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九の末裔 ~蛍狩り~  作者: 日向あおい
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  ホタルガリ(9)

 ◇◆





「そうか、マロはいっちゃったのか……」

 直久が意識を取り戻したのは、道案内ホタルを追いかけて飛び込んだ小さな池のほとりだった。どうやら人間界に戻って来れたらしい。

 それにしてもこんな小さな池が、異世界と繋がっているのだから不思議だ。

『そなたたちには、感謝している』

 直久に殊勝な言葉を掛けたのは、まぎれも無く、あの、恐ろしい美人女神だ。女神は、直久が目を覚ました時、まるで別人のように穏やかな顔で直久に労わりの言葉を掛けてくれたのだ。

「そ、そうですか」

『あの者にもすまないことをした』

 女神が、直久から少しだけ離れたところで横たわるゆずるの方を見てそう言った。

『わらわの水鏡の中で心を見失ったようだ。今、わらわが水鏡の出口まで導いてやろう』

「はあっ!? 心を見失ってるってなんだよ!」

 直久は心底驚いた。いつものように疲れて寝てるだけだと思っていたのだ。あわててゆずるの側に駆け寄る。

 ずっと心配そうにゆずるの体を支えてやっていた和久が、直久の心配そうな顔を見て静かに頷く。

「僕じゃだめなんだ。いくら呼びかけても、届かない」

「目を覚ますんだろうな!」

 勢い良く女神を振り返り、直久は睨みつける。

『出口を見つけられるかどうかは、本人次第だ。わらわのできるのは道案内のみじゃ』

「何でもいいから、早くやってくれ!」

『良かろう』

 女神はすっとゆずるの額に手をかざし、そっと瞼を閉じる。かざされた部分が、まるで蛍の光ように、淡く輝き出し、ついては消え、ついては消える。

 十数秒後、女神は再びその大きな瞳を直久に向けた。

『わらわにできることはした。あとは本人の力で乗り切るしない』

「乗り切る?」

『水鏡が見せるのは己の弱き心』

「弱い心……」

『あとは待つよりほかは無い。出口は示した。よって、己の弱さに向き合い、受け入れることができれば目を覚ますだろう』

 女神の言葉を受け、直久と和久は同時にゆずるの顔に視線を落とした。

(戻ってこい……お前なら大丈夫だ)

 穏やかに眠るゆずるが、どんな悩みを抱え、闘っているのかはわからない。

 検討も付かない。

(でも、オレは信じてる。お前は、そんな軟弱な奴じゃないだろう? とっとと目を覚ませよ)

 直久は実に自然な動きで、ゆずるの力の入っていないダラリとたれた左手に自分の右手を重ねた。そして、きゅっと一瞬、力を込める。

(大丈夫。お前なら大丈夫だ)

 まるで自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。

 そんな直久の行動に和久が不思議そうな顔で直久を見つめる。

「直ちゃん……?」

「うん? カズはそのまま、ゆずるが戻って来れるように呼びかけてやっててよ」

 返事をするのと同時に、パッとゆずるの手を離す。まるで、何事もなかったような表情で。

 だから、和久は言葉に詰まった。これ幸いと直久は話題を変える。

「――そういえば、女神さま? これからどうするの?」

『これからとは?』

「だってさ、マロはいないし、自分の子供もいないし」

『……わらわがここから離れれば、この地に雨は降らぬ。川は枯渇し、草木は死にたえるだろう。虫も鳥も野獣も皆、命を失う。わらわはここを離れるわけにはいかぬ』

 直久はそこで初めて女神の心を理解した。

 そうか、この地を女神が離れなかったのは、この地の木々のため、動物たちのためだったのだ。この土地の多くの命を守るために、雨を降らし続けるために、この地の生態系を守るために、この地に留まることを選んだ。

 マロも女神と同じようにこの地に雷を落とし、恵みをもたらしていたのだ。雷電には空気中の窒素をアミノ酸という形に変えることができる。だから雷によって、その土地は天然の肥料を得るのだ。

 だからこそ、この地は森が豊で数多くの野生の動植物が生息し、瑞々しい果物が生り、清流には蛍が群れる。そんな美しい町を保ってこれたのだ。

 それが人間の都合で、雷神の祭られた神社を移転し、この地の信仰心が衰えた。でも、人間はこの二神が夫婦神であることを知らなかった。信仰心を糧に生きる神たちは、徐々に力が弱まってしまった。

 きっと神社の移転と一緒に、雷神が土地を換えしていれば雷神は弱ることはなかった。

 そして、人間が二人が夫婦神であることに気づいていれば。

(……ちがうな、一番の原因は二人の神社を引き離した事だ。マロの神社を引っ越しさちゃいけなかったんだ)

