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第一章 白の少女 その03

 光花市民病院入院棟十階の一番奥の部屋。十畳間ほどの個室が、酒々井一色の幼馴染みである漣七海の病室だった。

 一人部屋。

 部屋の真ん中に鎮座するのは大きめのベッド。

 枕元の棚の上にアンティーク調のラジオと電気ポット、そして簡単なお茶道具に数冊の本があるだけの、殺風景な部屋だった。

 壁紙もカーテンも病室らしく白。

 五年もここに暮らしているわりには、本当に何も無い。

 いくら病院で、色々と持ち込みに制限があるとは言え、あまりにも何もなさ過ぎて、来る人を落ち着かせない雰囲気のある部屋だった。

 ただ、消毒液の匂いに混じって部屋全体に仄かに香る七海の匂い――それだけが唯一の強い、生きている人間の存在を主張しているように一色には思われた。


「女の子の匂いを意識するってのは、ちょっとフェチで、変態っぽいけどね」


 自嘲の笑みを零して、一色はその日も七海の病室の扉を叩いた。


「はーい、どうぞー」


 病人とは思えない軽やかな返事が返ってきた。

 鍵なんて掛かっているはずもない病室を、一色は躊躇せずに開く。

 いつものように仄かに香る七海の甘い匂いを感じた後、室内に目をやった瞬間に硬直した。

 白いはずの病室が、赤、青、黄色と、いくつもの原色が散りばめられた存在に変化していたのだった。

 白のキャンパスの中にいくつもの色が点在している。

 色の点自体はそれぞれひとつひとつが別の存在をモチーフにして形作られていた。

 鶴が多かったけれども、それ以外にも船やら手裏剣やら兜やらと、他にも何やらよくわからない造型のものがたくさんあって、雑然としていた。

 いつも白く、清潔感に満ちあふれている病室とは思えないほど雑然とした、はっきり言ってしまえば散らかった様子に、何やら目眩のようなものを覚えてしまう。


「……何やってんの?」


 七海はベッドに半身を起こして座っていた。

 一色の姿を認めると、満面に無邪気な笑みを浮かべて宣言するように右手を掲げた。


「折り紙!」


 手に掲げ持ったのは、七海の顔ほどもある立体的な星。オレンジ色の紙で作られたそれは、よれよれで歪んでいて、星なんだろうけれども何だかヒトデを想像させた。

 そういえば何週間か前に、縁狩が「暇つぶしに」と持ってきていたなと思い出した。

 実際暇なのだろうし、七海はあっという間にはまってしまったようだった。

 何気なく一色が拾った一つの折り紙は、首の折れていない『鶴』で、同じものがいくつもベッドの上に散らばっているのに気付いた時、思わず微妙な表情をしてしまった。そんな一色の表情に気付いたのだろう。七海は笑うと「自分で千羽鶴作ってやるの!」と両の拳を胸の前で、ふんむと握って見せた。一色はますます微妙な表情になる。

 高校生にもなって、縁狩は年齢以上に子供っぽい。

 すっと入院ばかりで一色以外の同年代の男子と会うことが無いことが原因なのか、元来の性格がそうだからなのかはわからない。けれどもこんな時一色はどうしても年下の子供を見ているような気分になって、微笑ましく笑うしかないのだった。


