騎士の後悔
俺は、どうすれば良かったのだろうか。
彼女に対して、常に最善を尽くしてきたつもりだった。
当人にそれが伝わることも、また伝えようとも思っていなかったがそれで良いと思っていた。
俺のような存在に気を回してもらうようなことがあってはならなかった。
彼女は、瑣末な事に心を砕く暇さえ許されない程、大きな役割を担っていた。…いや、違う。課せられた、か。
彼女は世界を救う為、遠い地より呼び出された巫女だった。
訳も分からない状況の中、世界を救えだの戦えだのと強要され、きっと俺たちを恨んでいただろう。
震える体を抱き締め、それでも使命を全うすると気丈に言い放った彼女は美しかった。
その姿に感銘を受けた俺たちは、少なくとも俺は、彼女を好ましく思っていた。例え嫌われていようとも、誠心誠意彼女に仕えることがせめてもの償いであると思っていた。
きっと俺たちは、彼女の不信感を取り除かなければいけなかったのだろう。
そうすれば彼女があの男に全幅の信頼を寄せることもなかった。
だが、気付いたときにはもう何もかもが手遅れだった。
予兆は何時の頃だっただろう。この国で魔物が姿を現し始めたのは、確か騎士として王に召し抱えていただいた頃だったように思う。もう4、5年は前のことになるだろうか。
あれは、平民でも実力如何では騎士の位を授けるというお触れが出た年だった。俺は初の平民出身者として騎士団に仲間入りした。喜びに沸いたのは一瞬、団に入って早々苦い思いをする羽目になった。少し考えれば分かることだ。仕事仲間となるのは貴族の連中、対して俺は何の身分も地位もない元一般市民。成り上がりものとお偉方に煙たがれ、同期たちからは遠巻きにされ、俺は騎士団の中で浮いた存在となっていた。俺はそんな奴等に少しでも認められたくて、武勲を立てるべく躍起になっていた。
そんな折、国境の外れに見たこともない化け物が現れたとの噂が入ってきた。その討伐に向かったときが初めての魔物の遭遇だった。騎士団のお偉方は下っ端を送り込んで様子見しようとしていたらしいが、奇しくもそれが魔狩りの騎士として認められるきっかけとなった。
それから数年は魔物討伐のため各地を巡った。しかし、魔物は魔境と称されるようになった地から無尽蔵に湧き出てくる。騎士だけでなく傭兵や冒険者も魔物討伐に駆り出されたが、事態を収める事はできなかった。むしろ被害は徐々に拡大していき、地図から一つ二つと村が消えていった。城下町にも魔物が現れるようになった、そう風の噂で聞いた頃、極秘の任があると俺は都に連れ戻された。
久々に戻った城下町は重苦しい空気が漂っていた。数年で様変わりした情景に衝撃を受けたまま王宮へ上る。すぐさま俺は狭い一室に通され、王へ謁見を果たした。王は疲れきった様子を隠そうともされなかった。事態は俺が思う以上に逼迫していたらしい。嘆息交じりに語る王は禁術を行うことになった旨と、禁術召還で呼び出された巫女を護衛する任を俺に言い渡した。
禁術で呼び出す異界人。
彼らは世界を渡る折に強大な力を備え、こちらへ来るのだと言う。
男の場合は破壊の力を、女の場合は癒しの力を。
魔を滅ぼす破壊の力を求められるのかと思えば、この場合はそうではないらしい。汚染された魔境、そこからじわりじわりと世界が侵されていく。それを綺麗に取り除くには癒しの力が必要なのだとか。詳しい話は国家機密と伏せられたが、俺には俺が出来ることをやればいいだけの話だ。
そうして彼女は此の地に舞い降りた。
異世界の巫女として。
彼女と同行するのは俺を含めて3人。