 マロを想うと、直久は切ない気持でいっぱいになる。直久ですら、ああしてれば、こうしてればと後悔でいっぱいなのに、女神の心を想うと胸が痛む。

 この土地を見捨てることのできない女神。女神の側を離れることなど、一度も考えなかっだろうマロ。

 消えゆくマロを救う道は、自分を捨てさせて他の地へ行かせること。だから、女神はマロなどもう必要ない、と言ったのだ。自分は、マロがいなくても生きていける方法を見つけたから、と。

(それが人食ホタルの養成って……かなり方法としては問題だけども。マロもマロだ、マロの浮気を疑って女神が怒ってるとか、大いなる勘違いだし……もしや、マロのやつ前科有りか!?)

 でも、女神は獲物であるゆずるを追ううちにマロの気配を感じてしまった。諦めたはずだった恋心に火がついて――マロに一目でいいから会いたくて、会いたくて、会いたくて……。ためだと分かってて、道案内のホタルをよこしたのだろう。

 二人は何も悪くない。

 悪いのは、勝手な人間だ。

「……オレに力になれることはないかな?」

『そなたに何ができるのじゃ』

 ふっと女神が口端を上げる。ばかにするな、と。

 人間ごときにできることがあろうか、と。

「ん~……とりあえず、毎年、夏合宿でここに来ること。そんでもって、あんたの神社にオイシイ食べ物をもっていって、手を合わせること。これくらいできるぜ? オレ一人じゃなくて、後輩もその後輩も、オレがうちの部活の伝統にしていくよ。『この女神さまは、メチャメチャ強いから、ここに手を合わせると試合に勝てる』ってジンクス作っておく」

 にやりと直久は笑って見せた。

「それから、毎年、蛍も見に来る」

 女神はじっと直久の顔を見つめる。

「必ず、あんたに逢いにくる。マロの代わりにさ――逢いにくるよ」

 高校卒業しても、大人になっても、爺になっても……ずっとオレが生きている限り。

 あんたが寂しくないように。

『……ふん』

「だって、あんた友達いなそうだもんな~!」

 けけけ、と笑う直久に、女神は首を傾げた。

『友達?』

「そうだよ、あんた性格きつそうだもん」

『友達とはなんだ?』

 今度は直久がきょとんとする番だった。

「は? 友達いないどころか、友達事体しらないの?」

『知らぬ』

「わ~お~」

 さすがと言うべきか。

 そう言えば、神様の恋愛とか親子とかは良く聞くけど、友情物語って聞いたことが無いような気がする。

「そっか、じゃあさ、オレが友達になってやるよ」

『……友達?』

「そ、オレが友達になってやるよ」

『……どうやってなるのだ?』

「簡単さ」

 直久はそっと右手を女神に差し出した。呆然と、女神はその手を見つめている。

「オレの名は直久だ。よろしくな」

 女神は少し驚いたような顔をした。

「ん?」

 億すことなく、笑顔で直久が握手を促す。女神は表情を変えずに、直久の顔と、差し出された手を交互に見つめた。

「ほら、早く」

 カラカラ、直久が笑いかける。

 女神はどこか狐につままれたような面持ちで、ゆっくりと直久の差し出した手に答えた。

『我が名は……水羽(みずは)じゃ』

 恐る恐る言葉を繰り出す女神に、直久が太陽のような笑顔をむけた。

「水羽か、良い名前だな。よろしく水羽! 水羽のピンチの時には必ず駆け付けるから、オレを呼ぶんだぞ!」

『それは……契約しに来るということか?』

「違う違う。友達は、相手に見返りは求めないものなの! だから、オレが助けたくて助けにいくだけだから気にするな」

『……友達……そうか……』

 女神は何をどう理解したのか、理解出来たのか。しばらくの間、何か思案するように静かに直久の顔をじっと見つめていた。

「ん? どした」

『……いや、あの方がそなたを選んだ理由が分かった』

「マロのことか? ……そういや、あいつ最後まで自分の名前言わないで消えやがったな」

 カラカラ笑う直久につられて、女神の顔かほころぶ。

(タケル)じゃ……』

 その笑顔が息を飲むほど綺麗だったので、直久はそれ以上言葉はいらない気がした。たぶん、直久の気持ちは伝わっているんだと、そう思えた。

 だから、そのまま太陽がだいぶ高くなった空に爽やかな笑顔を向けた。


「……健かあ、そうか――ありがとな、健」




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