「ねーね? いっくん(ヽヽヽヽ)は何か作れる? 折り紙得意なんでしょ?」


 七海は星をベッドの上に放り投げて、枕元に重ねてあった正方形の折紙用紙を差し出してくる。

 思わぬ言葉に一色は目を瞬かせる。

 得意というほどのことでもない。わりとよく作ったりはしているけれども。けれども七海には言ったことが無いような気がする。どうして知ってるんだか。

 首を傾げながら七海の差し出した用紙を受け取るのだが、七海はきょとんと、まるで一色の真似をするように首を傾げて言った。


「縁狩が言ってたよ?」


 その言葉にますます一色は答えがわからなくなる。

 一色からすれば、縁狩の存在は七海を介して繋がっているだけで、個人的な交流はまるで無いと言っても過言ではないのだ。なのに、なぜ一色の情報が縁狩経由で七海に伝わるというのだろうか。一色が折り紙を密かな趣味にしていることは、学校の友人にもほとんど知る者はいない。皆無とは言わない。何人かのクラスメイトには話したこともあるし、文化祭の飾り付けとかでその腕を披露したこともある。だから知らない者がいないなんてことはない。けれども、テレビとかで紹介されるようなやたらと凝った、立体的な龍の折紙ができるとか言うわけでもなく、評判が広まるようなことでもないのだ。ましてや学校の違う縁狩がそれを知るという意味が、よくわからない。意図的に一色の情報を集めようとしなければ出てこない情報なんじゃないかと思うのは、少し自意識過剰だろうか。


「縁狩がねぇ?」

「うん! 縁狩は本当にいっくんのこと、よく教えてくれるよ!」


 嬉しそうな表情を見ていると、ひょっとして縁狩は、七海のために一色の情報を、評判を掻き集めたのかもしれない、と思う。

 七海が一色のことを知りたがるから。七海との共通の話題を持つために、だから病院の外での一色のことを縁狩は集めて、そして七海に提供したのだ。その情報の一つが折紙だったのだろう。

 そう考えると、ありえないことじゃないと思えてきて、何となく少し安心した気分になる。

 縁狩のことはよく知らなくて、何を考えているのかさっぱりわからないけれども、女の子同士が仲良くしていることは、何だかほっこり来るというか、非常に安心するのだった。


「縁狩はまだなのかな? 折紙の本、持ってきてくれる約束なの!」

「ああ……それだけど、なんか用事があって、今日は来れないらしい、よ?」

「えっ……? え、ええっ!?」


 落胆させるのがわかっている言葉は、相手が無邪気に笑っているからこそ、口にするのに抵抗がある。

 けれども言わないわけにはいかず、困ったように縁狩からの伝言を伝えた。


「ああ、そうなの……」


 見る間に曇っていく七海の表情に、罪悪感が湧いてくる。

 ちくしょう、こんな伝言をよこしやがって、縁狩のやつめ、と少し八つ当たり気味に思ったりする。

 けれども罪悪感に浸っている時間はそれほど長くなかった。


「って、いっくん何それすごい!」


 曇り空だった七海の表情が、突然驚愕に見開かれる。その視線は真っ直ぐに一色の手へと向けられていた。

 おや、と自分の手元を見下ろすと、折鶴四つ。左の翼の先で、四つの鶴が繋がった、連鶴という折り方の一つだ。

 どうやら無意識で折っていたようだ。

 そっと七海の手に連鶴を渡すと、彼女は壊れ物に触るような慎重な手つきで受け取ると、感心したような声を上げながらひっくり返したり、方々の角度から眺めていた。


「ねーね? ほかにはどんなのができるの? 作って見せて!」


 そう言って笑顔で折り紙を差し出してくる七海は、やっぱり無邪気で、子供っぽく、同い年には感じられない。

 人と出会う機会の少ない彼女の精神は、成長が遅い。多分彼女はずっと子供のままなのだろう。


「うん、いいけど、今日借りてきた本を先に渡すよ」


 サックから三冊の本を取り出す。

 そのうち二冊は、前々回借りた翻訳ファンタジー小説の続き。残りの一冊は、少し前にベストセラーを出して評判になった作家の、旧作。


「わあっ、ありがとう!」


 七海は折り紙を放り出してファンタジー小説の続きを手に取る。よっぽど続きが気になっていたのか、すぐにページを捲って読み始める。

 一色は苦笑して、ベッドのそばの棚に置かれた、前回持ってきた二冊の本を手に取る。一冊は推理小説で、もう一冊は物理学の難問の解決を、ドラマ仕立てで解説した、ノンフィクション本。

