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九の末裔 ~蛍狩り~  作者: 日向あおい
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  ホタルガリ(2)

 マロはそれ以上何も言わなかった。だが、彼女を心配する気持ちは、直久にひしひしと伝わってくる。直久自身の胸が痛いほどだ。

 直久たちの急く気持ちに反して、道案内のホタルは呑気にふわふわ漂う。それがまた、直久を苛立たせた。

 しばらくして、視野が明るくなった。

 おかげで、ずいぶん開けた場所であり、最終目的地であろうことは聞くまでも無い。

(なんじゃこりゃ……癒し空間的な!?)

 直久が(実際には出来ないが)目をぱちくりさせて驚くのも無理は無い。

 目の前に広がっているのは、どう見ても池。大きさは、直久のカンによるとバスケットのコート八面分くらいだろうか。

 その広大な池には、白い睡蓮が生育している。びっちり並んでいるわけでもなく、池面積の6~7割というところか。おかげで、水面が揺らめく度に、浮いている睡蓮の葉につく水滴がキラキラと光を乱反射させて、まるで宝石のように煌めいていた。

 それだけでも十分に高級庭園かどこか異国の宮殿のように優美な風景なのに、池の奥には人間二人分くらいの高さがある小さな滝があり、心地よい水音とマイナスイオンのハーモニーを奏でていた。

(問題のラスボス――――じゃなかった、マロの彼女はどこにいるんだ? ちょっとマロ、右向け)

 マロが返事をする代わりに、直久の視野が右に移動する。

 すると、睡蓮が咲き乱れる池の中に一際大きな葉が浮いているのが見えた。その葉の上に人のものと思われるシルエットがあった。

(あれか?)

「うむ」

 マロは躊躇なく、池の中に足を踏み入れた。

(冷たっ!)

 衣服に染み込んでくる水は、確かに直久の肌の感覚となって、直久を縮みあがらせた。しかも、一歩足を進めるごとに、くるぶし、脛、膝が濡れていく。

 これではすぐに足がつかなくなるに違いない。その急激な水深の変化に、直久は恐怖すら感じた。

 だが、マロに迷いは無い。視線も一点から決して動かない。ずんずんと人影に近づいていき、ついに水位は直久のウエスト付近にまで達した。

「我が君」

 マロが足を止め、人影に声をかけた。だが、反応がない。

「我が君――――私だ」

 再びマロが言うと、ゆっくりと人影が首を右に90度だけ回転させた。

 その横顔に直久は息が止まる。

 大きなアーモンド形の瞳。

 長いまつ毛。

 朝日を浴びた新雪を思わせる、純白の肌。

 熟れたザクロのように赤く瑞々しい唇。

(――あの子だ)

 直久が美しすぎて恐怖を覚えた女性は初めてだったから見間違えるはずもない。加藤を虜にした美女がそこに居た。

 ただ、若干違うのは、その服装と髪型。

(なんか昔話とかに出て来る天女様みたい……やっべえ、めちゃめちゃ綺麗だな……)

 直久がそう表現するのも無理はない。

 全体的にヒラヒラとした薄い白い布が棚引いていて、すらっとした体のラインを引き立てている。さらに、後ろ髪は長く腰まで垂れているのだが、後頭部に左右対称に大きな輪が作られているのだ。

 直久がよく見る江戸時代の南町奉行おしらす物語や犯科帳、肩の桜の入れ墨が自慢の奉行さんや、おじいさんと愉快な仲間たちによる日本全国旅物語には出てこないような和装なのだ。おそらく、修学旅行か何かで目にした神社やお寺に描かれた絵画の天女を連想したのだろう。

「我が君――長らく待たせてすまなかった」

 直久の口をとおして発せられるマロの言葉。ここにたどり着くまでの間、マロの女神を想う気持ちは十分に理解できるし共感できた。ただただ、彼女の身を案じて、居ても立ってもいられずにここまで来たのだ。


