異世界転生 六 ~ アデラインの鎮魂
閉ざされた霊廟に、金属音と女の悲鳴が響き続ける。生かさず殺さず。それが拷問の条件である。だからこそ、最低限の出血と最大限の苦痛を与えるのが優秀な転生官の条件でもあった。たとえ我が子が相手であっても変わらない。
「いぎいいいッ!!」
アデラインは悲鳴を上げながら失禁していた。それでも構わず、デメテルは切断した指の断面に釘を打ち付けた。トッシェは暴れるアデラインの足元を押さえつけながら、時折、彼女の返り血を舐めていた。
「折る、切る、打つ、焼く。的確な狙いであれば2つ以上は不要です。しかし、ここではすべてを用います。トッシェ」
「え、あ、いいいま。よんだのなに?」
トッシェは釘の爪が生えたアデラインの手足を見ながら、鼻眼鏡を押し上げた。その時、祭服の袖から切り落とされた白い指先が転がり落ちたのを見て、デメテルは眉をひそめた。
「不足を補うのです」
「え? あ、あっ! やや、やく? やく」
トッシェは指先から慎重に火炎魔法を放射し、釘の頭を炙った。釘は真っ赤に燃え上がり、熱された神経組織が皮膚の下から煙を吹いた。アデラインは身を捩り、意味を成さない言葉を喚いた。
「いつまで、これ。これやくの?」
「指の数は?」
「にに、にじゅう!」
トッシェは薄くなった髪を撫でながら笑みをこぼした。デメテルはその場をトッシェに任せ、懐から魔法瓶の水筒を取り出した。転生評議会から下賜されたものだった。デメテルは冷えた水で喉を潤し、長椅子に腰掛けて目を閉じた。いくら転生官と言えども、儀式中でも休憩を取らねば身が持たない。
しかし、肉の焼ける音に混じって、今までと異なる奇怪な声がデメテルの耳に届いた。デメテルは目を開き、アデラインの顔を見た。歪んだ口元からは泡の飛沫が飛び散っている。何かがおかしい。デメテルの直感が違和感の理由を探し始めた。
「そそ、わらわないとね。うんうん」
トッシェが13本目の釘を熱し終えたところで、独り言を呟いた。笑い声だと? デメテルはトッシェを押しのけ、アデラインの背中に回ると純白の翼を観察した。
「羽を広げてください」
「い、嫌……」
「トッシェ、手伝いなさい」
二人が羽を力任せに抉じ開けようとすると、尺骨と橈骨が軋んで反抗した。トッシェはどこからか片手斧を持ち出すと、翼の根本に振り下ろした。羽毛と血が舞い散り、上腕骨の砕ける乾いた音が響いた。
「誰が斧を使えといったのですか!」
根本から羽が折れれば、血が荷重で羽のほうへと滞留してしまう。それに、砕けた骨は重力でずれていき、体内をズタズタに切り裂くだろう。無駄な内出血は命を縮める。
「ごごごめんよ、ゆるじ、ゆるじで!」
デメテルの叱責にトッシェは片手斧を放り捨て、腕を振って顔の前で何度も両手を交差させた。それを無視して、デメテルは祭服の裾をたくし上げると、トッシェの脇腹に膝蹴りを放った。蹴りを受けたトッシェが吹き飛んだ瞬間、彼の立っていた空間を酸性液の塊が通過していった。
デメテルがアデラインの背中に視線を移すと、羽の影に隠れて、円周状に歯の並んだ口腔がデメテルの動きを伺っていた。
『腐レ尼め、邪魔しおって』
蠕虫が口元から酸性液を垂れ流しながらぼやいた。酸性液の塊が落下した床から、焦げ臭い匂いと煙が立ち上っている。
「私は……手遅れ……早く、楽にして……」
――手遅れだ……早く楽にしてくれ……
アデラインの息も絶え絶えの声に、再びデメテルの脳裏で夫の声が反復した。あの時はカスパールが儀式を主導していた。彼は厄介な蠕虫に対処し、儀式を成功させた。しかし今、彼はいない。自分こそが、自分だけで、娘を導かなければならない。
