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Prologue Ⅱ

 何か得体の知れないものに包まれた夢を見て目が覚めると、体の奥にある芯のようなものが酷く震えていた。

 震えは心臓を断続的に締め付け、不安な気持ちを左胸から全身へと広げていく。それ(ヽヽ)を抑えようと咄嗟に強く咳き込むが、そんなことでは何も変わらない。

 震えは肺ではなく、心臓を攻撃している。いくら呼吸を整えようとも――あるいはわざと乱そうとも治まることはなく、無関係に滾々(こんこん)と広がり続けている。

 体に関わるすべての現象は、物質を介して最終的に心に辿り着く。そこで感情に変換されて再び旅立つこととなる。

 つまり震えはまず始めに心を締め付け、そうして締め付けられた心は不安を生み出す。

 やがて血流に運ばれた不安は、重力に逆らい、ゆっくりと上へと昇っていく。

 不安が上がってくる。

 上がってきた不安はやがて脳に至り、その瞬間になり初めて、自分自身が不安を感じていることに気づくことになるのだろう。

 一瞬先の未来予知。

 あるいは経験則により導き出される結果の先取り。

 もうまもなく不安を感じることになる未来を恐れて、漣七海は目を大きく見開いた。

 悲鳴を上げそうになるが、飲み込む。

 そんな暇があれば、早く逃げなくては。

 せり上がってくる不安から逃れるように身動ぎして――七海はシーツを巻き込むようにベッドから転落した。


「うぴゃふぅっ」


 うつぶせに落下して鼻の頭を強かに打ち付け、妙な悲鳴を上げてしまう。

 肺から一気に空気がこぼれ落ちると同時に、不安もまた、体の外へと排出されていく。夢から覚めたように、脳も活動を活発化させ、精神的な防壁を構築し、血流と共に昇ってこようとする不安を、遮断する。


「あう、いっつぅ……」


 痛、と鼻の頭を撫で擦りながら七海は体をゆっくりと起こす。

 完全に起き上がると同時に大きく息を吐き出した。


「……あぁ」


 安堵のため息。

 不安が脳に達するよりも早く、脳が起動した。

 体の震えは治まらず、未だに不安の中に浸っている。だが、体の不安を脳が理解するよりも先に活動を開始した精神は、不安を体の奥に封じ込めてくれている。

 心を、感情を思考は封じ込める。

 すなわち脳は体の不安を理解しない。


 ――それは誤魔化しなのかも知れない、と七海は思うこともある。

 誤魔化しでも良いのだと、肯定してくれたのは七海のよく知る男の子の言葉。


 シーツを巻き付けたまま、ベッドの上へと這い戻る。

 ふと時計に目を向けると、まだ零時にもなっていなかった。

 白いカーテンの向こうは、街の常夜灯が広がる光の海。街中の夜は、深夜も近づこうというのに、まだ仄かに明るい。零時を回ればさらに照明は落とされ、夜は深くなるだろう。けれどもこの街から完全に灯りが消えることはない。


「……どこだろう」


 半眼で、見るとはなしに街を眺める。街はいつもの夜と、何ら代わりがないように見えた。

 けれども、この不安は、不安を伝える振動は、一体どこからくるのだろう?

 不安は七海の中から生まれたものではない。街のどこからか、不安を伝える波のような振動がやってきて、七海の心臓を締め付けるのだ。


 そのことを奇妙な確信を持って、七海は感じていた。

 考えても、どこからともなくやってくる不安からは、方向性を示すようなベクトルは感じられない。

 振動は全方位から七海の心臓へと直接に襲いかかってきている、ように感じる。


 こんな時は、こんな不安を感じる夜は、この街のどこかで何か大変なことが起きている。今までの経験から、七海はそう思っていた。それが何なのか、どんな性質を持ち、振動とどう関係があるのか、わからない。けれどもきっと、どこかで何か、おかしなことが起きている。奇妙な確信が、波の届かない心の奥底に、すとんと落ちている。