 図書館は一人が一度に五冊までしか借りられないから、一色が七海に持ってこれるのはいつも二冊か三冊ずつなのだ。

 暇で時間が有り余っている七海は、それくらいの本はすぐに読み終えてしまう。もう少したくさん借りて来れたらいいのにと思いながら、一色も椅子に腰かけて、推理小説を読み始める。次は何を借りてこようか。少なくとも、ファンタジー小説の完結編は、絶対に借りてこなくちゃいけないな。ぼんやりと考えながら、視界の隅で興奮した様子で本を読む七海の姿をこっそりと捉える。とりあえず、早くこの二冊を読んで、七海と感想を言い合うのだ。ファンタジー小説の話もしなくては。そして一色がまだ、七海が今手に取っている続編を読んでいないことを、七海が興奮のあまりしゃべりそうになって、慌てて止めたりするのだ。そんな未来予知をしたりして、一色はにんまりと笑みを浮かべる。


 と、そこにノックの音が飛び込んできた。

 こんこんと、軽く二回。

 七海が応えるかと思ったのだが、どうやら本に夢中の七海の耳には聞こえてないようだった。

 誰だろう。縁狩は今日は来ないと言っていたし、他にこの病室を訪れるような見舞客の心当たりも、まったくない。ならばまず間違いなく、ノックしたのは病院関係者だろう。


「はい、どうぞー」


 もう一度ノックされたことを機に、七海に変わって一色が返事をする。

 カチャリとノブが回され入ってきたのは白衣の男性と淡いピンクの看護服を着た女性だった。

 少し背の低い、身長百六十センチくらいの眼鏡の男は、七海の主治医である式宮(しきみや)湊人(みなと)。神経質そうな表情で回りを病室を見まわしたかと思うと、無言で入ってくる。神経質そうであまり動かない表情は、不機嫌そうに見える。けれども七海が入院して五年。それなりに付き合いの長い一色にも、ただ彼は人付き合いが苦手なだけであり、それ以外の面では意外と気を遣う性格であることも理解していた。

 式宮医師の後にすぐついて入ってきた看護師も、彼女が三年前に式宮医師付きの看護師になって以来の、それなりに長い付き合いだ。式宮医師よりもやや背が高くて一七〇近い。女性としては比較的長身な彼女の名前は、高嶋(たかしま)椎子(しいこ)。式宮医師とは対照的に人好きのする笑顔を常に浮かべていて、楽しそうにしている。その笑みは張り付いたものではなく、きちんと感情の乗った、生きた笑みのように感じられ、彼女の周囲は常に楽しげな雰囲気が漂っている。


「あら、一色くん、来てたのね?」

「ええ、式宮先生、高嶋さん、こんにちは」


 軽く頭を下げる一色に、式宮医師は丁寧に頭を下げて、高嶋看護師は首を振った。何だと思っていたら、高嶋看護師は右手の人差し指を一本立てると、左右に振った。


「ちっちっち、ダメよ、一色くん。こっちが名前で呼んでるんだから君も『椎子さん』と呼ばなくちゃ! もしくは『お姉ちゃん』でも許可っ!」

「はあ……」


 一色は気のない返事をする。なんというか、フィクションの世界では主要登場人物に上げられそうな性格を、と言うよりもテンションをしている高嶋椎子だけれども、リアルで相手をするのは何だか疲れる、と言うかただの面倒な人だ。


「わかりました椎子お姉ちゃん。こんにちは」


 それでも素直に返すと、椎子は少しきょとんとしたら、不意に表情を消して、ベッドの上に座り本を畳んで経緯を眺めている七海に視線を向けると、憮然とした調子でのたまった。


