【第百三話】失った過去への鍵
以前、ある『悪魔』は少女に向かって、6年前の殺し損ねだと、そう言った。あの『悪魔』は間違いなく少女の過去を知っている。
あの『悪魔』こそが少女の失われた記憶へ繋がる鍵。少女はその『悪魔』のことが気になっていたが、『悪魔』と会う機会など無く、そもそも自分の実力が伴わない。せっかく見つけた過去の手掛かりを、少女は諦めかけていた。
夏休み中のある夜。
宇佐見 菊代は何となく屋上で一人、考え事に耽っていた。あの『悪魔』の軍勢が攻めてきてから五ヶ月が経ったが、何の進展も無かったことに彼女は大きな溜め息を一つ吐いた。
あとどれだけの時を待てば良いのだろうか。自分の記憶は、6年前に目を覚ました闇の中から始まっている。世の中の常識は知っているが、それまで自分がどういう人間だったのか、どういう生活を送っていたのか、一切が分からなかった。自分の『存在』というものが理解できなくなって自殺しかけたこともあった。それでも、自分の過去が知りたくて生きてきた。非常識な世界で必死に生き抜いてきた。
彼女は空を見上げる。黒い雲の隙間から煌々と輝く星達が覗く。その中でも一際大きく、明るく光る星がある。
美しく、妖しげな光を放つ満月。今宵のその光は、人の心を澄ませるのか、人の心を惑わせるのか。彼女はこのような月を見たことがあるような気がした。遠い昔、誰かと一緒に―――
「綺麗だと、そう思わないか? この月は」
不意に、背後から声を掛けられた。
大きな笠を深く被り顔は見えないが、女物の紺色の着物と、声質から推測するに、女性のようだった。
誰だ、こいつは。
「中秋の名月と云ってな、この時期は空気が澄んでいて月が良く見える」
「……今年の十五夜は10月じゃないの?」
「フッフッフッ、大体さ。大体」
宇佐見は顔を険しくする。
「あなた、誰?」
「他人の名を訊く時は、まず自分から…………常識だぞ?」
「…………」
得体の知れない奴だ。この学校に侵入してきたのだろうか? 例の一連の事件があって、強化されたこの学校の警備を潜り抜けてきたのか? だとしたら只者ではない。いや、そんなことは感じる魔力から分かる。
こいつは、強い。宇佐見は一瞬でそう理解した。
「そう恐れるな。私は何も危害を加えたりはしない。手を出しさえしなければ、な」
「……わたしの名前は、宇佐見 菊代。あなたは?」
女はしばらく間を置く。
「そうだな………ジョウガ、と名乗っておこう」
「ジョウガ……?」
「フッフッフッ、そうだ。覚えておくと良い。いつかまた、会うかもしれないからな」
そう言って、ジョウガと名乗った女は煙のように闇に消えていった。
ジョウガが去って、宇佐見は胸を撫で下ろす。戦闘になっていたら、確実にマズいことになっていただろう。
宇佐見はこの後、職員室へ行き、このことを報告した。
「ああ、私だ。侵入は容易い。いつでも攻められるだろう」
ジョウガは闇の中で仲間と連絡をとっていた。
「何、嬉しそうだって? ……フッフッフッ、まぁ、そうかもしれないな」
ジョウガは薄く微笑む。
「少し、古い知り合いに会ったものでな」