「天国の門は固く閉ざされていますが、あらゆる魂を受け入れる広さがあります」
『下ラン説教か。この娘に天国ナド無イ』
デメテルは革手袋をはめて鉄糸と楔を手に取った。
「異世界の門には僅かな隙間しかありません。トッシェ、耐酸外套を」
低い声にトッシェが跳ね起き、耐酸外套を持って駆けつけてきた。
――蠕虫の噴射液は胃液ではなく、分泌腺で生合成される毒物だ。攻撃時は刺咬、防御時は噴射と使い分ける。
デメテルはカスパールの言葉を思い出しながら、耐酸外套で身を覆った。この毒虫は地中を高速で移動して敵を襲う。しかし、合成獣症候群の患者から生えた蠕虫は移動できない。酸性液を封じ込てしまえば、ただの巨大な線虫だった。
『貴様は夫と同ジように娘も殺ス。憐レ憐レ』
蠕虫が鉄を擦り合わせるような笑い声をあげた。デメテルは怒りを抑えながら、二重に巻いた鉄糸と楔を繋ぎ合わせた。
「どこで知り得たか分かりかねますが、無用な情報を蓄えているようですね」
蠕虫の身体が蠕動した。酸性液を発射してくる。デメテルは素早く踏み込み、耐酸外套で酸性液を弾くと、蠕虫の身体に楔を打ち込んだ。
『奇跡は起キナイ! 半魂の人デナシめ!』
――この男は半魂の人デナシだ! 人を殺スことを厭ワヌ!
かつてカスパールが始末した蠕虫の言葉が、デメテルの脳裏で反復した。過去が意識を蝕み始めている。
「お前は何故、何を知っている? いや、これが悪魔の囁きだからか?」
次弾が発射される前に、デメテルは鉄糸の両端を楔と共に天井へと飛ばした。楔が天井に突き刺さると同時に、巻きついた鉄糸が蠕虫の身体を縛り上げ、口腔を天井に釘付けにした。これで酸性液は吐き出せない。
『救エヌ……貴様は……死をもたラス』
――救うために死をもたらす。それが転生官の使命だ。
「どうか私を……空に……逃がして……」
――エミリア……感じるんだ……。遠い空から……風が……。
意識が過去と混濁し、チーズのようにどろりと溶けだした。身体が重力に逆らえない。
「トッシェ! 奴の分泌腺を切除しろ!」
デメテルは歪んだ視界の中に向かって叫んだ。トッシェがアデラインに近寄った時、彼女の羽が勢いよく広がった。不意を突かれたトッシェは羽に吹き飛ばされて祭壇にぶつかり、床に転がって動かなくなった。
灯火を浴びて羽毛を舞い散らす、片翼の天使の姿。それを最後に、デメテルの意識は途絶えた。
***
「ルドウィク!……あ、あぁ……」
目覚めた瞬間、デメテルは夫の名を叫んでいた。すぐに自分の身体を調べると、あちこちに擦り傷や打ち身がある。気を失っていた間、相当うなされていたらしい。
祭壇のほうに目を向けると、アデラインが座っていた椅子は壊れ、彼女は仰向けに倒れていた。椅子が倒れた際に蠕虫が鉄糸によって切断され、そこから大量の血が流れていた。デメテルはすぐにアデラインの下に駆け寄った。
「瞳は魂の鏡。瞳は魂の鏡。瞳は魂の……」
カスパールの警句を口に出して何度も繰り返す。警句によってデメテルは意識を集中し、薄膜に覆われたアデラインの瞳を覗き込んだ。
その瞳に命の輝きは既に無かった。
デメテルは急に霊廟が冷気に包まれたように感じた。暖かな風はどこからも吹き込んでこない。転生は失敗した。自分は娘を無為に殺したのだ。デメテルはアデラインの屍体から離れ、祭壇に突っ伏した。
その時、トッシェが暗がりから片手斧を持って現れた。
「おっと、下手な動きを見せるな。少しでも動けば元素まで分解するぞ、サイコ女」
トッシェの口調は残忍な錬金術師のものに変わっていた。彼の口調の変化に合わせて、霊廟の扉が開いた。