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九の末裔 ~蛍狩り~  作者: 日向あおい
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  ホタルガリ(4)

 その場の雰囲気が変わったことだけは、直久にもわかった。だが、好転したとは思えない。マロが女神の逆鱗に触れたような気がしてならない。

「……我が君、何か誤解があるようだ」

「お前など知らぬ」

「我が君、私には昔も今も、貴女しかおらぬ」

 返事の代わりに女神がすっと視線をそらす。

「このような惨めな成りをしてまで、貴女を追いかけてきた私の気持ちが分からぬのか?」


 神である私が。

 ヒトの力を借りて。

 ヒトの器を借りて。


 そうまでして、貴女を守りたかった――その気持ちが分からないのか?


「……」

「貴女が待っているから。貴女が私を呼ぶから」

「……黙れ」


 貴女が私を思って泣くから……そのたびに貴女の悲しみの涙が雨となって降り注ぐ。

 そのたびに、私がどれほど胸を痛めたか。

 逢いたくても逢いに行けぬ、無力な自分にどれほど嘆いたことか。


「もう……私には……その力がないのだ」

「やめよ、聞きとうないっ!」

「我が君……」

「もう、わらわにはお前など必要ない。わらわ

 にはこんなにたくさんの子供たちがいる」


 だから――私に逢えなくても寂しくなどない。

 そう言うのか?

 もう私など必要ない、と。


「見よ。これほどに、我が子の数を増やしたのだ」

 女神が手を広げると、池全体から一斉に青白い光がふわりと浮きあがった。それは、まるで水面から無数の星が生まれ出たような幻想的な光景だった。

 だが、直久は次の瞬間その光の一つ一つがホタルであることに気づく。

 あまり気付きたくなかったが、しかもそれが通常の5倍ほどの大きさであることも分かってしまった。ゴキブリよりデカイという驚愕の事実。きっと、2度も直久たちを襲撃した犯人たちに違いない。

「お前などに用は無い」

 女神がくるりと背を向けた。

「……即刻、立ち去れ。さもなければ、その器ごと我が子の餌となろう」

「そうか……もう、私など必要なかったのだな……」


 自分だけが逢いたいと思っていたのか。

 自分だけが寂しく辛い日々を送っていたのか。

 貴女も同じだと思っていたのは自分の勘違いだったのか。

 長い、長い、長い時が……私たちをこうも変えてしまったのだな。


 ならば――いっそ――。


「私を捧げよう」

 最後まで、貴女のために、貴女を思って――消えゆこう。

 私の残り僅かなこの力、貴女に捧げよう――。

「まだ、人間を食すより多くの力を得られよう」

 女神の背中にマロが優しく語りかける。

 女神は拒絶するように、何も語らない。

(なんで……そこまで……)

 そこまで静かにことの成り行きを見守っていた直久の頬に、いつしか涙が伝っていた。

 直久の中に滝のように流れ込んでくる、マロの純粋な心。

 直久の涙なのか、マロの涙なのか直久にもわからなかった。

 まるで自分の感情がマロの感情と一体化してしまったかのように感じられる。


 あなたが幸せならそれでいい。

 あなたが笑顔ならそれでいい。

 この命など惜しくない――。

 だけど苦しい。

 息が出来ないほど苦しい。

 もう2度とあなたに逢えないと思うと、胸が痛くて張り裂けそうだ。

 ああ――――こんなに誰かのことだけを思う気持ちを何と呼ぶのだろう。

 こんなにも誰かの幸せだけを願う気持ちを何と呼ぶのだろう。


 マロの心の問いかけに、直久自身もその答えがまだ見つからないでいた。直久も経験したことのない胸の暖かさだった。

「一つだけ頼みたい。この者たちだけは生きて帰してやってくれ。私だけでこの者たちを食した分は賄えよう」

「……」

「最後の頼みだ。聞いてはもらえぬだろうか」

「……」

 女神の背中は動かなかった。それが肯定なのだとマロは理解したようだった。

「すまないな、手間を取らせて」

 マロの言葉はどこまでも優しい。

 と、その時だった。

 女神が、はっとしたように身構えた。ほぼ同時に、マロも女神と同じ方向に視線を向ける。


「何だ、もう仲直り?」


 滝の上に長身の男が立っていた。

 いったいどこから侵入したのか。

 いつからいたのか。


 その前に誰?

 てか、何用?


 直久の脳裏に次々に疑問が浮かぶが、当然のように答えはない。

 直久くらい、ひょろっとした長身で。髪はバサバサと長いし、茶色いし、むしろ金髪に近い。Tシャツにダメージジーンズで、ちょっとダルそうに立っている姿はまるで大学生風だが、けっこう歳はいってそう。40代前半から半ばだろうか。


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シリーズ一作目『九の末裔 ~寒椿~』はこちら
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