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異世界転生 五 ~ パチェッリの協約

***


 キンキンキンキンキンキン!


 鋭い金属音によって、デメテルは想い出から現実に引き戻された。周囲を見ると、少し離れた墓石の横に老いた聾唖(ろうあ)の墓守が立っていた。彼はデメテルの気を引こうと、スコップと警棒を何度も打ち合わせながら、デメテルを見つめていた。デメテルが儀式を終えた後、墓守は必ず墓穴を掘って待っていた。


「ありがとう」


 デメテルは墓守に近づき、彼によく見えるように唇を大きく動かして礼を述べた。墓守は唇の動きから言葉を読み取ると一礼し、「ここだ」と示すために墓穴を指差して何度も頷いた。秘密を守ると誓った者よりも、秘密を含めて何も話せない者を信用するという転生評議会の姿勢は、彼らの傲慢さを象徴していた。


 デメテルは墓穴を見下ろし、助手の首を切り裂いた大バサミと冥銭(めいせん)を投げ落とした。墓守は他に埋葬品が無いことを確認すると、墓穴を埋め始めた。デメテルがその様子を眺めていると、墓石の傍らに揺らめく霊体が現れた。死んだ助手だった。


「ヴィオラは二度と戻ってこない」


 助手の亡霊は弱々しく呟いて溜め息をついた。


「貴方は命を賭して成し遂げました。恋人との幸福を捨てて、この世界の幸福を選んだのです」


「慰めの言葉は要りません。せめて彼女のブローチも埋めてください。紅いブローチです」


「ごめんなさい。今は持っていません」


「……もし覚えていてくれるなら、お願いします」


「大天使ガブリエルと聖イシドールスの名において、必ず」


 デメテルの言葉を聞くと、助手の亡霊は音もなく、冷たい土の下へと消えていった。



***



 一ヶ月後、デメテルはパチェッリと共に、かの霊廟へと向かう馬車に乗っていた。デメテルにとって30人目となる転生者候補が決まり、儀式の日が訪れたのだった。


 儀式を成功に導けば、ようやく娘に再開できる。夫を転生させて以来、20年弱も会っていない。手紙の連絡すら転生評議会は許可しなかった。デメテルは娘が教皇庁で働いていると、パチェッリから聞かされていたが、それが真実かどうかも分からない。


 それでもデメテルはいつものように、冷めた態度で儀式に臨む用意ができていた。


「繰り返しになってしまい申し訳ないのですが」


 パチェッリが口を開いた。その声色はいつになく不安気な緊張を帯びていた。彼らしくない。デメテルは思った。


「他の転生官と違って、貴方は転生者候補を選ばない。占星術による予備調査も面接もしない。にも関わらず転生の儀式を成功させてきた。驚くべき偉業です。だからこそ、他の転生官よりも優先して貴方を推薦し、こうして30人目の転生の儀式を迎えることができました」


「そうですか」


「貴方は特定の行動が、それを可能にしていると仰りましたね」


 パチェッリは一旦、言葉を切った。魔法による透視や盗み見が無いことを確認してから、パチェッリは改めて会話を続けた。


「枢機卿は貴方の秘密を……本当の理由を知りたがっています」


「私が嘘を吐いていると?」


「とんでもない。しかし、枢機卿はいくつか異例の条件を付けました。儀式のためではなく、貴方のために。どうか、それを承知していただきたいのです」


 霊廟に併設された礼拝堂の前で、馬車が停止した。礼拝堂には万が一に備えて、予備の薬品や器具が置かれている。デメテルとパチェッリが中に入ると、そこには一人の小男が背中を丸めて待機していた。団子鼻に鼻眼鏡を乗せた小太りの小男は、丈の合っていない祭服の袖をだらしなく垂らしている。


「トッシェ!」


 パチェッリが小男に向かって声をかけた。


「え、あ、うんうん。そうそう、ぼくがそう。うん」


 小男は顔を上げて二人を見ると、子供のように笑みを浮かべた。口元から涎が流れ、黄ばんだ乱杭歯が顔を覗かせた。デメテルはわざと咳払いした。


「この男は?」


 デメテルが(いぶか)しむようにパチェッリに尋ねた。


「今回の助手です。貴族お抱えの錬金術師だったのですが、屍体愛好者(ネクロフィリア)ということがバレて首になり、それからは魔法医の真似事をしていたそうです」


「まさか奴を使えと?」


「枢機卿が任命しました」


 デメテルはトッシェの周囲をぐるりと一周した。髪が薄くなった小男の頭を見回すと、デメテルは歯の浮くような気分になった。外見は30代にも40代にも見える。


内着(アルバ)を脱ぎなさい」


「え、あ、え?」


「脱ぎなさい」


 デメテルに命じられたトッシェは、何かを期待するように赤面しながら祭服を脱いだ。


「一体、何を――」


 パチェッリが訊くよりも早く破裂音が響いた。デメテルは極小規模な爆裂魔法を、トッシェの股間で炸裂させていた。トッシェは激痛に悶え、絶叫しながら礼拝堂の床を転げた。


「ひぃぎ! こ、ころざないで! ごろざないで!」


「彼を使うのは枢機卿の命令ですよ!」


 パチェッリは護身用の魔剣に手を伸ばした。


「まずは助手の実力を知る必要があります。幸い、ここで応急処置が可能です。トッシェ、魔法無しで傷を塞ぎなさい」


「ゆるじで! ゆるじで!」


「早く。次はもう片方を狙います」


 デメテルが指を鳴らすと魔法の灯火が輝き、薬棚を照らし出した。トッシェは呻きながら薬棚へ這い寄り、消毒液や(ガーゼ)、ピンセットを取り出し始めた。数分後、トッシェの手が止まったのを見て、デメテルは様子を伺った。