諸国の代表として魔狩りに才を見出されたもの、らしい。誇らしいとは思うが、疑惑が半分。何故他の貴族連中ではないのか?と。小耳に挟んだのは、下手に身分の高い者が巫女と懇意にならないように配慮しているとのこと。あまり鵜呑みにはできない話だが、一先ずそれで納得することにした。
世界を救った巫女一行の一人、そうなれば俺の出自をとやかく言う奴もいなくなるだろう。旅に出る前はそんな下心もあったのだ。尤も、彼女と共に過ごしていればその考えも1、2ヶ月程で頭の片隅からも消え去ったのだが。
巫女は気高く美しく、そして慈悲深い人だった。
荒びかけた村々を救い、その上で世界を救おうとした。だが、それは時に彼女の身まで危険に晒した。最初は語る言葉に従うだけだったが、このままで従うだけでよいのだろうかと思うようになった。
そんなある日、俺は彼女が一人淋しげに佇むのを見た。
「贅沢なのかなぁ…なんだか、人形と一緒にいる気分。折角、…なのに…旅の仲間ってこんな関係が普通?…なわけないよね」
漏れ聞こえる声は聞き取れない言葉もあったが、大凡の意味を理解するには事足りた。
俺は酷く衝撃を受けた。彼女は我々を旅の仲間と認め、憎むだろう俺たちに歩み寄ろうとしてくれていたのだ。そうとは知らず、これ以上刺激すまいと壁を作っていたのは俺の方だったのか。
その日の夜に事の次第を話し、旅の仲間である弓使いと魔道師の二人にも協力を仰いだ。彼らもまた、彼女を巫女として敬うが為、或いは接し方に迷い、少し距離を開けていたのだと言う。すぐに賛同を得られた。
「巫女様がそうお望みなら、私に否やはないですよ。それに、あの方はまだまだこの世界に慣れていないご様子ですから…旅の仲間として教え導くのも、きっと私たちの役目の一つなのでしょう」
「どちらでも構わないが…旅仲間として振舞う方が向こうにとっても我々にとっても気が楽で良いだろう。特に異論はない」
そうして少しずつ少しずつ、俺たちは彼女に対する振る舞いを変えた。時には諌める言葉を口にもしたし、口調も緩めた。
最初は驚きながらも受け入れていたようだったから、俺はそれが良い方向に転じると信じて疑わなかった。
だが、先を急ぐのを優先すべきと進言した日を境に、彼女の態度は徐々に硬化し始めた。
手段を変え、口調を変えと考えうる限りの手法でこちらの意思を口にしたが、頑なになった彼女は終ぞ態度を変えることはなかった。
あの男が旅の仲間へと加わることになったのも、結果的には俺が招いた事態なのだろうと思う。
あの日あの雨の日に、村の近くに住み着いた魔物を討つと言って譲らなかった彼女の言葉をもっと誠実に聞いてやればよかった。疲労を理由に粗雑な態度を取るべきではなかった。あの男が供として加わることを何が何でも防ぐべきだった。彼女があの男に傾倒するのを見て見ぬ振りをしてはいけなかった。男の素性をもっと事細かに調べるべきだった。俺たちの考え、思い、彼女への気持ちを真心をもって伝えるべきだった。生じた亀裂が小さい時に、違和感が大きくなる前に、どうにかするべきだった。
そうすれば、もっと違った未来があったのかもしれない。
魔界の王であると名乗ったあのクソ野郎に、この世界の希望を奪われることもなかったかもしれない。
だが、もう何もかも遅い。どうしようもないところにまで来てしまった。
最後に見た彼女は酷く青褪めて震えていた。
早く、慰めてやらなくては。貴方は一人ではないと。
俺の言葉はきっと彼女の頭にも残らず、ただ通り過ぎるだけだろうけれど。
あぁ、なんでこんなにも体が重たい。
こんな地面で這い蹲っている場合じゃないのに。
冷えていく指先に、何かの破片が刺さる。
「お守りのお礼です」
彼女の声を遠くに聞いた気がした。
異世界の巫女。
敬い従っていた俺は、きっと…彼女を。
後悔だらけの最期だった。