 白い部屋の中、白いシーツを下げて七海は体を起こす。

 妙にだるく、熱っぽい体。深く吐息をこぼして、強く瞬きを繰り返す。

 何か情報がないかと、枕元のラジオを探る。

 ひとり部屋はこういう時にはありがたいと思う。夜、部屋の照明が落ちた後であろうとも、同室者に気兼ねなく音を流すことができるからだ。

 ラジオからは雑音しか聞こえてこない。サイドのつまみを握ってチューニングを調整。しばらく続けていると、雑音に混ざりゆっくりと音楽が流れ始めた。

 小さなドラムの音から順番に。抑えたベースの音が、哀愁を伴い響いてくる。

 七海はラジオを枕元の棚に置き直し、待った。

 やがてギターと共に始まったメロディーと共にラジオが、しゃべった。


『Hallo Everyone! 親愛なるえくたーの友人諸君! 今夜もお待ちかねのDJ TIMEだぜっ!』


 聞き慣れた、軽すぎる声。どこか言葉を無理矢理崩したような、聞き取り難くなる一歩手前で踏み留まったような、絶妙のバランスを持った、耳に心地よく響く声。

 独特の調子を持った男性の慣れ親しんだ声に七海は、安堵したように息を漏らす。


『今夜もまたみんな大好きDJ.portと――』

『助手のしーちゃんがお送りする〝Ectonic Nights〟はっじまっるよー!』


 音楽の高鳴りと共にテンポ良く繰り出される会話を聞きながら、七海は次第に体の振動が落ち着いていくのを感じていた。

 寄せては返す波のように、少しずつ引きながら凪へと戻っていく。


『〝Nights〟と言いつつも完全に不定期放送な為、昼間放送されることも多いこの番組』

『今回は久しぶりの夜放送だねー!』

『予告も何もなく突然始まるこの放送が、なーぜ今放送さっれてっるかっ!』

『勘の良いリスナーの皆には、言うまでもないことだから、こんのままいつもの予報的な何かを、はっじめっるよー!』


 BGMが大きく鳴り響き、やがて荘厳なる予感を漂わせたまま消える。十分な余韻の後『助手のしーちゃん』のどこか幼女めいた幼げな声が、先ほどまでの戯けるような調子を消して、しっとりと流れ始めた。


『ここ数日ほど〝ケ〟の陽気が続いていて、えくとにっくないつもずいぶんとお休みをいただいてました。しかし先ほど、元港町を中心に半径七・五キロの範囲で大きく〝波〟を観測しました。範囲は旧光花市街地全域を包んでいます。波の影響により〝ケガレ〟が発生し、今後数日間は〝ハレ〟の陽気が続くと思われます。突発的な〝陰気〟との遭遇にご注意をっ!』


 喋っている内に興が乗ってきたのか、しーちゃんの言葉の終わりは叫ぶようになっていた。言葉を叩きつけるように吐く声が伝えるテンションは、電波の向こうでしーちゃんが興奮を抑えきれないように飛び跳ねている想像を、自然と導き出してくれた。

 言葉と共に音楽は大きくなり、七海の知らないボーカルが、軽快なメロディに乗って流れる。

 大騒ぎ、馬鹿騒ぎ。祭りのようにはちゃめちゃな日常。

 知らない曲が伝えるのは、いつも全力全開の日常風景。

 やがてボーカルが途切れ、間奏に入った瞬間、音楽のボリュームはやや下げられ、再びしーちゃんの喋りが始まる。


『つっづけって、エクトニックなニュース、行っくよぉ!』


 いつも意味がわからない、と思いつつ七海は耳を澄ます。

 日本語を喋っているのだけれども、発音は崩れていて、聞き取り難い。意味のつかめない単語も非常に多く、理解の混乱に拍車を掛ける。

 それでも聴くのは、この番組が特別だと、七海は知っているからだ。

 意味がわからなくても、番組パーソナリティの二人は、この街の『今』を語っているのだと、直感よりも確実な――しかし決して直接的ではない、状況証拠により確信していた。


『連日光花市を騒がせている怪盗団〝クリムゾン・ピッグス〟も、ここ最近はおとなしいねー。無能な警察共は右往左往しているらしいけど、先週、リスナーの一人が、逃走中の怪盗団の一人とメル友になったって情報もらったよー! 一体彼らは何を盗んでるんだろうねー? しーちゃんの代わりにちょっと訊いてみてくれないかなー?』


