【第百四話】交渉
夏休み。
この世の裏を知らない人間達が歩く街中を、あたしは一人でふらついていた。
あたし達のような裏の者は、『夜摩天』が定めた世の戒律さえ順守すれば、例え『悪魔』だろうと、表の世界でも割と自由に行動することが出来る。戒律を破れば……どうなるかなんて、火を見るより明らか。その者に待ち受けているのは、『死』の迎えのみ。以前のように路地裏で能力を使うなんて事は結構ぎりぎりだ。そんな訳で、そういう事態を避けるように、あたしはそこら辺の店に入って服を見たりしながらも、周りには目を配っていた。
「お前は、黒井 麻央で間違い無いな?」
正面から話し掛けられた。
「誰?」
色黒で、がっしりとした体格の男は、黒のサングラスと黒服を着け、いかにも怪しそうな雰囲気を出している。ここまで露骨なのもどうかと思う。周りの視線も痛い。
「同行願う」
「どこに?」
「火神組本家だ」
「『かがみぐみ』?」
どこかの暴力団みたいな名前だ。というか、本当にそうなのかもしれない。
「何であたしを?」
「理由は知らん。俺は元締めの命令で動いている」
「…………」
妙だ。その元締めとやらは、何の目的か知らないが、あたしを連れて来るように促したということは、あたしの『存在』が何だか知っているのだろう。ということは、必然的にその人は裏の者ということになる。でも、その人が派遣してきたというこの目の前の男からは……魔力が感じられない。
「同行願う」
男はさっきと同じ調子で、もう一度言った。
何だか色々と気になるし、疑問のままにしておくのも嫌な感じがした。それに、いざとなれば逃げ出せる自信はある。
「うん、いいよ。行ってあげる」
黒服の男に付いて行くこと30分。ようやく目的の場所へ着いたようだ。
「…………」
あたしはソレを見て、呆気に取られた。何とも立派で強固そうな門、端がどこまで続いているか分からない塀。そして何よりも、それらに囲まれた馬鹿でかい屋敷。これは本当に極道か何かじゃないかと思った。
そして、屋敷の中に案内され、奥へ奥へと進み、ある部屋に入れられると「ここで待て」とだけ言われて、あたしはその部屋に一人になった。
一面に畳が敷かれた和風の部屋。いや、広間と言っても良いくらいの大きさはある。金色の襖や壁の掛け軸。開いた障子の扉からは、中庭のようなものも見える。どう考えても、普通の家じゃない。
部屋に敷いてあった座布団の上に座り、しばらくすると、金色の襖が開き、中に何人かの男が入ってきた。
「すまんな。待たせてしもたか?」
その真ん中に立つ中年の男が口を開いた。短くて黒い髪。右眼に大きな傷があり、隻眼。濃紫の着物を纏い、明らかに他の者とは感じる空気が違う。
その男は、あたしの向かいに敷いてある座布団に胡坐を掻いて座る。
「ホー……噂に違わん別嬪さんやな。わしゃ火神組の頭なんぞをやっとる火神 石切っちゅうモンや。よろしゅうな」
どうやら、この人が例の『元締め』の人らしい。
「で、そのお頭さんがあたしに何の用?」
「てめえ、元締めに向かって何て口の利き方を……!!」
周りの幹部らしき男達が激しい剣幕を見せる。
「よせや。お前等にゃ、この人に傷一つ付けらりゃせんわ」
元締めの人がなだめ、話を続ける。
「わしがあんたを呼んだんは他でも無い」
元締めの人は残った左目を細める。
「火神組と手ェ組まんか?」
いきなり何だろう。話が読めない。
「色々、あたしの事知ってるみたいだけど、ここは何やってる所なの? 手を組むことの目的と、あたしへのメリットは?」
「まぁ、そう急かさんでくれや。一つずつ答えるさかい」
元締めの人は懐から煙管を取り出して、何も無い指先から火を点ける。
「火神組は、まぁ……情報やら武器やら提供して金儲けとる、薄汚い会社やな。この世の裏のことを知っとる連中もそこそこにおるわ」
組の全員が裏を知っている訳では無いようだ。
「あんたの事も良ぉ知っとる………まぁ、あんたの場合は、ちと事情が違うんやけどな」
元締めの人はフー、と紫煙を吐き、真剣な顔になる。
