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九の末裔 ~蛍狩り~  作者: 日向あおい
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  ホタルガリ(3)

「あの男が申してた通り、人間の肉が一番大きく成長するようじゃ。喰いつきも良くてのう。まだまだ足りないと見る。特に、若い男の肉を好いているでのう。誰に似たのやら……ほほほ」

 あの男って誰だよ! 責任者とって自分が食われろよっ! と叫びたかったが今の直久にその余裕はない。

 じりじりと直久に近寄ってくるイモムシ。


 食ベテイイノ?

 コレ、食ベチャッテイイノ?


 母親のゴーサインを今か今かと待っている幼子のように見えるが、そんな可愛らしさは一切見受けられない。

 じわじわと距離を詰められる、何ともいえない緊迫感。

 その距離と比例して自分の命が短くなっているような焦りが、直久から冷静さを奪う。

(や、や、や、やっぱりそういう展開なわけっ!?)

 再び頭を川貝のカワニナに蛍の幼虫が群がる映像がよぎる。その写真の横に書き加えられていた説明文までもが、何故か和久の音声で思い出される。

 ――――『まず幼虫は、カワニナの頭や首すじをめがけて 大顎おおあごで噛かみつきます。カワニナを麻痺させるような体液を吹きかけるのです。するとカワニナはぐったりとしてしまいます。そこへ消化液を出して体を溶かし、スープ状にして、針のような舌で吸いとるのです』

(……麻痺……消化液……スープ状……ぎええええええええっ!!)


 冗談じゃない!!

 スープになんてされてたまるかッ!!

 ん? 

 てか、骨ぐらいのこるのかな? 貝もカラは残ってたし……?


 動転しすぎてそんな余計なことまで考えてしまう。

「ほれ、がっつくでない。ほんに、先ごろも若い男を、あっという間にたいらげたと思うたに、まだそれほどに飢えておるとは。ほほほ……もっと、たんと喰うて大きくおなり」

 実に嬉しそうに笑みを浮かべる女神の顔は、絵画から抜け出て来たのではないかというほど美しく神々しい。確かに、子を思う母の優しさが溢れている。

 直久だって、これが茶の間の会話で、そして食卓に並んでるのが白い米とみそ汁とイワシ数匹だったら、心の底から「そうだそうだ、もっと食べろ。お腹いっぱいたべて、大きく成るんだぞ」と涙ながらに応援する。間違いなく、自分の分のイワシを一匹差し出す! 

 だが、今、彼女たちの食卓に並べられてるのは、直久自身。たんと食べられてたまるか!

 しかも、今、さらっとすごいこと言わなかったか!?

(『先ごろの若い男をあっという間にたいらげた』って言った!? ……まさか、誘拐された男の人のこと!?)

 神や妖怪の時間感覚は人間のそれと、まったく違う。人間の一生なんて、彼らにとっては、瞬きするより短い。

 だから“先ごろ”がいつを指すのか、さっぱりわからない。10年前か、それとも3日前か?

 どちらにしても、この女神が一連の誘拐事件の犯人に違いない。

 そう確信しつつ、直久は女神の周囲に広がる美しい風景に視線を漂わせた。

 さざ波立つ水面は宝石のように煌めき、水面に漂う純白の睡蓮は優雅に舞う。

 まるでその睡蓮の一部のように、大輪の花のように、大葉の上で凛と立つ女神の姿は、誰だって目に焼き付けておきたいと思うに違いない。

 水中には、天の川から落ちて来たのかと思うほど、無数の淡い光が瞬く。そうだ、水中に星空が広がってる。光ったり、消えたり、また光ったり……そんな天の川もなかなか風情がある。

 耳を澄ませば遠くに小さく見える滝が、ざざざざっと心地よい水音を奏で、ついつい瞼を閉じて聞き入りたくなる。

 だれが信じるだろう。

 この池に、骨になってしまった若い男たちが眠っていることを。

 この池の美しさは、男たちの血や肉が作り出しているのだということを。

 いったい何体の白骨死体が沈んでいるのだろう。

 直久はそっと目を閉じた。直久の視覚も、聴覚も、完璧だと訴えている。

 これは死を前にした恐怖が幻覚を見せているのだろうか。

 このままここであの綺麗な女神さまに喰われて死んでもいいかなとか、ちょっと思うとか言ったら、みんな怒るかな……。

 なんかそんな気分になってきた……。

 この美しい景色の一部になれるなら……。

「そうそう。そういえば――――」

 女神の声で、直久はパチリと瞼を開いた。

(やばっ! オレ、今、ちょーやばいこと考えてなかった!?)

 間一髪、我に返った直久をわざと一瞥してから再び女神が口を開いた。

「――こんなものもまぎれておった。これも喰うかえ?」

 女神の声に反応して、幼虫たちがぴたりと光るのをやめる。

 数秒後、女神が頭上高く手を上げた。すぐに女神の右手上空が白く眩しく光り輝いたかと思うと、何も無かったはずの空間にだんだんと人型が浮き上がってきた。その姿がはっきりしてくると同時に、直久に緊張が走った。

(――ゆずるっ!!)

「この娘、外で目を付けていた娘じゃ。なにやら人間臭さに混じって……そう、獣の匂いがする。我が子たちが喜ぶじゃろうと思うて、捕えてくるように命を出しておったに、こしゃくにも上手くかわされておったが、まさか自ら喰われに来ようとは思わなんだ」

 まるで、池の鯉に餌を投げるかのように、女神の手が宙を舞う。その動きに合わせて、ゆずるの躰が放物線を描いて直久の近くへと落ちて来る。直久が反射的に手を伸ばしてゆずるをしっかりと受け止めた――はずだった!

 直久の体はピクリとも動かず、ゆずるはそのまま重力に従い着水した。水しぶきが上がり、直久の顔がびしゃりと濡れる。

(なっ……)

 何が起きたのか理解するのに、直久は数秒必要とした。

 そうだ。今の躰の主はマロだ。今の直久には、自分の意思では舌打ち一つできないのだ。

 直久の苛立ちに反して、ゆずるの体は一度水面まで浮上したものの、再び重力と浮力を受けてゆっくりと静かに、しかし確実に池底へと沈み始めた。

 普通なら水面に叩きつけられた突然の衝撃と、肺に水が入ってくる苦しさで目を意識を取り戻すはずだ。ところが、ゆずるがまったく身動きしない。

 これは、ゆずるが深く眠らされているか、瀕死の状態で身動きできないか、という二択のとてつもなくマズイ状態にあるらしいことは直久にもわかった。今の水位は直久のウエストの位置。ゆずるが溺れるには十分だ。

(くそう! ――マロ!! ゆずるが死んじまう!! おいっ!)

 やっと、マロが反応した。慌てて、ゆずるの躰を横抱きにして、水面に顔が出るようにしてやる。

 ふう、と直久は胸をなでおろした。と、その時。

「……やはり」

 その女神の声は、明らかに、今までと違う、微かに苛立ちすら感じられる声のトーンだった。はっとしたように、マロが女神を見上げる。

 女神は、完全にこちらを睨んでいる。いや、ゆずるを睨んでいる。マロだけには、それが女神の嫉妬だと感じ取れたのだ。

「……私がわかるのだな? 我が君、私が見えているのだな!?」

 マロの声が明るく響いた。

(え? 何、何? どういうこと?)


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シリーズ一作目『九の末裔 ~寒椿~』はこちら
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