 それは光花市の噂。都市伝説めいた形で報道される愉快犯たちの話。

 単独犯ではなく、組織立って行動しているようだから、怪盗団。予告状を出して登場する、時代錯誤な人々。

 何度もこの番組で動向を語られて、七海もその情報だけはたくさん知っている。

 予告状には暗号めいた謎の散文詩が書かれているらしい。

 何かを盗むと書かれているらしいのだが、その『何か』からして暗号めいていて、事前にそれが『何か』はわからない。

 そして予告された日の夜、彼らは予告された場所へ侵入し、カードを残す。


『――確かに、頂戴いたしました』


 カードには特徴的なマークが描かれていて(一般非公開)、ゆえに彼らの確かな侵入の証拠として、採択される。

 だが彼らの予告が成就されたとしても、彼らが一体『何』を盗んだのか、誰も理解していないのだという。

 ゆえに愉快犯。

 悪戯好きの若者による怪盗ごっこ。

 明確な犯罪と言えば住居侵入罪くらいで、だから警察も、大々的には動いていない模様。

 けれども話題が大きくなりすぎていて、社会的影響もそろそろ無視できなくなってきているのだとか。

 最近あまり動きを聞かないのは、そんな理由で彼らも活動を控えてるんじゃないかなと、何となく思う。


『そういえばしーちゃん、聞いてるかい?』

『なになにー?』

『光花市の夜、闇に紛れて霧のように曖昧な影が蠢いてるって噂を』

『あー、半年くらい前からだよねー?』

『どうにもその(シャドウ)を狩ってるのが、噂の魔法少女らしい』

『しゃどう? 飼ってる? 魔法少女が飼い主さんなの?』

『違う違う。狩り取ってる。ハント。ハンティング。魔法少女マゼル。かわいい女の子って話だけど、身の丈ほどもあるラージな(スケイル)を持ってるってことだから、死神って噂もあるんだ。昨日、神屋町交差点で(シャドウ)と戦ってるところを目撃されたらしいぜ』

『あー、男って、魔法少女好きよねー。マゼルちゃん、パンチラ画像とか、よくネットにアップされてるもんねー。空飛ぶんだから、せめてミニスカは止めないとー。スパッツを履けーっ!』

『何言ってるんだ! ミニスカじゃないと魔法少女になれないじゃないか!』

『きっと、見せパン文化最前線の空を飛んでるんだね!』


 よくわからない話だと七海は思う。

 魔法少女って、現実に真面目に取り扱おうとすれば、これほど恥ずかしい言葉もないように感じる。

 ギャグでも漫才でもなく、ただノリだけで喋っているような会話が続いている。聞いていて七海は、いつもついて行けないと思う。なんでこの人たちはこんなに陽気なのだろう。意味のよくわからない、妄想的な会話を繰り返していて。

