15.さいごのかいわ
「うっ、ううっ」
肉を突く感触が、手に残った。初めての感触だった。人を殴ったことはあっても、人を刺したことはなかった。気持ちの悪い感触が手に満ちて、脳へと送られていた。
「たい……が……」
「兄ちゃん……?」
顔を上げ、兄の顔を見つめた。先ほどまで虚ろだった瞳に、確かに大雅は映っていた。
「ごめんな……」
「何で、謝るんだよ?」
途切れがちに鏡矢は語った。「これまでずっと、生きて動く死者を殺して回っていた」と。「ただただ、周囲の大切な人々を守りたかった」と。「その最中に、死者に捉えられた」と。「身体の一部を失う決心が、いつまでもつかなかった」と。そうして、自嘲するように笑ってみせた。
「お前の目は簡単に、躊躇いもなく抉ったっていうのにな」
「だってあれは――……」
止めたかった。兄に、自分自身を責めるような言葉を吐いてほしくなかった。兄の行いは赦せないが、あれは大雅を守るためにやったことだ。鏡矢はただ、大雅を救うためにそうした。その行いの全てが、間違っていたとは思ってほしくなかった。
「どういう意図でやったとしても、あれは赦されないことだ。お前をそうさせてしまったのは、僕の責任だからね」
やめてくれと叫びたかった。鏡矢は悪くない。死者を始末できなかった、捉えられたことにさえ気付けなかった、大雅自身にも非はある。わかっているのに、大雅は何も言えなかった。
「大雅、僕はもう死ぬんだろう?」
「そんなこと、言うなよ」
独りになるのには慣れていた。学校ではいつも独りだった。誰も話しかけてこなくても、喧嘩ばかりの日々でも、信頼なんてされてなくても、平気だと思えた。
鏡矢がいなくなってしまえば、本当に独りになってしまう。それは多分、いつもの独りというのより、寂しい感覚に違いなかった。
「言っただろ? 兄ちゃんがいなくなったら寂しいって」
あの日、涙を流しながら訴えた言葉に嘘はない。兄がいなくなれば、家族と呼べるものはいなくなる。両親も祖父母も、とうの昔に他界しているのだから。それを抜きにしても、兄がいなくなるなど考えられなかった。鏡矢に代えられる存在など、どこにもいない。誰もその代わりなどできはしないのだ。
「でも、もう僕は死ぬんだよ。ある意味、自業自得なのかもしれないが」
兄が弱々しい笑みを浮かべる。死ぬことに、何の未練もないような顔をしていた。
「大雅」
鏡矢は、大雅の名を呼んだ。
「一つだけ、いいか?」
「何?」
鏡矢はゆっくりと身体を起こした。そっと、大雅の背に手を回す。大雅の耳元に口を寄せ、鏡矢は祈るようにこう言った。
「消えてくれるなよ、大雅」
妙にはっきりとした、静かな声音で呟いて、鏡矢はそっと目を閉じた。