 どれほど逢いたかったのだろう。

 どれほど無事を願ったのだろう。


 何もできない無力な自分を責め、ここまで来るのにどれほど心を痛めたのだろう。

 マロの気持ちを思うと、直久の胸の奥が締め付けられる。

 だが何もしらない女神はギロリとこちらを一瞥した。その冷たい視線に、一瞬にして直久は凍りついた。愛しいヒトを見る目ではない。まるで、汚いものを仕方なく視界に入れた時の表情に似ていた。

(うわ……美人が睨むと迫力あるなあ……)

 蛇に睨まれた蛙?

 いや、メデューサの目をみちゃった感じ?

 むしろ、恐妻ならぬ恐姉・鈴香リンカの大好きなプリンをこっそり食べちゃったのがバレた時のような。

 とにかく、死がすぐ近くまで来ているような緊迫感が直久の躰を支配する。

 完全に動けないでいた直久とマロの周りに纏わりつく重苦しい沈黙を破ったのは、女神の刺すような冷たい声だった。

「人間ごときが、わらわに声をかけるとは」

 それはそうだ。

 見た目は直久なのだから、マロだとわかるわけがない。

 直久はそう思ったが、それはヒトの感覚。直久自身のあっけらかんとした感想に反し、直久の顔が絶望に歪んだ。

 視覚で判断するヒトとは違い、ヒト以外のモノは妖気や霊気、神気で個々を判別する。“入れ物”など関係ない。

 それは女神からの拒絶なのか、それとも、女神がマロと判別できないほどマロの神力が衰えているのか。そのどちらか、または両方であることをマロは理解している。

 そんなマロの気持ちが直久の顔に苦悩の表情を浮かべさせたのだ。

「我が君……私だ。私が分からないのか……」

「なんと、畏れを知らぬ人間じゃ……まあ良い、ここまでわざわざ来たのだから許そう。その身を我に捧げるために来たのであろうから――のう?」

 女神が僅かに口端を引き上げた。

 本能的に、直久の背筋がゾクっと反応する。

(さ、捧げる!?)

 嫌な予感がする。

 これは、危険なパターンだ。

 絶対そうだ。

(ま、ま、マロ!)

 逃げよう――そう言おうと思った。

 その瞬間。


(――――っ!!)


 直久は息を飲んだ。

 水面が一斉に青白く光り輝いたのだ。いや、光っているのは水面ではない。水中だ。水中の中に無数の光る点がある。それも、広い池全体に光る点は分布しているのだ。一定のリズムで同調するように光っているので、池全体が光っているように錯覚してしまう。

 ほらほらほらほら、どんどん嫌な予感が強くなる。

 直久の脳裏に、水中生活をするホタルの幼虫が何故か思いだされた。

 ホタルの幼虫はすでにお尻が光ってるんじゃなかったか?

 直久の全身がぞぞぞぞっと泡立つように危険を訴える。

「かわいかろう? わらわの子供たちじゃ。――ほれほれ、餌の時間じゃぞ? たらふく喰うがよい」

 くすくすと女神は笑う。実に嬉しそうで、その笑顔は可愛らしいのに、言ってるセリフが全然可愛らしくない。

 聞きたくないが、気になる。その餌というのはまさか――。

「我が子の一部になれるのじゃ、ありがたく思え」

 まるで女神の言葉が合図だったように、いっせいに無数の黒い物体が水面から徐々に顔を出し、こちらを向いた。

(ぎゃああああああああ!!)

 その黒い物体の平均体長は、おおよそ30㎝。その個体数たるや、2000匹は軽く超えるだろう。

 そう、直久の周りを囲んでいるのは、巨大な黒いイモムシ。

 いくらそのイモムシのお尻がキレイに青白く光ったって、それが何だ。

 これが叫ばずにいられるか!!

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シリーズ一作目『九の末裔 ~寒椿~』はこちら
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