【第百十二話】急襲編:神の足を持つ者
黒井 麻央とマリー=C=テインの戦いは、明らかに麻央が劣勢だった。神速で移動しながらのヒットアンドアウェー。黒魔術で反射神経も向上しているとは言え、体が付いて行かなければどうしようもない。そして、更にタチが悪いのは――
(この魔力の感じ……)
どうりで、さっきから一つ一つの打撃の威力が高すぎると思った。いくら速いと言えど、ただの人間レベルの打撃で、麻央の黒魔術によって限界ぎりぎりまで強度を高めた体へダメージを与えるなどあり得ない話だ。
単純な事である。このマリーという女も黒魔術のセンスを持っているのだ。
「オーホホホホ、さすがは『元魔王』、とってもタフなのデースネー! 今までこんなに耐えた人はいませんデーシた!」
「『魔王』が粘り強いのは、お約束だよ」
だが、いくら粘っても攻撃が当たらなければ意味がない。いずれは体力か精神力が切れて、勝敗が決してしまう。今の状況では前者が危うい。
マリーの『神足通』から繰り出される打撃は、『天使』の彼のソレとは決定的に違う点がある。黒魔術によって体を強化しているため、当てる直前にブレーキを掛ける必要がない上に、反射神経・動体視力の向上により、的確に攻撃を当てることができる。
早目に策を講じなければ、負けるのはこっち。
「シカーシ、そろそろ限界じゃないのデースか? 魔力が弱まってマースよ?」
「大丈夫だよ、あたしの魔力は無尽蔵だから。魔力自体が弱まっても、その分補充するだけだよ」
「退き際の分からない子供デースネー。それでは、お胸も大きくならないのデースよ?」
マリーは、ライダースーツによって強調された自分の豊満な胸を麻央に見せ付ける。それを見て、麻央は少し顔を赤くする。そりゃマリーと比べれば自分のは貧しいだろうが、それでも一般的に見れば人並みかそれよりも少し小さいくらいはあると思っている。ただこの目の前の女のものがデカすぎるだけだ。だが、ここまで蔑んでいるような態度で言われれば、さすがにむっとなる。
「……大きなお世話」
湧き上がる黒い感情を抑える。この厳しい戦闘の最中、相手の挑発なんかで冷静さを欠いてはならない。
「オー、すいませんデーシた。そう怖い顔しないでくだサーイ!」
再び、マリーが神速で駆け出す。麻央の体はそのスピードに付いて行けないが、眼だけはぎりぎりマリーの姿を捉えている。大体で、打撃の飛んで来そうな場所へ『ハデス』を構える。少しでも触れて、その脚か拳の破壊を狙う。しかし――
「………っ!!」
『ハデス』を避けて、蹴りが腰へ直撃。そのまま体を反転させて『ハデス』を振り下ろすが、やはりすぐに避けられる。
先程からずっとこんな感じだ。こっちの攻撃は当たらず、向こうの攻撃は確実に自分にダメージを与え続ける。このままでは駄目だ。何とかしなければ。
「オーホホホホ、諦めて降参するのデースネー!」
そう言って、マリーは神速からの打撃を放つ。マリーからの猛ラッシュを耐えながら、麻央は一つだけ引っ掛かっていた。
何故、自分を殺そうとしないのだろう。
攻め方からしてそうだ。ダメージは与えつつ、致命傷にはならないような場所に攻撃を当てている。言動も降伏を促しているような感じだ。明らかに、敵を『殺す』戦い方ではない。
先程、秀の父親があの魔女に忠告したのも気になっていた。自分は殺してはならない『存在』だと、そう言っていた。
……いや、考えられる事は一つだろう。理由はよく解らないが、つまりこの『家族』という組織にとって、自分は死なせてはならない『存在』なのだ。だから攻撃が甘い。降参、または気絶という形で終わらせようとしている。
麻央は眼を細める。
見つけた。相手に自分の攻撃を当てる方法を。
「?」
マリーはラッシュ後、距離を取ってから眼を疑った。突然、元『魔王』の彼女が手に持っていた巨大な剣の形をした真っ黒な岩の塊を、何も無いところへ放り投げた。今の彼女は完全に無防備。手で構えようともせず、一見降伏したかのように思えるが、相変わらず重圧は放ったままだ。
(完全な肉弾戦で決着を付けようということデースか……?)
散るのならばせめて華々しく。そんなことを思ったのかもしれない。何かの罠だったとしても、回避できる自信はある。マリーは特に躊躇する事無く、麻央に突っ込んで行った。
麻央は迫ってくるマリーを見据える。正直、これは一か八か、乾坤一擲の賭けだ。失敗すれば、敗北は決まる。成功したとして、勝利があるかどうかは定かではない。だが、勝機の無い戦法をいつまでもやっているよりかは格段にマシだ。
麻央は神経を研ぎ澄ます。
「がッ………!!」
マリーの神速で放たれた拳が腹部へ食い込む。予想通り、喰らっても死にはしない場所への打撃。だが、それでも威力はかなり高い。走る激痛。吹っ飛びそうになる意識。だが、この瞬間、このチャンスを逃す訳にはいかない。絶対的な意志を持て。全身全霊を尽くせ。必ず、『ソレ』を唱え終えろ。
「散らば諸共、みたいな、ね……」
炎魔法第五番の四『エクサ・スフィア』。巨大な球体状の炎が、マリーを麻央ごと包み込んだ。
マリーはハッとなった。このタイミングで発動されれば、自分に逃げ場は無い。灼熱の炎によって退路を塞がれ、身動きが取れない。だが、それは相手にも同じことが言えるからこそ予想していなかったこと。
自身の魔力によって放たれた魔法だから効かない、なんてことは無い。もしそうだとしたら、この世に魔力の反射などという力を創る必要が無い。この場合、麻央は自分が魔法の範囲外に居る状態で放たなければならない。さもなければ、確実に自分の放った炎魔法に焼かれることになる。
マリーは慌てて炎の外へ脱出しようとするが、燃え盛る炎の壁がそれを阻む。そしてその躊躇が、一瞬の、それでいて決定的な隙となる。
麻央は拳を握り、思い切りマリーを殴り飛ばす。吹っ飛んだマリーは、炎の壁を突き抜け、硬い地面の上へ墜落しそのまま数メートル転がり、建物の壁にぶつかってやっと止まった。
『エクサ・スフィア』の炎が晴れると、そこには息も絶え絶えになった麻央が立っていた。その顔は険しい。
(あっちゃ~……最後の最後で手元狂っちゃったな……)
魔法詠唱に集中するため、身体強化を極力控えた状態で受けた拳の一撃。自身で放った炎魔法による熱。どのタイミングで気を失ってもおかしくは無い。実際、今も意識が朦朧としている。そんな状態では黒魔術の扱いが粗末になっても不思議では無い。寧ろ、必然的とも言える。
しばらくして、倒れていたマリーが再び立ち上がる。やはり、まだ余力が残っていたのだ。
対して、麻央は満身創痍状態。とても戦う体力は残っていない。
「……アナータはよく戦いマーシた。……正直、ここまで追い詰められるとは思いませんデーシたよ」
ボロボロになりながらも、マリーは一瞬で麻央に近付く。
「……お休みなサーイ」
首筋の鈍痛と共に、麻央の意識はそこで途切れた。