「ねえ、七海ちゃん。あなたの彼氏、素直すぎて面白みがないわよ?」

「は、はあ……」


 さすがにこれには七海も困惑するしかないようで、曖昧な声を返すだけだった。


「一色くんはもっとリアクションを大事にしないと、ラノベ主人公として大成しないと思うの!」

「いや、訳の分からないことでダメ出しされても……」

「ああっ、この反応っ! クール! クーリッシュ! 冷たすぎてお姉ちゃん、ぞくぞくしちゃうっ!」


 意味が分からない。

 いつも通りの高嶋椎子とも言えるけれども、いつも通り意味が分からない。

 それはこの場の椎子以外の誰もが共通する認識だったらしく、ずっと黙って椎子の独り芝居を見ていた式宮医師も、深くため息をついて椎子の後頭部を軽く小突いた。


「ぃたっ!」


 本当に軽く小突いただけで、衝撃はないであろうに椎子は大げさに後頭部を抑えてうずくまった。

 それを式宮医師は呆れたように見やって、言った。


「ほら、いつまで経っても話が進まん。さっさと診察の準備をしろ」

「……はぁい」


 椎子は笑顔で、どこか適当な感じのする返事を返した。


「さあて、七海ちゃん、診察するわよー。あっ、上着を脱いでもらうから、一色くんは出ていこうねー。それとも七海ちゃんのは・だ・か、見たい?」

「見たいけど、七海が恥ずかしがるので出ていきます」


 椎子への対処法は、軽口に過剰反応せず、冷静に対応することだ。

 もう、毎度の状況にすっかりと順応してしまった一色は、流してあっさりと出ていこうとする。


「えっ、いっくん、見たいのっ?」


 けれども七海が反応してしまった。振り返るとびっくりしたように目を見開いていた七海の顔が、一色の視線を認めた瞬間から見る見る赤く染まっていく。

 しまった、と思った。ちらりと椎子を見ると、にんまりと非常に嬉しそうな笑顔になっていた。何だか非常に負けたような感じがする。


「七海、今日は帰るよ。またな」


 ここから挽回する手段は思いつかない。だからなかったことにして、退散するしかないと思った。

 返却する本をサックに放り込んで病室を出ていこうとする。

 ドアに向かう途中で、呆れたような、あるいは諦めたような表情をした式宮医師の隣を通り過ぎる。その背後に控えた椎子の笑みが、いやにいやらしく感じられた。


「一色くんのえっちー」

「子供ですか、あんたはっ!」


 やばい。思わず突っ込んでしまった。

 椎子の笑みはますますにやにやとしてくる。

 そしてそのまま、一色の肩に腕を回してきたかと思えば、こっそりと耳打ちしてきた。


「……待合室で待ってなさい。話したいことがあるわ」


 思いの外真面目な声でささやかれて、ぎょっとして一色は椎子を見る。だが椎子はにやにやとした表情のままで一色を見るだけだった。


「なあに? 七海ちゃんの代わりに私の裸でも見る? 思春期ねぇ」

「あ、あほかっ!」


 一色はそう叫んで椎子の腕を跳ね除けるしかなかった。

 そのまま部屋を出ようとして、振り向く。

 七海は入院着の胸元を両手で隠すように抑えたまま、一色を見ていた。

 表情から羞恥は薄れ、代わりに少し機嫌が悪そうに、睨むような視線を一色に向けている。


「…………七海、またな」

「う……、いっくん、ま、またね」


 そして視線から逃れるように、扉の外に出る。


 心臓がドキドキと高鳴っていた。

 椎子に抱き付かれたからじゃない。七海の裸を想像したわけじゃない。殊更ふざけている風を装って、椎子が七海に気付かれないように一色に掛けた言葉。

 その理由。

 話したいことなんて、七海のこと以外には考えられない。

 それが何か――。

 嫌な予感がした。

 心が凍り付くような、嫌な予感が。

 ドキドキと、心臓が恐怖に震えるように鳴っていた。


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