 DJ.Portとしーちゃん。

 何を目的として話しているのか、何を伝えようとしているのか。

 繰り返し出てくる言葉もあり、魔法少女云々の件なんかは、いつかも聞いた話題の続きのようにも思える。

 けれどもその内容はいつも到底信じられないような内容で――、


『さっきも光花統合科学研究所の戦闘用アンドロイドがまた街中で戦ったってねー。四越ビルが半壊したそうだよ』

『おいおい。デュアルロイドって言わないと、怒られるぜ』

『誰にー?』

『研究所のお偉いさんに。一応、番組のスポンサーなんだからさー』

『おおーっ。すっぽんさー! うししし、兄さん、今夜はがんばるつもりだね?』

『うお……わかりにくいが……スポンサーとすっぽん鍋を掛けてるつもりなのか?』

『ぴんぽーん!』


 ――――(ナイ)容なんて、無い(ナイ)か。


 頭の中で思い。

 七海は小さく首を傾げて。


 エクターナイ(ヽヽ)ツにナイ(ヽヽ)容なんて、ナイ(ヽヽ)か。


 しばし固まって。

 困惑したかのように眉を寄せて。

 微かにうなずいて。


「…………シャレじゃないよ?」


 誰とはなしに、弁解した。

 小さな声は闇に溶けるように消えていく。


『つか、四越ビルを破壊したのは空中要塞(いつくしま)が激突したからじゃなかったか?』

『それは先週の話だよー。おっくれってるー!』

『そうだったか? てか、先週の今日で直ってまた破壊されたのか?』

『えくたーのブラウニング部隊が一晩で直してくれるんだよー。踏んだり蹴ったりってこういうことだねー。ブラウニング部隊は今日も徹夜だーっ!』

『仮想化集団もいくつかの勢力にわかれて侵蝕してるようだしな。えくたーのみんなも、気をつけなよ』

『気をつけようねー! おねーさんとの約束だよー!』


 何を気をつけるのか、気をつけないとどうなのか、まるでわからない。

 だらだらとまとまりの無い会話の後、軽快な音楽が再び流れ始める。

 ラジオはよくわからないことを語っていた。

 意味の通らないことを語っていた。

 現実ではあり得ないことを語っていた。


 そう、このラジオで毎回語られる様々な事件は、現実のものではない。

 七海は、これらのニュースを、昼間のニュースやワイドショーなんかで見聞きしたことはなかった。

 いや、一度だけ怪盗団の話を地方のワイドショーでやっていたのを見たけれども、それはあくまでも噂というか、人面犬や口裂け女のような都市伝説の一種としての扱いでしかなかった。


 ラジオを聞いた後、翌日や翌々日の新聞を隈無く探す。地方ニュースに強いと評判の新聞も、隅々まで一語一語見落としがないようにしっかりと探す。

 けれどもラジオの中ではとても大事のように語られ、誰もが周知のことのように語られ、事実現実に起きたならば確実に大事件になるようなことでも、七海は一度もそれらを見つけることができなかった。


 だから、ラジオで語られる情報はすべてデタラメだ。


 本当は光花市の夜を騒がす怪盗団などいなくて、謎の〝シャドウ〟を狩る魔法少女もいなくて、統合科学研究所のデュアルロイドなんてものもいなけりゃ、四越ビルも破壊されていない。存在しない。あり得ない。


 けれども、だったらこのラジオは何なのだろう?

 見つけたのは偶然だった。

 ある時適当にチューニングをしていると、偶然に繋がった。

 何を目的としたラジオなのだろう?

 誰が、どうやって流しているのだろう?

 いつも周波数が違い、放送も不定期。

 けれどもある時気づいた、その放送に於けるたった一つの法則。その法則の存在が――DJ.Port、そしてしーちゃんの語る出来事を、単なる創作、デタラメなフィクションであると――断言することを、してしまうことを、瀬戸際で止めている。

 その放送はいつも、あることが起きた直後に流される。


 それは七海が、心に直接訴えかけてくるような不安定な振動を感じ取った直後のこと。

 心臓が不安を感じ取り、ひどく心細い気分に締め付けられるようになる、その後のこと。

 非常に微細な、夢の中で漠然と感じる程度の感覚があった、その後のこと。


 必ず放送される――というわけではない。

 時々放送がないこともある。

 けれどもそんな時は次の放送で必ず休載を謝る。


 だからきっと、どこかで何かが起きているのだ。

 何かがこの光花市のどこかで起こり、それに対応する形で、このラジオは流されているのだ。


 何が起きているのだろう。

 なぜこのラジオは、現実に起きていない事件を、まるで過去から現在にかけて連続して展開される既知のニュースのように語るのだろう。

 七海にはわからないが、理解してこのラジオを聞いている者が、街のどこかにいるのだろうか。

 どこかの誰かの役に、立っているのだろうか。

 わからない、けれども。

 たった一つ確信できるのは。

 振動が導いてくる物。

 それは漠然とした――暗闇の中を灯りなしで歩くのにも似た――不安。

 きっとその源には、何かとてつもない未知の危険があるのだ。

 何もわからない。

 知らないけれども。

 どうしてかその事だけは、確かな事実だと思うのだった。



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