6.不穏
杏凪は思う。兄はどうして殺されなければならなかったのか。母と胎児はどうして死ななければならなかったのか。この世に未練を残したからこそ甦った兄は、母と胎児を道連れにした。兄も人を殺したのだと理解しても、その兄を嫌うことが杏凪にはできなかった。
「俺は、兄ちゃんを赦せないよ」
大雅が呟く。暗く沈んだ声音だった。
「俺なんかを助けなくたって、いいのにさ」
大雅は周りから問題児という扱いを受けていた。そして、そのことに大雅本人も気付いている。些細なことで先輩や同輩と喧嘩をしては職員室に呼び出され、それを理由に学校を途中で抜け出すことも珍しくはない。その繰り返しから、あらぬ疑いをかけられることも一度や二度のことではない。「お兄さんはしっかりしているのに、どうして大雅くんはこうなの?」と、大雅の担任教師が大雅本人を前に零しているのを、杏凪も聞いたことがある。
だからこそ、思ってしまうのだろう。自分は必要のない人間だと。自分はいなくても構わない存在なのだと。
「いっそ、殺してくれればよかったのに」
「大雅?」
突然立ち上がった大雅を、杏凪は驚いて見つめた。自らも立ち上がりかけて、その身体が硬直するのを感じた。大雅の表情は、薄暗い部屋の中では詳細には見て取れない。しかし、不穏な空気だけがそこから立ち上っていくのを感じた。
「たい……が?」
恐る恐る呼びかける。しかし、大雅は聞こえていないのか、ゆったりとした足取りで畳を踏む。部屋と廊下を仕切る襖に手をやると、普段とは違いゆっくりとそれを開いていく。そして、そのまま部屋を出て行った。
あとに残されたのは、恐怖と不安の表情を浮かべた一人の少女だけだった。