「あんた、前に、路地裏で不良共に能力を使たやろ? そん時の不良共が色々言い回しとるんや。『とんでもない馬鹿力の女が居るぞー!』とか言うてな。お蔭で、あんたの容姿やら口調やらは表の世界でも知れ渡っとる」
「…………」
「これで名前でも出回った日にゃ、確実にあんたは世の戒律に引っ掛かるで?」
「だから、何?」
「あんたの実力を試させてくれ」
一閃。
あたしは咄嗟に飛び退き、ソレをかわす。
元締めの人が手に持っているのは、銀色に輝く長刀。その刀身には、大きく波打つ独特の刃文が表れている。
「妖刀『村正』?」
「ホー……一目見ただけ分かるか。感心、感心」
元締めの人が袈裟斬りを繰り出す。武器も何も無いこの状況下じゃ、避ける以外に選択肢は無い……と思われているだろうからここは敢えて―――
「!」
元締めの人が目を見張る。それはそうだろう。何せ、自分の太刀筋が止まっていたのだから。
真剣白刃取り。斜めの角度でやるのは相当困難で、しかも妖刀相手にやったのは初めてだけど、成功して良かった。
ここまで来ればあたしのもの。そのまま相手の懐に潜り、腹部に蹴りを一発。たったそれだけ勝負は決まった。
「元締め!」
幹部らしい男達が部屋の端に吹っ飛んだ元締めの人に駆け寄る。
「気にせんでええ。わし一人で立てる」
元締めの人は、蹴られた部位を手で押さえながら立ち上がる。まぁ、手加減したから当然だ。
「まぁ……予想通りやな。あんたは強い。火神組はそういう奴が欲しかったんや」
元締めの人が頭を下げる。
「頼む。これ以上、あんたの情報を流そうとしとる輩がおったら、わし等が何としてでも止めたる。せやから、わし等の目的に協力してくれ」
「目的、って?」
「……家出した上の息子や」
元締めの人は少しだけ顔を曇らせる。
「名前は輝彦。とんでもない乱暴者でな………6年前に組の者を殺して出て行きよった。わし等じゃアイツにゃ歯が立たん。せやから、あんたみたいな奴が必要なんや」
もう一度、頼む、と元締めの人は頭を深々と下げる。
別に頼まれたことをわざわざ断るような性では無いし、世の戒律に触れる危険を除いてくれるという好条件まである。特に断る理由なんて無い。
「別にいいけど……」
「引き受けてくれるんか?」
「うん。でも、その輝彦っていう人がどこに居るかは分かってるの?」
「そら今、わし等が調べとる。あんたに動いてもらうんは、それが分かった時だけでええ」
「ふーん……」
「よし、交渉成立や」
よかったよかった、と元締めの人は安堵の表情を浮かべる。周りの男達もホッとしているように見えた。
「新しい情報が入って次第、追って連絡するわ。ああ、せや。わしの下の息子があんたとおんなじ学校に通っとる。ソイツから伝えるよう言うとくわ」
「おーい、親父ー」
廊下の方から声が聞こえた。
「お、噂をすれば影やな」
襖が開く。
「こんなとこに居たのか、親父。何してんだ……って、黒井?」
中に入ってきたその息子というのは、あたしを見て驚愕の表情を浮かべる。どうやらあたしを知っているようだ……というか、あたしもこの人をどこかで見た気が。
「お、おい親父! 何でうちに黒井が居んだよ!?」
「何や、お前等知り合いか?」
あ、思い出した。確か、結構前に自動販売機でお金を貸した先輩だ。
「い、いや……俺が名前知ってるだけだ」
そういえば、あたしはこの人の名前を知らない。でも、何でこの人はあたしの名前を知っているんだろう。あの時に名乗ったかな?
「せや、火神組とこの人手ェ組むことになったから、お前にこの人への情報伝達頼む」
「は!?」
「ほれ、自己紹介せ。向こうはお前の名前知らんのやろ?」
先輩は、元締めの人に無理矢理あたしの方に体を向けさせられる。
「……え、っと………火神 夜藝……その………よろしく」
何故か、先輩の顔は真っ赤だった。
こうして、あたしは火神組と手を組むことになった。
そして、その最初の連絡を受ける日は、もうすぐそこまで迫ってきていたのだが、この時はまだ知る由も無かった。