「見せなさい」


 デメテルが傷を覆う(ガーゼ)を剥がすと、冷気軟泥(アイス・スライム)のゲル材を使って冷却し、縫合された患部が現れた。トッシェは予め必要な量の鎮痛薬を使い、痛みに抑えた上で意識を保っていた。爆裂魔法による熱傷の受傷者の応急処置として正しく、そして手際も良い。真似事ではなく、経験を積んだ魔法医の手並みだった。


「十分です。この祭服を着なさい」


「え、あ、うんうん……」


 トッシェは泣き腫らした顔のまま、デメテルが渡した一回り小さい祭服に袖を通した。青褪めた顔のパチェッリを先頭に、3人は礼拝堂を後にした。霊廟の周囲には亡霊が集い、濃厚な瘴気が漂っていた。パチェッリは魔法障壁を張り、聖句を唱えながら扉を開いた。司祭と給仕係が去った霊廟には、転生者候補だけが残されているはずだった。


 しかし、本来、転生者候補が横たわる大理石の祭壇は、厚い聖布が被せられたままになっている。その代わり、祭壇の前に置かれた椅子に、奇妙な影が見えた。デメテルが目を凝らすと、薄絹だけを纏い、背中から猛禽(もうきん)に似た純白の羽を生やした女が座っていた。


「え、あ、てんしだ。てんし。きれいな、うん」


 女に近付こうとするトッシェを制して、デメテルは女に歩み寄り、声をかけようとした。


「マリア様?」


 女が頭をもたげた。女の顔を見ると、目の周辺だけが蝋を引いたように滑らかな膜に覆われており、視覚が失われているようだった。


「私はデメテル。貴方の名前を」


「アデライン」


 その名を聞いた瞬間、デメテルは振り返ってパチェッリを睨んだ。娘の名だった。パチェッリは青褪めた顔のまま微動だにせず、デメテルの視線から目を逸らした。


合成獣(キマイラ)症候群は一部の家系で発病しやすい疾患だと言われています。このような事態になってしまい、本当に残念です」


「知っていたのですね」


「枢機卿は見抜いていました。貴方は転生者候補を選ばないのではなく、転生者候補と助手の関係――絆、愛を利用していると」


 パチェッリはゆっくりと息を吐いた。


「枢機卿は契約魔法を使わずとも、他人を意のままにできると考えています。ですが、まだ遅くありません。今なら辞退できます。私から枢機卿に話しましょう。別の転生者候補が見つかるまで、彼女を保留できるように」


 まくし立てるように話すと、パチェッリは再び目を伏せた。今回も"あの時"と同じなのか。デメテルは拘束された哀れな天使を見つめた。


「デメテル様、私はこれからどうなるの?」


「遅かれ早かれ……」


「何?」


 アデラインが首を傾げると、淡い藤色の髪が流れるように揺れた。


「すべての生き物は死にます。貴方は死を恐れますか?」


 デメテルはアデラインの頬に触れた。指先から命の暖かみが伝わる。それが人の姿を失いつつあっても。


「それが今なら、私は運命を主の手に委ねます」


「しかし、貴方にも共に生きたいと願う人がいるはずです。信じる者、求める者、愛する者」


「それは……でも、それを願うには、私は相応しくなくなってしまいました」


 ――家族の幸せを願うには、私は相応しくなくなった。


 デメテルの脳裏で夫の声が反復(リフレイン)した。


「分かりました。それでは、私が貴方を導きましょう」


 デメテルは手振りでパチェッリに霊廟から出るように指示した。パチェッリは首を横に振り、無言で霊廟から去っていった。


 デメテルは変成魔法で灯火を生み出した。霊廟の中でアデラインだけが照らし出され、歌劇(オペラ)の舞台役者のように暗がりの中に浮かび上がった。病的なほど白く細い手足が、革ベルトで椅子に固定されている。


「安らかな時を思い出してください。木漏れ日が降り注ぎ、柔らかに身体を包む。平和に満ちた時を」


 デメテルは優しく語り始めた。相手の様子を見るため、最初の内は幻惑魔法や薬を使わない。


「運命には逆らえません。私たちは皆、確実に死につつあります。そして、一つの場所へと向かっていくのです」


 デメテルはアデラインに喋りかけながら鞄から道具を取り出し始めた。抜歯用鉗子、ナイフ、結紮(けっさつ)用ロープ、木槌とノミ、焼きごて、楔、釘、そして奇怪な魔道具が並べられていく。


「刃物の音。それに血の匂い」


 アデラインが呟いた。羽とぶつからないように削られた背もたれに固定された小さな胸が、呼吸に合わせて小刻みに上下する。


「敏感なのですね。でも心配は要りません。貴方はここにいる限り自由で、次に訪れるのは新たな『生』です」


「『生』? さっきは死で、今度は生なの?」


「貴方は死と同時に生を得るのです」


 デメテルはアデラインの手のひらの下に木板を敷いた。そして、小さな木槌を振り降ろし、右手の人差し指を砕いた。皮が破れて骨が姿を見せた。アデラインは息を呑んで歯を食いしばった。


「それまで私を痛めつけるのね」


 ――それまで私を痛めつけるのだな……


「これは魂の奇跡を引き出す現象、その片面に過ぎません。貴方はどんな試練にも耐えうるはずです」


 デメテルはかつてのカスパールの言葉を引用した。

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