ホタルガリ(5)
「もう少し、増えてからにしようと思ったのに、残念だな~」
軽い。
口調がチャラい。いや、見た目もチャラいから自分より余計にバカっぽく聞こえる!
直久が変に対抗心を燃やした瞬間、その男と視線が合った。
ぎくりと固まる。
相手は“マロじゃなく、直久”を見ている。なぜか、それがわかった。余計に思考が停止した。
そんな直久を知ってか、直久を見て男がふっと柔らかく笑った。
(――え?)
その笑い方を知っていた。良く見る、ほんとに、良く見る笑い方だ。
そう、それは――直久の大好きな、全てを許すよと言ってくれているような、和久の笑顔と同じだったのだ。
(――な、なんで!?)
直久の心臓が勝手に高鳴りはじめた時、同じくアドレナリンの影響を受けたマロが大声を張りあげた。
「全ておぬしの仕業か!」
返事の代わりに、ふふふ、と男は笑う。
「まあ、そろそろ潮時かなって思ってたんだけどね。面倒なのに見つかっちゃったし」
再び直久と視線が合う。
「ほんと残念だな~。仕方ないけど」
そこまで言うと、今度は女神に視線をうつし、にっこりとほほ笑む。
「御苦労さま。もういいよ?」
ぞくりとした。
君はもう必要ない。満面の笑みで、そう言っている気がした。
さっきも同じセリフを女神の口から聞いたのに、響きが全然違う。容赦なく、ばっさりと、切り捨てるとはこういうことを言うのだ。
「な、何を申す!」
女神の動揺が手に取るように分かった。その美しい顔にはどこか恐怖すら滲んでいる。
「はーい、お待たせね。お腹すいたでしょう? さ、食べちゃって、食べちゃって」
男の言葉の意味が、数秒後、目に見える形で明らかにされる。
「!」
滝の上から何か黒いものが降ってきたのだ。それも大量に。その数、億単位。イナゴの大群を連想させる、そのおぞましい黒の大群は、あっという間に美しい睡蓮の池を黒く塗りつぶしていく。
『水羽っ!!』
「うわあああああああっ!」
直久が叫ぶ声と、マロが叫ぶ声が重なる。反射的にマロが直久の躰から抜け出していた。
一目散にマロが女神のもとへ向かうのと同時に、直久も無我夢中でゆずるの体を抱きしめた。自分自身の意思で体を動かせたことに気付く余裕もなく、ただ無心にゆずるの体に覆い被さり、抱きしめた。
大粒の雨のように、黒い物体がボタボタ落下しては水面が跳ねる。直久が黒い雨の正体が掌サイズの蜘蛛だと気づくまでには、少し時間がかかった。
蜘蛛たちは落下直後、水をモノともせずに潜り、ホタルの幼虫たちに一斉に群がる。
多勢に無勢で、抵抗する間もなく幼虫たちは食いちぎられ、たった数秒で無に帰した。体液一滴すら残らない。数千はいたホタルの幼虫たちも、さらに多く舞い上がっていたホタルの成虫たちも次々に降ってくる黒い雨に、抵抗する術なく喰われていった。
直久の頭上も例外なく、黒い雨が降り注ぐ。
まわりで何が起きているのかすら分からないまま、直久は必死にゆずるの躰に覆いかぶさった。ただ、心のまま体を動かした。
守りたかった。
理由なんて必要なかった。
ゆずるはオレが守る――それだけだ。
それだけで体が動いた。
永遠のような数秒が流れ、直久は萌葱の声に我にかえる。
『直久』
がばりと頭上を見上げると、萌葱が水面に立っていた。
「あれ、生きてる」
『当たり前だ。まだ死なせぬ』
ククっと萌葱が笑った。それを見て、直久の肩から力が抜ける。
周りを見渡すと、前回と同じように、直久の周りに球形の黒い壁ができていた。正確には萌葱を中心に円を描くように結界が張られていて、蜘蛛の大群が進入できないために、黒い壁のように見えているだけなのだが。
「助かったよ、萌葱」
言いながら、腕の中で眠るゆずるの安否を確認する。
(よし、傷なし!)
やっと、ふう、と深く息を吐いた。
「てか、何が降って来たわけ!?」
『水蜘蛛じゃよ』
「水蜘蛛!? 泳げちゃうわけ?」
『そうじゃ。水中で暮らす蜘蛛じゃ。まあ、我にとっては、ただの蜘蛛じゃが――ククク』
「なんで、嬉しそうなんだよ。てか、あれ!? オレなんで動けんの? しゃべれるし? え、じゃあ、マロは!?」
『向こうじゃ』
萌葱が顎で示した方に、ぐいっと首をひねると、うごめく黒い壁の隙間から時折眩しい閃光が零れて来るのが見えた。
「マロッ!!」
直久はとっさに駆け寄ろうとしたが、当然、萌葱の結界から出れば、直久もあっという間に消滅する。
「萌葱、何とかしてくれ! 頼む!」
『何とかのう』
「出来るんだろう?」
『それには、少々、力が足らぬ』
「どうすればいいんだ?」
『しばし、直久の躰を拝借しよう。さすれば……』
躰を貸す?
直久の顔に疑念が浮かぶ。
「オレの躰? ゆずるじゃなく、オレ? 何の力もないのに?」
『何も……のう』
「まあ、いいや。オレ何かの躰で、マロが助かるなら、やっちゃって!!」
『契約成立じゃな』
「あ、ただし、ゆずるに傷一つつけないでくれよ。あとでオレが何言われるかわかったもんじゃないからな」
『……努力しよう』
「だめだ、これも契約内容に入れろ」
『……心得た』
言い終えるが早いか、萌葱の躰がすっと直久の中に入り込んだ。その瞬間、直久の意識は落ちた。




