いた。
「その情報、当てになるんか?」
「……メンバー自身が言ってたんだ。これ以上、確かな情報は無ぇよ」
夜藝は半身を起こし、声を大にして言う。
「兄貴は、『家族』のメンバーの一人だ」
憎むべき相手を見つけた、もはや未練未酌が無い声だ。
「……そうか。ようやっと的が絞れたっちゅうわけやな」
石切は立ち上がり、部屋の襖に手を掛ける。
「どこ行くんだ、親父?」
「フギンとムニンを出す」
そう言って石切はその部屋を後にする。
火神組本家の武器貯蔵庫。その中の隠し扉の先に保管されている一本の巻物。組の者でも数人程しか在り処を知らない火神組最高の宝の一つ。
石切がその巻物を広げると、中に書かれた召喚契約印から『ソレ』が姿を現す。
《御呼びかな、御主人?》
フギンとムニン。古来より神の使いとされた神獣。情報蒐集という一点に関して、最強の能力を誇る二羽の大烏。
「覚悟しとれや、輝彦」
石切は不敵に微笑んだ。
『家族』からの急襲を受けた翌日。
俺と秀は寮部屋で夏休みの宿題をしていた。
秀はまーさんと『吸血鬼』の女の人の容体が心配なのか、かなりテンションが低い。よーこさんに何も言えずに帰られてしまったこともあるかもしれないが……。
とにかく、今の俺達の間には沈黙が流れていた。
「……なぁ、トモダチ」
先に口を開いたのは秀だった。
「なんだ?」
「昨日は、あの後色々あったから訊きそびれたけど………『生命簒齎』、って言うんだって? お前個人の能力」
「……『家族』はそう呼んでるらしいぜ」
「ふーん……」
互いに目を合わせる事無く話す。
俺は今まで自分個人の能力については、誰にも喋ったことは無かった。理由は単純。人間相手なら誰だろうとすぐに殺せるこの能力を恐れて、俺に近付く人が減るのが嫌だったからだ。
「……秀」
俺は宿題をしていた手を止め、どうしても気になっていることを訊く。
「俺が、怖いか?」
それは最も訊きたくないことでもあったが、訊かなければならないことだと思った。俺が記憶にも無いくらい小さい頃、俺の親戚はみんな俺を恐れて引き取ろうとしなかったらしい。今まで『友達』だと思っていた人物がこの能力を知って恐れるならば、俺はこれから更に気を付けなければいけない。
そして、こいつとも距離を置かなければ―――
「何言ってんだ、お前?」
だからこそ、その言葉は意外だった。
「……え」
「そりゃ、その能力は恐ろしいだろうけどさ。お前がその能力を無闇矢鱈に使うような人間なら、僕はとっくに生きちゃいないだろ」
宿題をしている手を止めず、こちらに目を向けることも無く、当たり前のことを述べるように秀は言った。
「変わりゃしねぇよ。お前は僕の『友達』だ」
「…………」
よく考えてみれば、こいつはそういうやつだった。大切なものを誰よりも尊く想っていて、それを崩壊させようとしたやつを本気で恨んで、結局はそいつさえも許した。本当に、甘い人間なんだ。
俺はそんなやつを一瞬でも疑ってしまったことが恥ずかしかった。
そして、だんだん目頭が熱くなっていくのを感じた。
「秀ううううぅぅぅぅ!! お前大好きだあああぁぁぁぁ!!」
「わっ、馬鹿お前っ! くっつくな、字がずれる!」
直後、秀は俺の顎に拳の一撃を喰らわせ、怒りながら消しゴムを必死にノートにこすっていた。
「いや~、やっぱ持つべき物は『友達』だぜ♪」
「今の数十秒で僕のお前に対する好感度が相当下がったがな」
そう言った秀の目はかなり冷ややかだったが………
俺はとにかく嬉しかった。