幼すぎる天災
――流神希代。
彼女の付き人のようなことをやり始めてから、二週間ほどたった。
僕は少々精神的に参っていた。
「おーーい! リョースケ。リョースケリョースケぇ! 聴いてるのかーー!? リョースケリョースケリョースケ!」
ずっとこんな調子である。ちなみに僕は最初の「リョースケ」のところで「何?」と返したのだけど、聴こえていなかったようだ。
「どうした? 希代」
僕は声を張って希代に言う。
「何でもにゃーい」
そう言って希代は笑った。あどけない、無垢で無防備な笑顔だった。
「なら話しかけるなよ」
僕は笑わずに言った。――怒ってはいない。
「いやいや、実は何でもあるんだよねー」
「何があるんだ?」
「お仕事がもうすぐ終わりそうだにゃー」
それだけ言って、希代はまた物々しいコンピューター群の中に消えていった。すぐに鼻歌が聴こえてくる。
彼女は黙ることが困難な人間らしい。
希代は今、十六歳という若さで情報屋として活動している。
希代はハッキング技術などの情報収集能力が特出している。いわば、その筋の天才だ。警察に協力を申し込まれたこともある。その腕前を希代は自分で「とりあえず電気の通ってるところなら、大体入れるにゃ~」と言っていた。
しかし、希代にはその代償がある。例えるなら、絶対音感を持つ人間が日常に流れる不協和音に気分を害するように、サヴァン症候群の人間が天才と呼ばれるかわりに普通の生活をおくれないように。
希代の感情は《喜怒哀楽》で言えば、《喜》と《楽》しかないのだ。悲しみや怒りが存在しない。それ故、他人の悲しみや怒りが理解できない。結果、他人とのコミュニケーションがうまくとれないのだ。
「にゃーい!!!おわたよぉ~。依頼解決だお~」
ちなみに今は、口にするのも躊躇われる組織に頼まれて、口にするのも躊躇われる情報を、口にするのも躊躇われる組織から盗んだところだ。
「リョースケぇ! ボクちゃん、頑張ったよ~。褒めて褒めて~~」
「良くできました、希代。頑張ったね」
「ふにゃー。ありがとーリョースケ」
そう言って希代は笑った。
幸福しか知らないような笑顔だった。――実際に幸福しか知らないのだが。いや、少し違うか。知らないのではなく、知ることができないのだった。世界に悲しみや怒りがあるにも関わらず幸福しか知らないのではなく、希代の世界には悲しみや怒りが存在していない、それだけだ。
それは本当の意味で幸福なのだろうか。
そんなことをふと思った。
「リョースケぇ。大好きだよ~」
何の恥じらいもなく、希代は言った。
「僕もだ。――希代、大好きだよ」
何の恥じらいもなく、僕は嘯いた。
僕は希代が好きではない。
でも希代が嫌いなわけでもない。
希代は希代という存在でしかない。
でも、希代という存在を考えれば考えるほど自分でもよくわからなくなってくる。――僕にとって、流神希代とはどういう存在なのか。
もしかしたら、僕は判っていないだけなのかもしれない。
自分のことがよく判る。僕はそんなよくできた人間ではない、それはよく判っている。
どちらにしても、心にもないことを言っているという点では確実に嘘だった。
僕は今日も嘘つきで、流神希代という天才にくっついている小判鮫のような凡人だった。